「長嶋さんが棺の中で着ていたのは大谷選手と最後に会った日の、あの洋服なんです。公の場はそれが最後でしたから、長嶋さんの思いを尊重して、ご家族もその姿で旅立たせたかったのでしょう」

“ミスタープロ野球”と呼ばれた読売巨人軍終身名誉監督、長嶋茂雄さん(享年89)の逝去から1カ月。

長嶋さんの第2次巨人監督時代(’93~’01年)に専属広報として寄り添った小俣進さん(73)は本誌記者へ静かに語り始めた。

ドジャース・大谷翔平選手(30)は6月3日(日本時間)の試合前、インスタグラムに長嶋さんとの、3枚のツーショット写真を投稿。長嶋さんの訃報に際して《心よりご冥福をお祈りいたします》と追悼した。そして当日の試合で23号となるソロホームランを放ったのだ。

小俣さんは、長嶋さんの第1次巨人監督時代(’75年~’80年)には投手としてプレー。現役引退後、第2次監督時代の専属広報就任は長嶋さんの“ご指名”だったとか。

「広報としては早朝の散歩からいつも長嶋さんと一緒でした。ほとんど休みがないんですから、今で言う“ブラック”でした(笑)」

今年3月15日、ドジャースの日本開幕戦を前におこなわれたプレシーズンゲーム・巨人戦を前に、長嶋さんは東京ドームで久しぶりに大谷と再会していた。

「大谷選手は練習中でしたし、5分ほどしか時間が取れなった。だから長嶋さんが『元気か?』と声をかけて、大谷選手が『ハイ、元気でやってます』とその程度の会話で、あとは写真を撮って……。

ただ、長嶋さんはこれまで大谷選手と何度も会い、個人的に食事もしてずっと応援していました。このときも“東京に来るなら会いたい”との長嶋さんの希望で対面が実現しました。

いろんな意味を込めて大谷選手と最後にもう一度会いたかったのでは。“次の時代を、野球界を背負ってくれ”という思いがあったのかもしれません。ちょうど『セコム』CMの大谷選手へのバトンタッチもありました。あのCMの夢の対決、長嶋さんも喜んでいらっしゃいました」

■《多くの野球ファンの希望であり続けて》

3月14日、「セコム」の公式Xで長嶋さんが大谷に宛てたメッセージが公開された。同社は3日前にバッター・長嶋さんと大谷投手が対決するCM動画をXで公開。2大スーパースターの時代を超えた“共演”は大きな話題になった。

長嶋さんはそのメッセージのなかで《球場外でも、野球を愛するファンをはじめ多くの方達に寄り添う姿は同じ野球人として誇りに思います。(略)大谷選手、これからも多くの野球ファンの希望であり続けてください》と綴っていた。

「この最後の部分が長嶋さんの最大の願いだと思います。僕らの世代は長嶋さんに憧れて野球を始めた人がほとんど。長嶋さんもそれを大谷選手に託したのでしょう。最後に会った人が大谷選手だったのも監督の強い思いを感じます」

長嶋さんと大谷が初めて会ったのは、’16年12月8日、『スポーツ報知』での対談だった。

日本ハム在籍4年目、大谷は10勝&22本塁打など二刀流として10年ぶりの日本一へ牽引。スーパースターへの階段を駆け上がろうとしている時期で、長嶋さんから大谷へ投げかけた言葉はまず「エースや4番としてチームを優勝させることがスーパースターになる最初の条件。負けるチームにスーパースターは生まれない」だった。

「大谷選手は結局、なかなか勝てないエンゼルスからドジャースに移籍しましたね。長嶋さんの言葉が生きているんだと思いますよ」

小俣さんはこの対談には同席できなかったが、長嶋さんは大谷に“一流の流儀”を授けたという。

「“3年間、続けて成績を残したら一人前だ。それを10年続けたら一流だ”と話されたそうです。昨年の世界一のシャンパンファイトで大谷選手は『あと9回しよう!』と言っていましたよね。監督の“10年”という言葉を意識していたのかもしれません。

初対談の約1カ月後、麻布にある監督の好きな中国料理店で、大谷選手と食事したそうです。監督は野球選手とご飯を食べて、野球の話をするのが好き。言葉は多く交わさなくても、野球人同士、心や気持ちで通じるのでしょう」

長嶋さんは大谷について「野球だけが人生のような気持ちが大谷くんは強い。

本当に野球を愛しているよね」と話していたそうだ。

「大谷選手も長嶋さんのことを『野球に対する愛情が深い方』と話されていましたが、もう監督は野球がすべてなんです。《野球というスポーツは人生そのもの》という有名な言葉を残していますけど、大谷選手とは年齢を超えて通じるものがあったんだと思います」

