東京都東大和市の多摩湖にも近い住宅街の一軒家。その2階のリビングが「多摩スタンダップコメディクラブ」の会場だ。

毎月第2土曜日の開催、料金はフリーの投げ銭制で、観客として見るだけでなく、誰でもパフォーマーとして参加できる。

スタンダップコメディとは、マイク1本を手に、ユーモアや風刺の利いた時事ネタなどで観客を楽しませる話芸。欧米を中心に根強い人気だが、最近は日本でも頻繁にライブが催されるなど、注目のエンタメのジャンルでもある。

1年前にここを立ち上げたのが、主婦で介護福祉士の白岩佳子さん(62)。次男の次郎さん(31)とのコンビでマイクの前に立つ。

「次郎、準備はいいかな?」

「(困った感じで)アー」

「はいはい、あと5分ね。相方の次郎は、本番直前までネタのチェックのようです。といっても息子はIQ18で、語彙も10個程度ですから、彼のネタ帳は私たちには判読不能な線ばかりですが……」

「(少し語気を強く)ママ!」

「ごめんごめん、余計なことを言っちゃったわね」

次郎さんには重度の知的障害があり、彼の発する「アー」「ママ」といった短い言葉を、白岩さんが“通訳”するかたちでライブは進行していく。

リビングに立てられたマイクの前での、母子の絶妙な間合いのやり取りに会場は爆笑のウズ。トレードマークのタオルを首に巻いた愛嬌たっぷりの次郎さんも、ますます調子を上げていくのがわかる。

白岩さんがスタンダップコメディと出合ったのはコロナ禍のころ。当時、母子は三重県四日市市で暮らしていた。

次郎さんは社会生活に備える専攻科を終え、そのまま学校に残り、売店でのパン販売などのバイトで月に約1万円の工賃を得られるようになっていた。だが、コロナ禍で学校閉鎖のあおりを受け、次郎さんの生きがいだったバイトは打ち切りに。

「公的支援も軒並みストップ。私たち障害者家族は、閉塞した社会に突然放り出された感じでした。ぼうぜんとしてネットを見ていたら、この笑えない世界を笑おうとしている人たちがいたんです。それがスタンダップコメディとの最初の出合い。彼ら自身、出演する劇場なども次々にクローズされているのに、それさえネタにして笑い飛ばしていた。これだ! と。

たまたま最初に見たのが、YouTubeの誰でも参加できる番組。ただ自作の詩を読むだけだったりで、私、いつもの調子で、『私のほうがおもしろい』なんて大胆なことを思うんです(笑)」

すぐにネタ作りに励む白岩さんだったが、同時に、母子での上京を決断。東大和市に落ち着いたのが’21年春だった。

「地方での福祉や公的支援の限界を痛感して、じゃあ、日本の首都ではどうなんだと、そんな期待もありました。

そしたら東京、地方と変わらない(苦笑)。行政の人手不足やたらい回しはどこも同じ。もう、笑うしかないじゃないですか。そこで、本格的に自作ネタの動画を自撮りして、ネットへの投稿を始めるんです。

最初のネタは“マサイのルッキズム”で、当時、ある国会議員の『顔で選べば(わが党の女性候補が)一番』との発言を皮肉るもの。マサイの人たちの美の基準は姿形の容姿じゃなく、アクセサリーの量で決まるという話。誰でも努力で美人になれるマサイの人たちってすごくない!? というネタでした」

続いて’22年4月には、ネットから劇場に乗り込むかたちで日本橋コメディクラブに初出演。

「テーマは“インフルエンサーとお金”。とにかく、たまった思いを吐き出せて、その爽快感のとりこになりました。そのうちMCの方が遅刻して私が代わりに出る機会があって、『みんな、どこのおばさんが出てきたの、と思ってるでしょ』というツカミだけで会場は爆笑。それだけ50代、主婦のスタンダップコメディアンの存在は珍しかったのでしょうね。

劇場出演を続けるなかで出会い、勝手に師と仰ぐのが、日本のスタンダップコメディ界トップランナーのぜんじろうさん。

彼に教わった『不幸+時間=笑』という方程式。つまり、つらいことも時がたてばネタになる、実はおいしいんだという考えは、私と次郎にとって人生の宝物となりました」

多摩湖畔にある現在の一軒家に引っ越したのが’24年6月。早くもその翌月には、自宅での第1回のライブを開催。

「知人の紹介で格安の家賃で借りられるこの家で、15畳ほどあるリビングを見た瞬間、次郎とライブをしている光景が浮かんだんです。ここを作った理由は2つあって、1つはお客さんにストレス発散していただくこと、もう1つは次郎のための舞台を作りたかった。息子は楽しいことが大好きですから」

