【前編】《初単独ライブ開催》柳沢慎吾“芸能界引退”を救った樹木希林さん「まさかの一言」から続く
約3時間の取材中、立ち上がっての実演23回、効果音や音楽付きでの説明103回、ものまね再現63人(一般人含む)……俳優・柳沢慎吾(63)はテレビと全く変わらないどころか、それ以上のテンションでしゃべりまくった。
一方で時折、真剣な表情で語る姿もあった。
’87年、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)の収録を終えた松方弘樹が柳沢を呼び出し、’88年開始の『遠山の金さん』(テレビ朝日系)に柳沢を誘った。
「(撮影所の)京都の太秦は怖いと聞いていましたし、乗り気ではなかったんです。でも、松方さんが『俺がいるから大丈夫だ。若いうちに引き出しをたくさん作っておけ』って。『バラエティの仕事もやっておけ。年取ってから役立つぞ』とも教えてくれました」
松方の言葉を素直に受け止め、柳沢はバラエティにも積極的に挑戦していく。’89年、日本テレビのとんねるずの特番内で、芸能人のねるとんコーナーに出演。元おニャン子クラブの内海和子にフラれると、「あばよ!」と叫んだ。
「タカちゃん(石橋貴明)のおかげですね。
時代劇で萬屋錦之介、若山富三郎などの重鎮と共演し、バラエティで名フレーズを誕生させる。順風満帆な芸能生活を送っていたが、私生活では恋人と破局を迎えた。
「彼女はヘアメークもしていたし、お互いに忙しかった。何度電話してもスレ違いが続いて、自然と距離ができていったんですよね」
だが、2人は赤い糸で結ばれていた。バブル景気に沸く’90年のクリスマスイブ、柳沢は六本木駅前の交番前でドラマのロケをしていた。24時を回るころ、見覚えのある顔が横断歩道を渡って歩いてきた。
「しんちゃん……」
離れていた糸が再び、交わった。
「正面にポンと彼女が現れた。あの場所でロケをしなかったら、たぶん会ってないと思う。その後、電話してヨリが戻ったんですよね」
1年半後、彼は結婚を決意した。
「僕って、気難しい性格なんですよ。自分の車は絶対に汚されたくないから飲食禁止。
■「彼女は自分の両親にも結婚相手を伝えていなかった」
’91年初夏のデート帰り、国道246号の路肩に車を止め、プロポーズをした。
柳沢:一緒になろう。もう、あばよと言わすなよ。
彼女:うん。
婚約が成立した瞬間、外から怒号が飛んだ。
「『品川ナンバー、移動してください。駐車禁止ですよ、運転手さん』と自動車警ら隊がマイクで叫ぶのよ。♪ブーンブンブンって逃げるように去っていったね(笑)」
両親の家にあいさつに赴くと、柳沢は驚愕した。
「お父さんとお母さんが僕の顔を見た瞬間、『……えぇ!?』って。両親にも、交際を伝えてなかった。本当に口が堅いんです」
専業主婦に転身した妻の支えを受け、柳沢の勢いはさらに増していく。’94年、ドラマ『オレたちは風』(北海道テレビ)に主演。ある日、突然降り出した雨のため、ロケバスで木根尚登と待機していた。
「『警察24時』の話をしていたら、木根さんが『タバコのパッケージを使ってしゃべると無線の音に聞こえますよね』と教えてくれたんです。早速、その夜の宴会で試したら、スタッフに大ウケした。木根さんがいなければ、あのネタは生まれなかったですね」
「ひとり警察24時」「ひとり甲子園」は柳沢の代表作となり、テレビでの披露を頻繁に求められた。
「何度もやるから、飽きてきた。もうやめようと思いました。でも、不思議とそのころ、世間に浸透し始めたんです。松方さんに相談したら、『やめるのは簡単だぞ。
定番の「あばよ!」も、違う言葉にしようと模索した。
「ちょうど、信州の方からお手紙をもらいました。『私たちの地域では別れの挨拶は“あばさ!”と言います。ぜひ使ってください』って」
柳沢は早速、『なるほど!ザ・ワールド』(フジテレビ系)の収録で新フレーズを披露した。
「おまらに首ったけさ。あばさ!」
会場は沈黙に包まれた。
「シーンとしたの(笑)。『は? 何言っちゃってんの?』みたいな空気でしたよ。やっぱり、『あばよ!』なんだろうなって」
百発百中に見える柳沢も、試行錯誤を繰り返してきた。それは今も変わらない。定番ネタの芯は変えないものの、改良し続けている。「ひとり警察24時」で無線の音を再現する際、本物により近いソフトパッケージの音を求め、現在はオリジナルの箱を使用。
「最近、『あばよ!』と言っても、『あのセリフが聞けた』という反応で笑いにつながりづらいんです。だから、『あばよ……ゲッツ!』とダンディ坂野さんのネタを加えています。これが意外にウケるのよ」
40年以上交流の続く中島唱子は、柳沢の人気の秘訣をこう分析する。
「柳沢先生はすごく運を引き寄せる人なんです。それは、すごく気遣いのできる常識人だからですよ」
数年前、柳沢出演のドラマで、真冬に夏のシーンを撮影していた。機材セットの待ち時間に、俳優陣にはすぐ上着や暖のとれる場所が用意されたが、エキストラはそのまま野外で待機していた。それを見た柳沢はスタッフに「みんなに用意しないとダメじゃないか」と強い口調で注意した。
