帽子、スーツ、ヒールそしてアクセサリーまで、まばゆいホワイトで全身をコーディネートされた雅子さま。それだけに胸に付けられた2つの記章の真っ赤なリボンが輝いて見えた――。

7月31日、雅子さまは日本赤十字社の名誉総裁として、「第50回フローレンス・ナイチンゲール記章授与式」に臨まれた。

「ナイチンゲール記章は、2年に1度、優れた功績のあった世界各国の看護師らに贈られます。今回は、1985年に日航機墜落事故が発生した際、現地で看護活動を行った春山典子さんら3人が選ばれました」(皇室担当記者)

コロナ禍から、感染を防ぐために記章は手渡しだったが、今年は雅子さまが記章をお手ずから、受章者の胸に付けて祝福された。皇室担当記者が続ける。

「雅子さまは春山さんから、ヘリコプター内で子供の生存者を救護したときの状況についてお聞きになり、『一生懸命頑張りましたね』と、ねぎらわれたのです。

連日、東京でも暑い日が続いていますが、雅子さまはお元気そうで、関係者たちも安堵している様子でした」

今年は戦後80年という節目の年であり、戦後の平和を希求し続けてきた皇室にとっても重要な年である。4月から始まった天皇皇后両陛下による慰霊と、戦争の悲惨な記憶を次世代に伝えるための旅も、ようやく半ばが過ぎた。

「4月に硫黄島、6月に沖縄、広島へ。7月にモンゴルで日本人抑留者の慰霊碑へのご供花……。今後は8月15日の全国戦没者追悼式に臨まれた後、9月に長崎を訪問されます。

今年は例年の地方ご公務以外にも、大阪・関西万博が開催されており、一時期は各国の王族の接遇もありました。それに加えての各地への慰霊のためのご訪問は、いまだご体調の波と闘う雅子さまにとって、まさに過酷ともいえる日程だったと思います」(前出・皇室担当記者)

5月24日には「全国植樹祭」に出席するための埼玉県へのご訪問を直前になって取りやめられ、宮内庁を震撼させた。

■長崎ご訪問が雅子さまの試金石に

宮内庁関係者によれば、

「御代替わり以降、雅子さまの四大行幸啓のご欠席は初めてで、側近たちも激しく動揺しました。しかしそれから2カ月、『フローレンス・ナイチンゲール記章授与式』では、輝くような笑顔をお見せになりました。

理由の一つはモンゴルご訪問で予定以上に行事に出席できて、ご自信につながったこと、もう一つは7月の那須でのご静養で、うまくリフレッシュできたためではないでしょうか」

いよいよ今年の慰霊の旅のラストスパートに入ろうとされている雅子さま。だが雅子さまは“最後の目的地”長崎から、新たな挑戦を始められるおつもりだというのだ。

「9月の長崎県ご訪問は“2泊3日”のご滞在となる予定です。雅子さまが適応障害を発症されてから、地方ご公務に復帰されて以降、ご体調に過度な負担がかからないように、“1泊2日”のご滞在が基準とされてきましたので、宮内庁内でも驚きの声が上がっているのです。

なお今年6月の沖縄県ご訪問や広島県ご訪問も1泊2日でした」(前出・宮内庁関係者)

雅子さまにとって、長崎県ご訪問は’96年以来、29年ぶりとなる。

「今回は長崎市の平和公園で供花されたり、被爆した高齢者たちが暮らす施設を訪問されたり、四大行幸啓の一つである『国民文化祭』関連の行事にも臨席されるそうです」(前出・皇室担当記者)

雅子さまの滞在“延泊”ご決断について、名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんは次のように語る。

「私も長崎県での2泊3日のご滞在はとても画期的なことだと思います。どうしても地方ご訪問では、行事に出席されることが優先されます。短いご滞在では、せっかく訪問されても、国民とのふれあいの機会や時間も非常に限られたものになってしまうでしょう」

雅子さまは、これまでも国民とのふれあいの時間が限られてしまうことを悩まれていたという。

「天皇陛下も雅子さまも、特に地方ご訪問では、予定のスケジュールをオーバーして地元の方々とお話しされることが多いのです。

その場を離れざるをえなくなっても、いつも名残惜しそうなご表情を見せられています。 そういった意味では、9月の長崎ご訪問は雅子さまにとっての“試金石”ともなるのではないでしょうか。特に支障がなければ、ゆくゆくは“2泊3日”という期間が地方ご訪問の新基準になる可能性も高いと思います」(前出・宮内庁関係者)

また前出の河西さんも、

「ご滞在日程が1日増えれば、訪問できる施設や場所、交流できる人数も増えます。天皇皇后両陛下にじかに接する人々が増えれば、いっそう“国民に近しい皇室”が体現されるでしょう」

“もっと国民との時間を”、雅子さまは記章の真っ赤なリボンのような、燃える熱情を胸に秘められている。

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