ご存知のとおり、永野芽郁は既婚者・田中圭(41)とのラブラブ写真が流出し、この4月に文春砲をくらったばかり。ドラマやCMを降板した彼女の地上波復帰は、今回の件で、また少し遠のくかもしれません。と同時に、超人気男優たちを遍歴する彼女を、「ただ者じゃない」と面白がる声も。
ドラマや演劇の批評で知られる木俣冬さんは、もともと清純派なんかではない永野芽郁に、「やんちゃ派として活躍してほしい」といいます(以下、木俣冬さんの寄稿)。
このまま地上波から姿を消すのは惜しい
最初は毒の効いたプロモーションなのかと疑っていた。流出した写真が、あまりにある意味絵になり過ぎていて、ディレクションされたものなのかと思ったのだ。ところが、大河ドラマ『豊臣兄弟!』(NHK、2026年)降板と聞いてガチだったのかと驚いた。ディレクションはディレクションでもセルフであったのかと。
流出した写真は本当にその瞬間を楽しみ、熱に浮かれている感じに満ちていた。その瞬間、どんな表情をしたら最適解か熟知しているのを感じるものだった。お相手の俳優もそうで、演技巧者同士はプライベートでもこれほど全力で表現力を発揮するのだなと感心した。
だからこそこのまま地上波から姿を消すのは惜しい。
こうなると、役が違う方向に限定されすぎる気がしてくる。それはそれでどうなのか。
金髪でハーレーに乗る姿も
一大スキャンダルが出る前から、永野芽郁は、ハーレーに乗っているとか、ひとり旅でニューヨークに行き、そこからカナダにナイアガラの滝を見に行ったとか頼もしい面を語っていた。その素顔は、抱きしめたら壊れてしまいそうな陶器のお人形のような女の子というイメージでは決してないのだと思わせていた。
固定イメージでCMの仕事を得ていると、ますます好感度が大切になる。おおむね透明感や善人感をキープしないといけない。清純派という彼女への先入観もここに起因しているのだろう。
こうして実際の本人の嗜好とはまるで違う公的なキャラを演じ続けることになる。大変なお仕事だなあと思う。
長いこと「永野芽郁」を名演し続けてきた
永野芽郁は公的な永野芽郁を長いこと名演し続けてきただけだろう。それだけ永野芽郁は演技巧者である。溌剌(はつらつ)さ、健気さのボルテージを瞬間的にグッと最高値に上げることができるし、そうかと思えば、たちまちしゅんとしょげた顔になる。とりわけ、泣き顔。大きな黒眼がちの瞳からポロリとこぼす涙は、卵の表面のようななめらかな頬をきれいに落ちていく。少しとがった唇と涙のバランスも絶妙だ。泣き顔において若手俳優では右に出る者はいないのではないだろうか。単なる溌剌でもなく、単なる泣き虫でもなく、感情の振幅が豊か。しかも透明感があって雑味がない。
朝ドラでの、とんでもない暴れん坊ぶり
1999年生まれで、10歳から子役として活躍し、著名な俳優が演じる役の少女期などを担ってきて、2015年、映画『俺物語!!』、2017年『ひるなかの流星』で同世代の共感を獲得し、2018年にはNHK連続テレビ小説『半分、青い。』(NHK)のヒロインで知名度が全国区に広がった。
『半分、青い。』以降、無双状態で、映画『かくかくしかじか』(2025年)まで駆け抜けた。いま思うと、『半分、青い。』の鈴愛は永野芽郁を言い当てているようなキャラクターだったのだなという気がする。
タイトルバックの爽やかな笑顔。これぞ朝の顔と視聴者を釘付けにしたが、本編がはじまると、あのタイトルバックの女性はどこ?という冗談も囁かれるように、鈴愛はとんでもなく手のつけられない暴れん坊だった。聴覚障害があるが、決して自己憐憫に陥らず、強い自己主張をし続け、朝ドラにはトゥーマッチな印象もあった。
もっともこれは永野の問題ではなく脚本に書かれたことを演じているだけなので、お気の毒ではあった。本人も鈴愛には共感しないというようなことを取材で語り、役と距離をとろうとしていることが見受けられた。当時は、むしろ、激しいキャラをあてがわれてご苦労されただろうという同情もあった。
ライトでサバサバした人
ところが、当人の素顔が『あさイチ』で明かされた。それは、撮影してディレクターがOKを出す前に、楽屋に戻って着替えてOKの声とともに帰るというものだった。演技に過剰な思い入れがなく、たとえが古いが9時5時OLのように“仕事”と割り切っているのだろうと筆者は確信した。好みは人それぞれ。北島マヤや姫川亜弓のように演技に全人生を賭けているような俳優を好む人もいるだろう。映画『国宝』の喜久雄と俊介もそういうタイプであろう。
一方で、ヘンにストイックに演じることを突き詰めている俳優、あるいはそう見せている俳優は重く感じ、ライトにサバサバしたムードを好む視聴者もいるだろう。先述したようにそういうほうが共感を呼ぶこともあるに違いない。
今後は“やんちゃ派”として活躍してほしい
『かくかくしかじか』は出世作の『半分、青い。』を彷彿とさせるキャラだった。漫画を目指すキャラつながりということもあり、がむしゃらなところも少し似ている気がする。すんっと澄ました上善如水タイプではなく、にごり酒のような、澱や灰汁のある人間くさい役。だからといって純粋じゃないわけじゃない。ほんとうは純粋すぎるほど純粋、泥だらけの純情とでもいうような役。こういう役がやっぱり似合うと思ったところの今回のスキャンダルだった。
<文/木俣冬>
【木俣冬】
フリーライター。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』など著書多数、蜷川幸雄『身体的物語論』の企画構成など。Twitter:@kamitonami