白岩さん本人も、自宅でのライブを通じての自身の成長や変化を実感している、と話す。

「私、こう見えて、いや見たとおりかな(笑)、もともと社会に対しては、はっきりと意見を言うタイプでした。でも、以前は自分の思いを言い切って終わってた。それがスタンダップコメディをやるようになって、『……って言ってる私って、いったい何者よ!』と、自分にツッコミを入れられるようになったんです。

正直、いまだ寝る前の歯磨きを嫌がる次郎との毎日は大変なことばかり。でも、どんなことがあっても、最後には次郎が生まれた直後の『生きていてくれるだけでいい』、に立ち返ります。同時に、次郎がいなければ出会えなかった人たちの顔も浮かんできて。

そう、私が次郎の面倒を見ているのではなく、私の手を引っ張り、社会を切り開いてくれたのが次郎だった。その行き着いた先が、この、どこにでもあるおうちのリビングでのライブなんです」

「次郎のIQ18をあえて前面に出すのは、あのやまゆり園事件(16年7月、神奈川県相模原市の知的障害者施設で元職員により入所者が刺殺された、「津久井やまゆり園事件」)の犯人や、同じ考えを持つ人たちの掲げる優生思想のなかで、IQ20で線引きし、その下の人間は社会に不要との考えがあるからです。人は誰にでも、容量ってあると思うんです。次郎たち知的障害のある人は、その容量や処理能力が一般人より小さいだけ。でも、それはけっして人間の幸せを測るものさしではないですよね。

先日、次郎は1人で出かけたスーパーで不審者として買い物客に通報され、警察官に尋問されたと泣いて帰ってきました。もちろん、ただ買い物していただけです。うちは2人暮らしですから、私が倒れたりしたとき食べる物に困らぬよう、買い物の練習はずっと続けていました。それなのに……。あの子だって、好奇の目で見られるより、笑顔で接してもらえるほうがうれしい。そんな当たり前のことを知ってほしいのです」

“次郎君、スーパーでおまわりさんに捕まる”は、最近の母子の定番ネタでもある。もちろん、最後には、オチもつく。

「そんな怖いスーパー、こっちから出禁にしました。たち、転んでもタダでは起きない親子なんです。でも次郎に言わせると、おまわりさんより怖いのがママです」

次郎さんは現在、市内の障害者福祉サービス事業所が運営する食堂で週3日のバイトをしている。ある日、勤務後に帰宅した次郎さんはいつになく落ち込んでいた。

「30分ほどかけて話を聞けば、どうやらランチの時間に接客係をして、お客さんを間違えて予約席に座らせてしまったようです。だから、私、言いました。『次郎。人生、そんな失敗はよくあることよ。でもね、いつまでもクヨクヨしてないで、たまには水に流すことも大切。ママも、そうやって生きてきた』。次郎も、「ママ!」と言いながら、納得してくれました」

取材の最後に母子のツーショット撮影をお願いしたら、2人は自宅と最寄り駅の中間にある、お気に入りの野の花の生い茂る抜け道に案内してくれた。照りつける太陽の下、次郎さんがいつもヨダレを拭くタオルで、ゴシゴシと母の額の汗を拭ってあげる姿があった。

「実は、今の家を格安の家賃で借りられるのはあと2年なんです。でも期限があるのは、私たち親子の前進のためには逆によいことと捉えています。幸い、最近は福祉関係や行政からの母子コンビでの出演依頼も増えていますし。

2年後、ここを出て行くとき、次郎の入る施設を血眼で探すのか、2人でスタンダップコメディアンとして全国ツアーに出るのか。後者のほうが絶対に楽しいでしょ。

そうした活動の先に、障害のある人も健常者も一緒に暮らせるグループホームやシェアハウスを作ることができるといいなぁ」

簡単な道のりでないことは承知のうえと、いつになく深刻な表情だったが、数日後、彼女らしいメールが届きホッとする。

《明日から大阪でスタンダップコメディのライブに出演。次郎のおまわりさんネタとジェンダーギャップネタで大爆笑とるぞ!》

(取材・文:堀ノ内雅一)

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