「すてきな絵ですね」

鮮やかな色彩のホッキョクグマの絵の前で、画家・石村嘉成さんに、雅子さまは優しく語りかけられた――。

5月16~17日、天皇皇后両陛下は「全国植樹祭」などに臨むため愛媛県を訪問されていた。

17日、県立とべ動物園では、雅子さまが“会うのが夢”だったというホッキョクグマのピースと対面されて……。

「ピースは’99年生まれ。いっしょに生まれたもう一頭が母親に傷つけられたため、ピースは飼育員の高市敦広さんに育てられることになりました。抵抗力の低いホッキョクグマの人工哺育は難しいとされ、高市さんはミルクを与えるために試行錯誤を重ねたそうです。

26年にわたるピースと高市さんの絆をご存じでいらしたのでしょう。雅子さまは“涙が出ちゃう”とおっしゃるほど、感動されていました」(皇室担当記者)

実はとべ動物園での雅子さまの“感涙”は、この対面によるものだけではなかった。冒頭は両陛下が、石村嘉成さんが描いたピースの絵を鑑賞された際の一幕だ。

「石村さんは幼少期に自閉症による発達障害との診断を受けました。しかし、ご両親の愛情と努力、そして療育センターでの指導などによって成長し、高校3年生のときに創作活動を始めたのです。

’13年に『第2回新エコールドパリ 浮世・絵展』ドローイング部門で優秀賞を受賞し、各地で個展を開催しています。色彩豊かな動物の絵が評判を呼び、年々ファンも増えているのです」(前出・皇室担当記者)

■感激の画家が描いた両陛下の似顔絵

石村さんは、両陛下に次のような挨拶を読み上げた。

「(絵の)題名は、『誰かを待っているシロクマちゃん』です。

ピースちゃんが、大好きなキーパー(飼育員)の高市さんを待っているところを絵に描きました。

高市さんは、生まれたばかりのピースちゃんを一生懸命育てたそうです。私の母も、私のことを一生懸命に育ててくれました。私は小さいころ、泣いて暴れるだけの子供だったそうです。2歳で重い自閉症と診断されました。

そんな私を、母は、愛情のこもった厳しい療育で育ててくれました。母は、私が小学校5年生のときに病気で亡くなりました。しかし、大好きな母のことはいまでも忘れません。とべ動物園は、亡くなった母とよくいっしょに来た思い出の場所です」

石村さんの母・有希子さんは’05年にがんで逝去している。

「有希子さんは、石村さんの小学校に毎日通い、授業にも付き添っていました。石村さんの亡き母への思いは深く、遺してくれた動物のビデオや絵本が、ずっと創作のモチベーションにもなっているのだそうです。

雅子さまは、石村さんの言葉にうなずきながら目を潤ませていらっしゃいました。

両陛下はお会いする方たちのプロフィールには必ず目を通されています。雅子さまも、愛子さまが登校への不安を訴えていらしたころ、学習院初等科に毎日付き添っていらっしゃいました。石村さんを残して亡くなった有希子さんに、同じ母親として共感されていたのかもしれません」(前出・皇室担当記者)

石村さんの父・和徳さんによれば、生前の有希子さんは“雅子さまのファン”だったという。

「妻は雅子さまの同世代で、お妃候補としてお名前が挙がっていたころから、『小和田雅子さんが皇太子妃になればいいね』と言っていたのです。

両陛下は、私たちの活動もご存じでした。『どういう思いで描いていますか』というご質問に対しては、“動物の気持ちを考えて、動物の気持ちになって”描いているということをお伝えしました」

石村さんは、毎晩寝る前に絵日記をつけている。

《天皇皇后両陛下さんに会えて良かったです。いつかどこかで会いたいです》(原文ママ)

17日付の日記にはそんな文章とピースと両陛下の似顔絵が。

「絵日記は毎日2時間かけて書いています。絵については、当日の出来事とはあまり関係がなく、ほとんどが好きな動物を描いているのです。

これまで人物を描いたのは2回ほどでしょうか。この日、天皇皇后両陛下を描いたのは、お話しできたことが本当に楽しかったからでしょう」(前出・和徳さん)

画家・石村さんの魂を震わせた両陛下とのひととき。

雅子さまも、この日の出会いと感動をお忘れになることはないだろう。

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