歌手の橋幸夫さんが9月4日に亡くなったことを5日、所属事務所の夢グループが発表した。82歳だった。

「橋さんは’60年に『潮来笠』でデビューと同時にいきなり大ブレイク。同曲が爆発的にヒットしたことをうけ、日本レコード大賞に新人賞が新設されることとなり、同賞の初受賞者に。同年の『NHK紅白歌合戦』にも初出場しました。

’62年の吉永小百合さん(80)とのデュエット曲『いつでも夢を』と、’66年の『霧氷』では日本レコード大賞を受賞。西郷輝彦さん(享年75)、舟木一夫さん(80)とともに『御三家』と呼ばれ、国民的な人気を博しました」(芸能関係者)

‘23年5月に歌手活動の引退を発表したものの、’24年4月に会見を開き引退を撤回した橋さん。近年は「生涯現役」を宣言し、歌手として人生を全うする決意を見せていたという。しかし今年5月、アルツハイマー型認知症を患っていることが夢グループの石田重廣社長(67)によって公表された。

同月31日、橋さんは兵庫県で開催された事務所の20周年記念公演に参加したが、その後、自宅から救急搬送され、一過性脳虚血発作との診断が下されて入院することに。6月11日の滋賀公演で復帰したものの、その数日後に再入院したという。

そして9月1日、再び石田社長によって再入院中の橋さんの病状が明らかになった。石田社長は「僕の顔も忘れる、言葉も忘れる、大きないびきをしてずっと寝ています」と橋さんの状態を明かしつつ、話しかけたところ反応があったとして、「橋さんは生きています。脳以外は元気です」と語っていた。

しかし、それからわずか3日後、橋さんは帰らぬ人に……。そんな橋さんがここ数年再会を望んでいた人物がいるという。その人物とは橋さんの長女Nさんだ。本誌は’98年、都内の老人ホームで介護士として働くNさんを取材している。

Nさんは高校1年生のとき、介護士を志すようになったそうだ。彼女は当時、橋さんの実母が入居していた介護施設を見た帰り、車の中で両親に向かってこう話したという。

《私、あの施設で働く人たちの姿を見て、感動しちゃった。だって、ほんとうに輝いているんだもん。私も、あんなふうにお年寄りのお世話をする仕事につきたいの》

この言葉に橋さんはひどく感動したようで、当時の取材に“あの言葉が、私にとっても妻にとっても、最高に嬉しいプレゼントでした”と答えていた。しかし、それから長い年月が経ち、橋さんとNさんの間には大きな溝ができてしまった。

「Nさんとは“絶縁”状態だったようです。橋さんは’17年に47年連れ添った奥さんと離婚しました。

それから約8年間、橋さんとNさんは連絡をとっていないのだとか。離婚後すぐに別の女性と再婚した橋さんに対し、Nさんは複雑な気持ちを抱いていたようです。現在、Nさんは介護士の仕事からも距離を置いています」(橋さんの知人)

橋さんの前の家族については、夢グループの石田社長が本誌の取材に対し、こう明かしている。

《橋さんの前のご家族に関していえば、息子さんは2年前の引退コンサートに来てくれたのですが、前夫人と長女さんとは、私もお会いしたことがありません。橋さんとしても、ご長女とは再会したいと考えているのかもしれませんが、願いは叶っていないようです》(『女性自身』2025年6月10日・6月17日合併号)

橋さんの通夜は9日午後6時から、葬儀と告別式は10日正午から、いずれも東京・文京区の浄土宗無量山傳通院で営まれる。2人は最期のお別れの場で、“再会”を果たすことができるだろうか――。

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