9月11日、59歳のお誕生日を迎えられた紀子さま。天皇陛下と雅子さまにご挨拶するため、午前11時ごろに皇居に入っていかれた。

紀子さまは車の窓を開けて報道陣に会釈をし、朗らかな笑顔をお見せになっていたが――。

紀子さまはお誕生日に際して、例年どおり宮内記者会からの質問に回答する形式で文書を発表された。だが、その文字数が“異例”のボリュームだったのだ。

「秋篠宮さまが皇嗣になられた’19年、紀子さまが発表されたお誕生日のご回答文書は約2200文字でした。以後、文字数は年々増加傾向にあり、昨年に発表されたお誕生日のご回答文書は約9500文字。ところが今年は1万7000文字を超え、昨年の倍量に近いご回答文書を発表されたのです。

この一年を振り返ると、紀子さまはご自身のご公務に加え、悠仁さまの成年式のご準備など多忙を極めていらっしゃいました。それでも並々ならぬ熱量でご回答文書を準備されたのは、悠仁さまの成年式を滞りなく終えられた喜びが大きかったのかもしれません」(皇室担当記者)

宮内記者会から寄せられた質問は、大きく分けて三問だった。

一問目は悠仁さまに関する質問で、「成年式を終えられた感想」「成年皇族としてどのように歩んでほしいか」など複数の問いが含まれていた。紀子さまはそれらの問いを一つ一つ個別に分けて、丁寧に回答されていた。

なかでも「成年式を終えられた感想」に対するご回答は1000文字を超え、紀子さまは秋篠宮さま、悠仁さまと準備を進められてきたこと、悠仁さまのご様子などをつづられていた。その上で、文章をこう締めくくられていた。

《悠仁が一つ一つの務めを果たし、一連の行事が滞りなくおこなわれるように、準備し支えてくださった関係者のご尽力に深く感謝しております。そして、悠仁が誕生してから成長していく日々をお見守りくださり、成年式を迎えたことへ祝意を寄せてくださった多くの方々に心から感謝いたします》

続く二問目は、紀子さまのご活動やご体調などについての質問だった。紀子さまは昨年12月のトルコ公式ご訪問をはじめ、広島や大阪・関西万博、能登半島の被災地などのご視察について、それぞれ細やかに記されていた。

■紀子さまがお誕生日のご回答文書でお使いにならなかった「二文字」

さまざまな場所での出会いや交流について、具体的に振り返られていた紀子さま。しかし長い文書のなかで使われなかった言葉が――。それは「国民」という言葉だ。

紀子さまは二問目のご回答のなかで、《若い世代の人々》《現地で出会った方々》《お目にかかった方々》など特定の人々を表す言葉を用いられていた。

また、文章の終盤では気温の上昇にも触れ、《このような極端な気象によって、生活や健康に影響を受けた人々のこと、植物などの生き物のことも案じています》とつづられていた。しかし、こうした文脈でも「国民」の言葉をお使いになることはなかった。

続く三問目のご家族に関する質問でも、ご回答のなかに「国民」の言葉は見当たらなかった。

いっぽう、陛下と雅子さまのお誕生日に際しての記者会見やご感想では、過去5年をさかのぼっても、「国民」の言葉が必ず使われている。

例えば、雅子さまは昨年のお誕生日に際してのご感想で、《これからも国民の皆様の幸せを祈りながら、できる限りの務めを果たしていくよう努力したいと思っております》と締めくくられていた。

皇太子妃時代の’18年にも《国民の皆様から日頃よりお寄せいただいている温かいお気持ちに、この機会に重ねてお礼を申し上げます》などと綴られていた。

しかし紀子さまは今年だけでなく、過去をさかのぼっても「国民」の言葉を避けてこられたようだ。宮内庁の公式サイトで公開されている’19年以降のお誕生日のご回答文書には、「国民」の文字が一度も使われていなかったのだ。

とりわけ、今年は文字数が約1万7000文字を超えていた。にもかかわらず、紀子さまが一度も「国民」の言葉をお使いにならなかった背景とは。ある皇室担当記者は言う。

「察するに紀子さまは、皇后である雅子さまへの遠慮がおありなのかもしれません。文書の差別化を図るため、あえて特定の人々を指すような表現をなさっているようにお見受けします。また、秋篠宮家は長女・眞子さんの結婚問題や宮邸の改修費用をめぐって、国民から大きな批判を集めてしまいました。ここ数年では秋篠宮さまも、お誕生日の会見で『国民』という言葉を使っておりません。ご一家への批判もあることから、ご夫妻ともに“すべての国民から支持を得ているわけではない”という思いを抱かれているのかもしれません」

悠仁さまが成年皇族としてご活躍されるにつれ、紀子さまの文章表現がお変わりになることはあるだろうか。

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