どうしてそんな表情ができるのか、腰を抜かすくらいうまい。感情を抑制させながらも視聴者の心をつかむエモーショナルな名演。
男性俳優の演技を独自視点で分析する“イケメン・サーチャー”こと、コラムニスト・加賀谷健が、北村匠海のうま過ぎる演技を解説する。
腰を抜かすくらいうまい演技
柳井嵩役を演じる北村匠海は、どうしてこんなに演技を抑制しながらも、エモーショナルな状態を保っていられるのか。そう、抑制である。本作の北村は柳井嵩役を演じる上であらゆる感情を抑えて、控えめなのに視聴者の心をぐっとつかんではなさない。
何度でも言おう。うま過ぎる……。たとえば、高知新報に入社したのぶと嵩が雑誌編集部の取材で上京する第16週第76回。荒廃した東京を彷徨う孤児がのぶのカメラを盗もうとする。取り返そうとするものの、他の孤児に足をひっかけられて、嵩は出遅れてしまう。
抑制を保つ北村匠海の演技
路地から路地へのぶは孤児を追いかける。路地の途中でカメラを取り返してくれたのは、身銭をきって孤児たちを支援する八木信之助(妻夫木聡)だった。戦中、嵩は八木と同じ部隊に配属され、「気を引き締めろ!」と喝を入れられたことがある。追いついた嵩が八木を見て「八木上等兵」とぼそり。戦中はいろいろお世話になった。八木との再会は嬉しさ半分、驚き半分。いや、驚きの方が上回っているはずなのに、嵩は感情を抑えてぼそりつぶやくだけ。
これがのぶなら土佐弁で感嘆を表す「たまるか」と言って、驚きの感情を全身で表現するだろう。でも嵩はそうしない。小さい頃から繊細で引っ込み思案な性格だからといえばそうなのだが、ここまで抑制を保つ北村の演技を見ていると、ただ単に嵩役の控えめな性格を演じているだけとは思えない。
奇跡的にオーバーラップする名演
追いついた嵩はぼそりつぶやくだけで再会した八木に駆け寄ろうとしない。この場面に限らず、嵩はあらゆる状況で常に傍観者でいる。感情を抑え、傍観して、状況を観察する。だから他者に対して自ずと物理的な距離が生じる。のぶにカメラを返して孤児を叱る八木を見て「八木上等兵」と嵩がつぶやくワンショットでも当然、彼と八木との間には距離がある。じっと見つめる嵩に気づいているのかどうか、八木のほうでも見返そうとはしない。
ここではただ何ともいえない表情で離れた位置から眼差しを送る北村が、口をいの字にして相手を見つめているだけ。傍観する嵩の眼差し。北村の素朴な視線の向け方。それがこの路地の中で奇跡的にオーバーラップするかのように、今たしかに柳井嵩役として生きているという生々しい名演である。
どうしてそんな表情ができるのか?

演技には佇まいや(映像の)画面におさまる感性などさまざまな要素があるものだが、北村匠海の表情に限っていえば、これぞ演技の華だと思わせるだけの強さがある。
第17週第85回、東京にいるのぶの元に嵩が高知から不意打ち的にやってくる。四国の大地震で嵩の安否を心配して眠れなかったのぶは、その間やっと彼を愛していることを自認した。
嵩はのぶをずっと愛している。二人がお互いの気持ちを伝え合うこのラストの場面。のぶと抱き合う嵩が初めて他者と物理的に距離を縮める瞬間が感動的だ。
退勤してきたのぶが孤児たちに読み聞かせしてくれとせがまれる。すると八木が路地の先を見つめる。そこに嵩がいる。八木と再会して傍観するように視線を向けていたあの路地である。ここで初めてはっきりと嵩と八木の視線が交わる。八木が気を利かせて子どもたちを連れて退散する。
のぶに向き合う嵩が「のぶちゃん、久しぶり」と控えめに言う。嵩がずっと渡しそびれていたハンドバッグをのぶに渡したあと、右口角を微動させ、少し口を開け、やっと告白できた自分に少し照れて視線を動かす表情の完璧さ。
どうしてそんな表情ができるのか? あぁ、柳井嵩役の北村匠海はやっぱりうま過ぎる。
<文/加賀谷健>
【加賀谷健】
コラムニスト/アジア映画配給・宣伝プロデューサー/クラシック音楽監修
俳優の演技を独自視点で分析する“イケメン・サーチャー”として「イケメン研究」をテーマにコラムを多数執筆。 CMや映画のクラシック音楽監修、 ドラマ脚本のプロットライター他、2025年からアジア映画配給と宣伝プロデュース。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業 X:@1895cu