
Hugo Regan/Youtube
潜水球(バチスフィア)は鋼鉄製の球形の深海用潜水装置である。動力は持たず、中に人が入った鉄の球が、ケーブルで海中に吊り下ろされるのみだ。
この有人潜水球はアメリカの発明家、オーティス・バートン(Otis Barton)によって1928年に考案された。
バートンは、1930年6月6日、探検家で博物学者のウィリアム・ビービと共に、世界初の有人潜水に挑み、803フィート(245m)の深度に達した。更に1934、バートンとビービは3028フィート(923m)という潜水深度の世界記録を作った。この記録は15年間、誰にも破られることはなかったという。
1932年、潜水球で潜水深度の世界記録を打ち立てる 1932年9月22日午後、アメリカとイギリスでラジオを聴いていたリスナーは、海の底深くに潜った小さな鋼の球体からのライブ放送に驚いた。
この潜水球に乗り込んでいたのは、生物学者のウィリアム・ビービと、これを設計した発明家のオーティス・バートン。
アメリカの通信研究所、ベル研究所が提供した電話システムを通して、ビービはこの潜水球の石英でできた小さな窓の前を泳ぐ、すばらしい海洋生物のことを嬉々として説明した。
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Bathysphere Video, 99 Percent Invisible
ビービがもっと深く潜りたかったのは、スリルのためではなく、深海に棲む謎めいた海洋生物を観察したかったからだ。
それまでは、深海生物については偶然に漁で引き揚げられたものの知識しかなく、誰も自然の環境で生息している彼らを見たことがなかった。
バチスフィアと名づけられたこの潜水球は、約2.5センチの厚さの鋳鋼でできた直径1.5メートルほどの中空球体だ。その狭い内部にはさまざまな装置がぎっしり並べられていた。
海上と通信するための電話、電灯、酸素ボンベ、搭乗者が吐き出す二酸化炭素を吸収するソーダ石灰や塩化カルシウムのトレイなどだ。
中から外の様子を観察するために、厚さ7.6センチの融解石英がはめ込まれたふたつの小さな窓があり、そのうちひとつの窓の上にはスポットライトがついている。
潜水球の狭い入り口から、身をよじりながら中に入り、重さ180キロもあるハッチを外からがっちり閉めれば、水が浸入することはない。
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それから4年以上、この勇敢なふたりの探検家は、30回近くも深海に潜り、どんどんその深さを伸ばしていった。
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深く潜れば潜るほど、当然のことながら危険は増す。深海で少しでも浸水すれば、ものすごい勢いの水が、骨肉を引き裂く弾丸のようにバチスフィアに襲いかかることになってしまう。
この潜水球の中から、ビービとバートンは、驚くべきさまざまな生き物を観察した。ほとんどが初めて見るものだった。ビービは、深く潜るほど、次第に太陽の光が届かなくなることを観察した初めての人間にもなった。
「潜れば潜るほど、グリーンが少しずつ薄れていき、60メートルも潜れば、水の色がグリーンがかったブルーなのか、ブルーがかかったグリーンなのか、もうわからなくなる」ビービは、バチスフィアでの体験をまとめた著書『Half Mile Down』の中で書いている。
ビービのメモから、アーティストのエルス・ボステルマンが、視覚的によくわかるようイラストとして描き起こしたものだ。初めて目撃されたこれらの多くの生き物は、のちに水中撮影技術が登場してから、実際に確認されることになる。
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放送当日、海はひどく荒れていたが、オンエアはすでに始まっていて、ふたりは潜り続けることに決めた。ビービが電話に向かってしゃべる声が、潜水球の900メートルのケーブルを通して、海上のフリーダム号のデッキへと届けられ、そこから、50ワットのポータブル無線送信機が、バミューダのフラッツにある基地局に音声を送り、全国に放送した。
この番組が終わるとすぐに、ビービは潜水球を引き上げるよう要請した。海はかなり荒れていたので、ケーブルをつないでいる海上のフリーダム号も相当揺れていて、バチスフィアはまるで振り子のように左右に揺さぶられた。
ビービとバートンは、潜水球の中で激しくぶつかり合って、ふたりとも傷だらけになった。バートンは船酔いして、嘔吐した。
