長年、生理不順で3~4か月生理が来ないのは珍しくなかったこと、婦人科で不妊治療をしないと妊娠は難しいと言われていたこと、ADHD(注意欠如・多動性障害)の特性でセルフネグレクト癖があり自分の体の管理がおざなりになること、さらに算数障害(発達障害の一種で数字、計算に困難を抱える学習障害)で生理周期を把握していなかったことなどさまざまな要因が重なって、気付いたときにはすでに16週(妊娠5か月)に入っていた。
予定外の妊娠に後ろめたさを感じる
さて、この連載も8回目となった。「16週まで妊娠に気づかないなんてPV数を稼ぎたいがための嘘ではないか」というコメントも多く、Xではまったく知らないママアカウントからブロックされていることにも気づいた(出産・育児情報ばかり見ていたらアルゴリズムでマタニティアカウント・ママアカウントが多く流れてくるようになった)。しかし、それと同じくらい多いご意見が「障害者が子どもを産むな」「産まれてくる子どもがかわいそう」といったものだ。たしかに、セルフネグレクト癖があるため妊娠に気づくのが遅れたし、自らの世話すらできない人が産むのはどうかと自分でも思っていたので今まで積極的に子どもを持とうと思っていなかった。だからこのようなコメントが来るのは想定内ではあった。
この連載を始める前にXのアカウントで「太ったと思ってジムに通っていたら妊娠していた。16週に入っていてつわりもなくてもともと生理不順だったし気づかなかった」といった内容の妊娠報告をしたところ87万回ものインプレッションがあった。
多くはお祝いのコメントだったが、中には引用リポストで「つわりがなかったなんて過去のつわり中の私が見たら羨ましくて発狂しそう」「37歳でこんなに自分の体に無頓着だなんて……」「こういう人が未受診妊婦になるのか」といった少々炎上気味の反応も見られた。
私は予定外の自然妊娠だったが、妊娠して他の妊婦のSNSを見るようになってから、世の中には想像以上に不妊治療をしている人が多いことを知った。婦人科で子どもができにくい体だと言われたとき、不妊治療はお金もかかるしそれなら夫婦二人で毎週飲み歩いて暮らそうと楽観視していた。
けれど、世の中には赤ちゃんが欲しくて欲しくてたまらない人がいる、不妊治療に3桁万円の金額を費やす人や10年以上治療を続けている人もいると知り、軽い気持ちで「予定外の妊娠をした!」と発言したことが少し後ろめたくなってきた。
「産むための理由」がない人がいてもいい
そんなとき、映画監督・作家の中村佑子さんと作家の石田月美さんによる出産に関するトークイベント「わたしが、わたしのからだを孤独にしないために」をオンラインで視聴した。そのトークの中で「産むことに対して理由が必要な世の中になっている」という話題が取り上げられた。子どもが好きだから産む、子どもが可愛いから産むという人もいれば、私のように子どもができたから産む、という「産むための理由」が特にない人がいてもいいのではないだろうか。
私は妊娠判明時、おろすという選択肢は頭に1mmもなかった。16週だったためすでに人間の形をしていて顔もできあがっており、ピクピクと動いていた。こんな小さな人間を殺せるわけがない。
「発達障害者が産むと子どもがかわいそう」と言われがちだが、健常者でも子どもを虐待したり毒親になったりしている人もいる。発達障害だから出産や育児が厳しい、子どもがかわいそうな目にあうとは限らない。
それに、知り合いでも発達障害当事者で出産・育児をしている人が多くいる。中には子どもの発達障害が判明して自分もそうかもしれないと思って医療機関を受診したところ、自分も発達障害だとわかったというケースも珍しくない。そういう場合、親子とも治療を受けたり子どもを療育に通わせたりしている。
必ずしも子どもに障害が遺伝するわけではない

もし私のお腹の子に発達障害が遺伝したとしても、早期発見、早期療育に繋げて生きづらさを減らせればと思っている。
今は療育というものがある。私が子どもの頃は、ようやく自閉症が知られ始めた頃で療育はもちろんのこと、発達障害という概念すらまだ一般的ではなかった。発達障害の特性がある子どもは障害ではなく「問題児」として扱われていたほどだ。
