
濁った海の中では、人間であれば少し前でも見えないことがある。だがゼニガタアザラシは、沿岸の視界が悪い海中でも自在に泳ぎ、方向感覚を失わない。
これまでヒゲや聴覚など複数の感覚を使っていることは知られていたが、ドイツ・ロストック大学のフレデリケ・ハンケ博士らの研究によって、アザラシが「視覚」を使って進行方向を把握できることが明らかになった。
研究チームはアザラシに実験用に作ったテレビゲームをプレイさせたところ、視界が極めて悪い環境でも、水中に漂う粒子の流れを見て、自らの向きを認識していたのである。
この研究は『Journal of Experimental Biology[https://journals.biologists.com/jeb/article/228/10/jeb250168/368089/Optic-flow-a-rich-source-of-optic-information-for]』(2025年5月29日付)に掲載された。
濁った水中でも進むべき方向を見失わないゼニガタアザラシ
太平洋や大西洋に生息する「ゼニガタアザラシ」は、日本にも定住している唯一のアザラシだ。
オスならば体長150~200cm、体重70~170kgにもなる大きな体で、視界の限られる海の中を軽やかに泳ぎまわる。
そんなことができるのも、センサーの役割を果たす敏感なヒゲをはじめ、いくつかの感覚器で周囲の状況を的確に感知できるからだ。
だがドイツ・ロストック大学のフレデリケ・ハンケ氏は、ほかにも秘密があるのではないかと考えた。視覚も使っているのでは?と。
彼女が着目したのは「オプティック・フロー」と呼ばれる視覚情報である。これは、移動中に周囲の物体や粒子が視界を横切っていくことで網膜上に生まれる動きのパターンで、人間や鳥類などでも空間認識に利用されている。
博士はこの現象がアザラシにも当てはまるかを確かめるべく、共同研究者のローラ=マリー・サンドウ氏、アン=カトリン・ティミアン氏)、ミュンスター大学のマルクス・ラッペ博士とともに実験の準備を開始した。
シミュレーション映像によるテレビゲームを実施
この仮説を検証するため、ハンケ氏らは、アザラシたちにちょっとしたシミュレーション映像を使ったテレビゲームを楽しんでもらい、それをもとに進行方向を判断してもらうゲーム形式の実験を行った。
映像は次の3種類が用意された。
1:海中を泳いで進んでいくアザラシ視点で、水中の粒子が画面奥から手前に向かって流れてくる映像。
2:海底を上から見下ろすように、下方向から上へ粒子が流れるもの。
3:水面が頭上を流れていくような視点の映像
アザラシたちはスクリーンの前に配置され、画面上の動きに基づいて自分がどちらの方向に進んでいると感じたかを示すため、頭の左右に設置された赤いボールのいずれかに鼻でタッチする。
正解すれば、ご褒美として好物のニシン科の小魚が与えられた。
実験に参加したのはニック、ルカ、ミロという3頭のアザラシ。
ニックとルカは過去に同様の実験に参加したことがあり、すぐに課題を理解したが、初心者のミロは少し時間がかかった。
しかしハンケ博士によれば、ミロは新しい状況にも柔軟に対応できる好奇心旺盛な性格で、すぐに慣れていったという。
アザラシはわずかな進行方向の違いも目で見分けていた
シミュレーション映像は、進行方向が左右に2度、6度、10度、14度、18度、22度ずれて見えるように調整されており、アザラシがどれだけ微妙な角度の変化を視覚的に読み取れるかが試された。
サンドウ氏とティミアン氏が選択データを記録した結果、アザラシたちは極めて正確に方向を見分けられることが明らかになった。
ただし、時には誤答も見られたが、ハンケ博士は「生きた動物ですから、時には集中力が切れたり、やる気が低下したりすることもあります」と語っている。
それでも、網膜上を流れる粒子の動きだけを手がかりに、濁った海水中でも方向を正確に認識できるという点は明白だった。
この能力は、アザラシが極限環境でも的確に行動できる理由の1つであることを、科学的に裏付ける結果となった。
今回の研究は、ゼニガタアザラシが視覚的な手がかりだけでも方向を把握できるという能力を初めて実証したものとなった。
今後ハンケ博士らは、オプティック・フローを用いて「どのくらいの距離を移動したか」をアザラシが判断できるかどうかについても研究を進めていく予定だという。
それが明らかになれば、濁った海中でのアザラシのナビゲーション戦略に関する理解がさらに深まるだろう。
References: Gaming seals reveal how cloudy water provides sense of direction[https://www.eurekalert.org/news-releases/1084847]
本記事は、海外の情報を基に、日本の読者向けにわかりやすく編集しています。