9月4日、『潮来笠』など数々のヒット曲で知られる歌手の橋幸夫さんが肺炎のため亡くなった。82歳だった。
同月10日、橋さんの葬儀・告別式が東京・文京区の無量山傳通院で営まれ、彼と親交が深かった著名人や一般のファンなど約600人が参列した。
「橋さんの位牌は、18歳年下の妻・真由美さんが持っていました。霊柩車に棺を運び入れる際、橋さんの後進ユニット3人組『二代目橋幸夫 yH2』がお別れに『いつでも夢を』を歌い始めると、ファンたちも大雨のなか大合唱。昭和の大スターを送るにふさわしい葬儀になりました」(スポーツ紙記者)
舟木一夫(80)、西郷輝彦さん(享年75)とともに昭和歌謡「御三家」として一時代を築いた橋さん。‘23年5月に一度歌手活動の引退を発表するも翌年4月に撤回し、「死ぬまで歌う」と決意を見せていたが――。
「今年5月にアルツハイマー型認知症を患っていることが所属する『夢グループ』の石田重廣社長から公表されました。その後に同事務所の20周年記念コンサートに出演したのですが、公演後に自宅から救急搬送。一過性脳虚血発作との診断が下されて入院することになりました」(前出・スポーツ紙記者)
6月8日に退院し、同月11日の滋賀公演で復帰したものの、その数日後に再び入院。9月1日には、石田社長が「橋さんは生きています。脳以外は元気です」と橋さんの病状を報告。しかし、その3日後の訃報だった。
そんな橋さんには、一つ“心残り”があったという。
「橋さんは、最後まで長女Nさんとの再会を望んでいたのです」(橋さんの知人)
本誌は’98年、都内の老人ホームで介護士として働くNさんを取材していた。Nさんが介護士を目指したきっかけが、高校1年生のときに当時橋さんの実母が入居していた介護施設を訪れたことだった。Nさんは施設からの帰り道、車の中で両親に向かってこう話したという。
《私、あの施設で働く人たちの姿を見て、感動しちゃった。だって、ほんとうに輝いているんだもん。私も、あんなふうにお年寄りのお世話をする仕事につきたいの》
この言葉に橋さんはひどく感動したようで、当時の取材に“あの言葉が、私にとっても妻にとっても、最高に嬉しいプレゼントでした”と答えていた。しかし、それから長い年月が経ち、’17年に橋さんが47年連れ添った奥さんと離婚。それから約8年間、橋さんとNさんは連絡をとっていなかったという。
「離婚後すぐに別の女性と再婚した橋さんに対し、Nさんは複雑な気持ちを抱いていたようで、2人は“絶縁状態”にありました。現在、Nさんは介護士の仕事からも距離を置いているようです」(前出・橋さんの知人)
今年5月、本誌の取材に対して石田社長もこう明かしていた。
《橋さんの前のご家族に関していえば、息子さんは2年前の引退コンサートに来てくれたのですが、前夫人と長女さんとは、私もお会いしたことがありません。橋さんとしても、ご長女とは再会したいと考えているのかもしれませんが、願いは叶っていないようです》
はたして橋さんの“願い”は叶ったのだろうか。
「今は告別式が無事に終わって、奥さんの真由美さんともども、ほっとしているところです。橋さんに生前、“もし死ぬことになったら(葬儀などを)よろしく”と言われたことを全うできたことに彼も喜んでくれているかと思います。
私は前夫人と娘さんの顔を存じあげておりません。葬儀には親族の方もたくさんいらっしゃいましたが、とくに挨拶がなかったため、おそらくお二人ともお越しにならなかったのではないでしょうか」
前夫人やその家族は遠くから見送ったのだろうか――。