小学生の頃授業中に教室をウロウロ歩き回っていた子、高学年になっても簡単な漢字の読み書きができなかった子の多くは発達障害だったのではないかと今になって思う。
まだ体罰が許されていた時代だったので、そういう子たちは教師から頭を叩かれたり1日中正座をさせられたりしていた。障害のせいでできないことを頭ごなしに叱られていたので、そりゃ子どもの自己肯定感は下がるし勉強も好きではなくなる。
私も算数LDのせいで小3あたりから算数の授業についていけなくなった。でも、他の教科はできていたのでただ単に算数が苦手なだけだと思っていた。教育熱心なほうだった親は私に算数のドリルを何時間もやらせ、できないと怒鳴りつけた。泣きながらドリルをやるも、できなくて怒鳴られる。その怒鳴り声が怖くて余計集中できなくなった。
やがて算数の学習に取り掛かろうとすると脳が拒否をする感覚に襲われるようになった。
発達障害の認知が低かった子ども時代
そして30歳のとき、発達障害を疑って受けた心理士と対面で行う心理検査の中に、算数の問題が含まれていた。また脳が拒否をする感覚に襲われた。正直に心理士に「脳が拒否をする感覚があります。理解できません」と伝えた結果、見事に算数LDとADHDの診断が下った。算数ができないことは努力不足ではなかった。障害だったとわかった。最初に湧き上がった感情は親への怒りだった。なぜどうやってもできないことを無理やりやらせようとしたのか。発達障害が認知されていない時代だったとはいえ、ここまでやってできないのなら何か脳の障害を疑い、子どもの頃に医療機関を受診させてもよかったのではないだろうか。
検査結果を親に知らせると最初は信じてもらえなかった。ADHDの検査には時間制限がある中で同じ記号を見つけるといったテストもあり、親にその内容を話すと「誰だって急かされたらミスをする」とまで言われた。親は発達障害に関して正しい知識がなかったのだ。
やがて私の書籍デビュー作『私たちは生きづらさを抱えている~発達障害じゃない人に伝えたい当事者の本音~』(イースト・プレス)が刊行されると、やっと親は少し障害に対して理解したように思える。母親は元養護教諭のため、これまで多くの加害行為をする生徒や知的障害のある生徒と接してきた。、そのためか、そういった子たちと比べることで私は障害のない子どもだと判断されていたようだ。
子ども時代に親や教師から受けた障害への無理解。もし、産まれてきた子どもが発達障害だったとしたら、こんなつらい思いを自分の子どもには絶対にさせたくない。そのために小さいうちから子どもの特性を気にかけ、必要であればすぐに療育に繋げるつもりだ。発達障害当事者や医師や専門家への取材も多く行ってきたおかげで知識は豊富だ。
障害を理由につらい思いをさせたくない

最近、どんな育児をしようか夫と話すことが多い。夫も私も一人っ子で親は私たちに『おかあさんといっしょ』を子ども一人で見せていたことが分かった。
他にも子どもと一緒にやりたいことや行きたい場所がたくさんある。特に私は田舎で育ったので、子どもが喜べる施設がほとんどなかった(豊かな自然だけはあったが)。生まれ育った宮崎には水族館もないので、初めて行った水族館は確か鹿児島の水族館だった気がする。でも東京には近くに水族館がたくさんあるし、少し足を伸ばせばアンパンマンミュージアムもディズニーランドもある。スタジオアリスで記念写真だって撮ってもらえる。
どんな子が産まれてくるのかわからないが、もし何か障害があったとしても、障害を理由につらい思いなんて絶対させたくない。もう臨月でいつ産まれてもおかしくない。すでにベビーグッズはすべてそろえているので、あとは頑張って産むだけだ。
腰痛、恥骨痛、尾てい骨痛、頻尿といった妊娠後期のマイナートラブルに悩まされている日々。痛いのは嫌だし不安もあるが、早く産まれてほしい。
<文/姫野桂>
【姫野桂】
フリーライター。1987年生まれ。著書に『発達障害グレーゾーン』、『私たちは生きづらさを抱えている』、『「生きづらさ」解消ライフハック』がある。Twitter:@himeno_kei