「辛い人ファースト」に込めた強烈なメッセージ
日本と日本人の国益を優先すべきとの訴えに対しても、「日本人ファーストだからパレスチナのこともクルドのことも他の国の辛い人のこと気にかけないんだろうな。醜悪な人種だ。同じ日本人として恥ずかしい 辛い人ファーストにしてくれよ」と全否定しています。矛先を向けたのは参政党だけではありません。神谷宗幣代表と対談した爆笑問題の太田光についても、厳しい言葉で切り捨てています。
「アメリカのコメディアンは政治家と対談するとき、必ず刺す。暴く。参政党神谷宗幣との対談をみた。俺の好きな爆笑問題太田は死んだ。暴けないなら芸人の資格剥奪だ」と投稿し、太田の姿勢を弱腰だと批判したのです。
「資格剥奪」発言に浮き彫りになる独善性
これに対し、ネット上では村本への批判の声が大勢を占めています。「パレスチナやクルドのことを持ち出すあなたは、実際に何か行動を起こしているのか?」とか、「どこの国もまずは自国ファーストで、そのうえで他国に対してできる範囲での貢献を考えるのは当然」といったコメントに多くの共感が集まっています。これらを踏まえて、筆者が問題だと感じるのは、参政党と太田光批判に至った村本の論法です。
つまり、あらかじめ彼の中だけで用意した答えから逆算して、発言をしているのです。
善悪で断じる思考が、最も敵を利する

よって、ここでは村本の思想を批判することが目的ではないこと、そして村本を批判するネット世論を支持するものではないことを、まず明らかにしておきます。
そうした村本の思想的背景や主義主張を尊重したうえで、それでもなお彼の言動に危うさがあるとすれば、それは物事を安易な対立関係で片付けてしまうことです。そして、そのような対立こそ、参政党が最も得意とする戦法であり、それは村本の意思に反して敵を利する行為になってしまいます。
にもかかわらず、彼は自ら敵地に乗り込んでいったのです。ほぼ丸腰で。
「刺せない芸人」と「刺さない芸人」の本質的な違い

仮に村本の言うように、コメディアンが政治家を「刺す」ことが正しいのだとしても、太田はいまがそのタイミングではないと踏んだ。その勘所を見極める感性において、やはり太田光は村本大輔以上の才覚を持ったコメディアンなのだと思います。
このように、村本の一連の言動を見ていると、すべてが脊髄反射的であり、近視眼的であり、物事を善と悪に振り分けることができると信じて疑わない幼い発想が根底にあることがうかがえます。
それは、村本が引き合いに出す「アメリカのコメディアン」とは真逆の資質であることは言うまでもありません。
<文/石黒隆之>
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4