(台北中央社)香港で大規模デモが起こって以来、台湾の社会運動家、紀万生さん(80)のもとには、アドバイスや手助けを求めて多くの海外の活動家が訪れている。紀さんは高齢のため、デモへの参加は家族から反対されているが、各種の人脈を利用し、香港を支持している。
「今日の香港は明日の台湾」――。こんな危機感を抱えているからだ。

中学校教師だった紀さんは1979年の言論弾圧事件「美麗島事件」で逮捕され、取り調べで激しい暴行を受けた。その影響で、紀さんは左耳が聞こえない。一時は死を覚悟したが、風雨が吹き荒れるある明け方、外から聞こえた鳥の鳴き声で「一時の暴風雨のせいで鳴く権利を放棄してはいけない」と悟り、立ち上がることを決意した。

幕末の思想家、吉田松陰の影響を受けたという紀さん。
「争いがなければ譲歩はない。すべての譲歩は闘いの結果であると人類の歴史が証明している。争いには血が避けて通れず、流れるのは自分の血で他人のものではない」と紀さんは考える。4年半の牢獄生活を終えてから4日目には再び社会運動に参加し、1987年の戒厳令解除まで戦い続けた。その後は次第に活動から退いている。

香港のデモで未成年の若者が自身の血をもって民主主義を守ろうとする姿を目にし、「台湾はなんとしてでも香港人を助けないといけない。
香港は台湾の代わりになってくれているのだから」と紀さん。台湾が中国に統一されれば、結末は「奴隷にされるか、虐殺されるか、コントロールされるか」、この3つしかないと警鐘を鳴らす。

紀さんは現在も中部・南投県埔里の自宅に住む。最も熟知した社会運動について語り始めると、老眼鏡の向こう側には毅然とした目が光る。香港のデモも紀さんの胸の中の「美麗島魂」を再燃させた。持てる全てを尽くし、人生最後の戦いに臨もうと意を固くしている。


(游凱翔/編集:名切千絵)