対談中に大谷はこう語っている。

《僕は自分が持っている最高のものを出したい。僕自身が出せる全力を打席でもマウンドでも。(グラウンド外では)基本的には変わらないですけど、ただ発言や態度は注意しています。まだまだ長嶋さんのように視座の高い所で物事は見えないですけど、ゆくゆくは必要なのかなと。選手としてだけではなく、どういうふうに見られるのか、どうすれば子どもたちの目標になれるのか。それが大事だと思っています》

長嶋さんは「(大谷の)持っている気持ちのままにやっていければいい。そうすれば自然に大谷くんらしいスーパースターの型ができる」と背中を押したそうだ。

’23年の夏、再び入院を余儀なくされた長嶋さんの病室には、大谷選手のホームランに「すごいな!」「また打ったな!」と喜ぶ長嶋さんの声が響いていたという。

「実は長嶋さんもメジャーリーグ挑戦の夢を抱いたことがあったんです。

現役2~3年目のとき、ドジャースの当時のオーナーが来て話をして寸前まで行ったんですが、読売の当時のオーナーにダメだと言われて断念したんです。長嶋さんの『メジャーリーグに挑戦したかったな』という言葉は実際に私も聞いたことがあります。その夢を今、大谷選手がかなえてくれているわけですから、それはもううれしかったはずです」

■「いつも最高を目指す気持ちを大切に――」

長嶋さんは大谷と食事する際に「今日は上海蟹を食べるから」と言って蟹の形をしたサファイアのブローチを左胸にして現れたそう。

「監督はいろんなピンバッジを持っていて、洋服なども監督自身が全部コーディネートするんです。外出時はいつも車に服を3種類ぐらい用意しているとか。晴れの日、雨の日、昼間、夜の場合など考えて選ぶらしいです」

長嶋さんは大谷にかつてこんな言葉も託していた。

《ファンあってのプロ野球。まずファンを大切にする気持ちが必要。それがスーパースターに近づいていくんじゃないかな》

「大谷選手もファンを大事にしていますね。子どもたちにサインをしてあげている姿を多く見かけます。監督は“こんなスターになりたい”と思って、子どもたちが野球を始めてくれたらいいなという願いを持っていました。その精神が大谷選手に受け継がれていたら素晴らしいことですね」

最初の対談時に、長嶋さんは世界最速投手・チャップマン選手(37、現レッドソックス)の名前を挙げ、大谷に何度も“彼の世界最速球速・170キロを超えて世界新記録を作ってほしい。

必ずできる”と語っていた。大谷が「いずれは(世界最速を)出してみたい」と話すと、間髪いれずに長嶋さんが「出してみたいではなく、出すんだよ。精神力をもっともっと強く持ってやれば、その気持ちは(力となって)出ます」「プロとして大切なのは、いつも最高を目指そうという気持ち」とゲキを飛ばしたという。

「今、大谷選手にみんなが夢中になるのは“ドラマ”を作って見せてくれるからでしょう。しかも二刀流。長嶋さんもそんな大谷選手に共鳴したから入院中でも大谷選手のことを夢中で応援して、生きる糧になっていたんでしょうね。

かつて栗山英樹さんが長嶋さんの田園調布の自宅にやってきて、大谷選手の二刀流について相談した際、監督は『可能性があるならやってみなさい』と後押ししたと聞きました。それが現在のメジャーでの二刀流につながることは監督にとって誇りのはずです」

長嶋さんは大谷に会うたびに“最高峰に挑む”スターの心得を繰り返し伝え、エールを送っていたのだ。そして大谷は6月15日の父の日にホームランを2本放ち、メジャー通算250号に到達――。試合後、大谷は“野球の父”長嶋さんへの思いを語った。

「実際にお会いしてみて素晴らしい方でしたし、会話していても野球への愛情が深い方という印象を受けた。非常に残念なニュースでしたけど、その情熱を現役の僕らが次の世代につないでいければいいんじゃないかと思います」

6月29日、大谷は二刀流復帰後、3度目の登板となるロイヤルズ戦で、メジャー公式戦では自己最速となる101.7マイル(約163.7キロ)を記録した。

2イニング27球で1安打1奪三振無失点と好投したのだ。長嶋さんから夢を託され、さらに球速も上がっていくかもしれない。

最後に小俣さんは笑顔で言う。

「長嶋さんの功績は大きいんです。6月3日、6時39分に亡くなられた。すべて背番号の3で割り切れます。来年からその日はプロ野球全球団が3番のユニホームを着て試合をする“長嶋デー”にするべきだって書いてくださいね」

ミスタープロ野球の言葉を胸に、大谷は打席に立つ。「大谷くん、ここまで打ってこい!」、長嶋さんの声が空から聞こえてきそうだ。

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