「普通そこは見えなくなっちゃうんですよ。同じ現場にいる人たちの隅々まで見えていて誰に対しても誠実で温かい。彼の人間性ですね。今もスタッフ、キャスト全員に気を配れるし、人の痛みがわかる。
中島には、6年前の出来事が脳裏に刻まれている。
「私が『最後の舞台になるかもしれないから見に来てほしい』と電話したら、『もちろん行くよ』って」
だが、収容人数の少ない劇場なのに、7割も埋まりそうにない。本番の数日前、中島は「無理しないでいいよ」と伝えた。すると、柳沢は真剣な口調になった。
「何言ってんだよ、唱子。晴れ舞台なんだから、誰も入ってなくても行くよ」
当日、劇場に訪れた柳沢は、楽屋に花とバウムクーヘンを届け、終演後に唱子やスタッフに焼き肉をごちそうした。数日後、中島に電話した。
「唱子の舞台、すごく感動した。冒頭で、長ゼリフを完璧に言ったでしょ。俺も負けちゃいられないと思った。この前、何十行もセリフがあるCMの依頼があった。受けるか迷ったけど、挑戦するよ」
中島は涙をこらえた。
「私が大変なときに寄り添ってくれた。昔からずっと優しいんです。本当に柳沢先生は変わらない。『CMの依頼があった』と必ず自慢を入れてくるところも(笑)」
■ベンツを相談なく購入で愛妻と大ゲンカ「1週間、口をきいてもらえませんでした」
柳沢の気遣いは頭抜けている。ドラマ“翔んだシリーズ”の撮影中、ADの実家に居候していた。赤の他人にもかかわらず、彼の母親はわが子のように自分を扱ってくれたという。その恩を忘れず、40年以上も正月の電話と母の日の花束を欠かさなかった。
「他人の子供の面倒を見るのは大変だったと思うんですよ。ホント、お世話になりましたからね。数年前に亡くなったんですけど、最後に会えてよかったです」
結婚33年を迎える妻にも毎年、誕生日プレゼントを贈っている。
「赤いバラを50輪くらい束ねて渡しています。昔は英字新聞で包んでくれる店がありました。オシャレでしょ? 日本の新聞だとテレビ欄にTBS、日本テレビ……とか書いてあって、雰囲気が出ないんですよね」
ある年、生花店が英字新聞を切らしていた。
生花店:すみません。今日、読売新聞になっちゃいました。
柳沢:えっ…英字新聞ないの?
生花店:朝日新聞ならあります。
「『そういう問題じゃないだろ!』って心の中で突っ込みましたよ(笑)。奥さんはあれ欲しい、これ欲しいと言わないし、高級店での食事も望まない。だから、せめてバラを贈ろうかなって」
仲むつまじい夫婦生活を送っているが、大ゲンカもした。’05年、無類の車好きである柳沢は高級車であるメルセデス・ベンツの購入を電話で即決。「今買わないと、ほかのお客さんが入りますんで」とディーラーにせかされたため、妻には相談していなかった。
柳沢:買っちゃったよ。
妻:何を?
柳沢:純白のメルセデス。
妻:……はあ!?
柳沢:頼むよ。銀行行って、お金下ろしてくれよ。
妻:自分で行けば?
「途中から『ふぞろいの林檎たち』の中井貴一のような話し方になっちゃって。『相談しない自分が悪いんだ。でも、違うんだ。向こうが……向こうが焦らすんだ。だから、決めちゃったんだ。本当に申し訳ない。金輪際気をつける。中井貴一です』。そしたら、『なんで中井さんのまねしてんの?』とますます怒られましたよ。最終的には、泣く泣く行ってくれましたけどね。1週間、口きいてくれなかったですよ」
お金は妻が管理し、必要なときにもらうシステムだという。
「僕は、下ろし方がわからないんですよ。キャッシュカードを2回もなくしているし、自分で引き出せると気前よく使っちゃうんですよね。独身のころ、松方さんに憧れて、スタッフ十数人連れて、料亭で最高37万9千円ごちそうしたこともありましたからね」
■盟友・中島唱子が証言─「柳沢先生はすごく寛容な奥さんに支えられている」
家庭人としては少々“ふぞろい”な柳沢。前出の中島は、妻の度量の広さと洞察力に感心していた。
「携帯がなかったころ、奥さんに家の電話を取り次いでもらっていたんですよ。普通、異性から連絡が来ると、いい気持ちはしない。でも、すごく寛容な方でした」
柳沢と中島が2人で焼き肉を食べに行く日、妻は「しんちゃん、今日は唱子さんに会えるから、ウキウキしてるね」と声を掛け、「唱子さんのこと、大事にしたほうがいいよ」と言った。中島は続ける。
「奥さんは私との電話を聞いていて、素の自分をさらけ出してると感じたみたいです。すごく夫をよく見ているし、柳沢先生は奥さんに支えられているんだなと」
柳沢は妻への感謝を述べる。
「結婚って赤の他人と一緒になるから、嫌なことありますよね。でも、大目に見てくれる。出演ドラマを一緒に見ても、『よかったよ』と必ず褒めてくれる。『こうしたほうがいい』とか一切言わない。僕は本当に先輩、仲間、スタッフ、家族、妻に恵まれた。運がよかったですよ」
天狗になった時期もあった。仕事に疲弊したころもあった。苦難の道に差し掛かったとき、人に支えられた。その感謝を表現しながら、芸を磨き続けた。恩義と努力を忘れなければ、運が巡ってきて、チャンスをモノにできる─―。そんな「柳沢の法則」が46年に及ぶ人気の秘訣である。
(取材・文:岡野誠)