長嶋さんが亡くなられてからのこの半年間、ジャイアンツ戦を見ながら、長嶋さんのことを思い出していました。あらためて感じたことは、長嶋さんはファン思いで、野球を広めることにとても尽力された方であったということです。

私はデビュー当時からジャイアンツの仕事をたくさんさせていただきました。始球式を務めさせていただいた’94年のシーズン初戦。その秋にジャイアンツは日本一になりました。それもあってでしょうか、ラジオ局やテレビ局の現場でお会いするたびにスタッフの方を止めて「次の始球式もひかるちゃんね。ひかるちゃんは勝利の女神だから」とずっと言ってくださいました。そういった誰に対しても気遣いを忘れない、優しい姿が今は思い出されます。

ほかにはスポーツジムでお会いすることもあり、そのときも気軽に声をかけてくださいました。カジュアルな服装でもいつも上品な着こなしをされていて、本当に素敵な方だなと思ったのを覚えています。そして私が嫁いだ先の家で所有していた車が、偶然にも、以前長嶋さんが乗られていた車であることを知り、とても驚きました。そして一方的に特別なご縁を感じてしまいました。長嶋さんにお伝えしたところ「乗っていました。懐かしいなぁ」とおっしゃっていたのも、今ではいい思い出です。

闘病とリハビリを続けられていたなかでも、日本を代表する“ミスタープロ野球”として、プロ野球の発展に貢献し、多くの方に愛された長嶋さん。私にとっても、本当に太陽のような存在の方でした。天国でゆっくり休んでくださいね。

多くのスターたちが天国へと旅立った’25年。これまでのご活躍に敬意を込めて、色あせることのないその“笑顔”を、本誌秘蔵の写真で振り返る。

森永卓郎さん(享年67・経済アナリスト・1月28日没)

庶民目線でユーモアを交えた経済解説で活躍。お菓子の景品などのコレクターでも知られる。亡くなる直前まで自身の病状や経済への提言を発信した。

下條アトムさん(享年78・俳優、声優、ナレーター・1月29日没)

ドラマや映画に出演し俳優業と並行して、声優やナレーター業でも活躍。エディ・マーフィーの吹き替え作品を担当し、温かみのある声で親しまれた。

みのもんたさん(享年80・司会者、タレント、ナレーター・3月1日没)

『午後は○○おもいッきりテレビ』(日本テレビ系)など数多くの番組で司会を務め、「1週間で最も多く生番組に出演する司会者」として、ギネス世界記録にも認定された。

いしだあゆみさん(享年76・女優、歌手・3月11日没)

’68年『ブルー・ライト・ヨコハマ』が大ヒットし昭和の名曲に。

俳優業ではドラマ『金曜日の妻たちへ』『北の国から』など話題作に出演し存在感を放った。

■篠田正浩さん(享年94・映画監督・3月25日没)

’60年、映画監督デビュー。’86年に『鑓の権三』でベルリン国際映画祭の銀熊賞を受賞。その後も芸術作品から娯楽映画まで多様な映画作品を手掛けた。

■長嶋茂雄さん(享年89・プロ野球選手・6月3日没)

’58年、読売ジャイアンツに入団、’74年に引退。監督として5度のリーグ優勝、2度の日本一を達成。“ミスタープロ野球”の愛称で知られ、プロ野球の発展に貢献した。

遠野なぎこさん(享年45・女優、タレント・7月3日没)

10代から子役として活動。’99年、連続テレビ小説『すずらん』でヒロインを演じ、一躍有名に。摂食障害であることを公表し、闘病生活を発信していた。

■和泉雅子さん(享年77・女優、冒険家・7月9日没)

’63年に主演を務めた映画『非行少女』がモスクワ映画祭で金賞受賞。テレビ番組で南極を訪れ冒険家に転身。

日本人女性初の北極点到達を果たした。

吉行和子さん(享年90・女優・9月2日没)

’57年、舞台『アンネの日記』でデビュー。映画『愛の亡霊』(’78年)で日本アカデミー賞主演女優賞受賞。映画、テレビドラマと数多くの話題作に出演した。

橋幸夫さん(享年82・歌手・9月4日没)

’60年にデビュー。『いつでも夢を』(’62年)、『霧氷』(’66年)で日本レコード大賞を受賞。西郷輝彦舟木一夫と共に「御三家」として一世を風靡した。

■村山富市さん(享年101・政治家・10月17日没)

’72年、衆議院議員初当選。’94~’96年に首相を務め、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件の陣頭指揮を執った。’95年に戦後50年にあたっての談話を発表。

仲代達矢さん(享年92・俳優・11月8日没)

黒澤明監督の『影武者』(’80年)で主演を務め、カンヌ国際映画祭の最高賞へ導く。’75年「無名塾」を設立、後進の育成にも力を注いだ。

■菅谷大介さん(享年53・日本テレビアナウンサー・11月8日没)

’97年、日本テレビに入社。バラエティ番組や情報番組、スポーツ実況などで活躍。闘病生活を送りながら勤務を続け、後輩の育成や取材現場で奮闘していた。

みなさまのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

編集部おすすめ