ビービとバートンは、本来潜るはずの800メートルよりも134メートル足りない地点で潜水を断念した。最終目標に到達するには、あと2年待たなくてはならなかった。
1934年8月11日、ふたりは、770メートル地点まで潜り、珍しい深海の生物たちの姿を観察、その4日後、8月15日、ふたりは再挑戦し、今度は923メートルまで到達して、ついに世界記録を打ち立てた。
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Bathysphere and Beyond | WCS
15年後、バートンは新たに改良した潜水艇ベントスコープで、未知の領域である水深1400メートルを達成した。
それから数十年間のうちに、初代バチスフィアはすたれていったが、その偉業は、のちの科学者や海洋学者たちを大いに刺激し続けた。
ビービは、バチスフィアの潜水で観察した新種の深海生物たちに名前をつけたが、そのいくつかは現在でも議論になっている。
ビービが発見して以来、誰も再びその生物におめにかかっていないからだ。観察ミスではないかとビービを批判する者もいて、吐く息でバチスフィアの窓が曇ったせいではないかとか、妄想だったのではないかなどと言われた。
今日、バチスフィアはニューヨーク、ブルックリンのコニーアイランドにあるニューヨーク水族館に展示されている。
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Mike Cole/Wikimedia Commons
References:wikipedia / Bathysphere: The World’s First Deep-Sea Exploration Vessel | Amusing PlanetReferences:Bathysphere /William Beebe Expedition – Ventures Beyond LLC ~ Discovery Education Stationなど/ written by konohazuku / edited by parumo
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潜水球(バチスフィア)は鋼鉄製の球形の深海用潜水装置である。動力は持たず、中に人が入った鉄の球が、ケーブルで海中に吊り下ろされるのみだ。
この有人潜水球はアメリカの発明家、オーティス・バートン(Otis Barton)によって1928年に考案された。
バートンは、1930年6月6日、探検家で博物学者のウィリアム・ビービと共に、世界初の有人潜水に挑み、803フィート(245m)の深度に達した。更に1934、バートンとビービは3028フィート(923m)という潜水深度の世界記録を作った。この記録は15年間、誰にも破られることはなかったという。
1932年、潜水球で潜水深度の世界記録を打ち立てる 1932年9月22日午後、アメリカとイギリスでラジオを聴いていたリスナーは、海の底深くに潜った小さな鋼の球体からのライブ放送に驚いた。
この潜水球に乗り込んでいたのは、生物学者のウィリアム・ビービと、これを設計した発明家のオーティス・バートン。
アメリカの通信研究所、ベル研究所が提供した電話システムを通して、ビービはこの潜水球の石英でできた小さな窓の前を泳ぐ、すばらしい海洋生物のことを嬉々として説明した。
見事な淡いグリーンの光を放つクラゲの群れが窓の前、1メートルもしないところに現れました。こんな鮮やかな光は見たことがありませんビービは興奮気味に語った。ビービとバートンは、水深460メートルのところから実況放送しながら、史上初めて深海へと潜っていた。
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潜水球内のウィリアム・ビービ深海に潜む海洋生物に魅せられて、潜水深度に挑む2人 当時、人がダイビングスーツを着て潜った最高記録は水深150メートルだった。通常の潜水艦は、120メートルも潜ることができなかった。
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Bathysphere Video, 99 Percent Invisible
ビービがもっと深く潜りたかったのは、スリルのためではなく、深海に棲む謎めいた海洋生物を観察したかったからだ。
それまでは、深海生物については偶然に漁で引き揚げられたものの知識しかなく、誰も自然の環境で生息している彼らを見たことがなかった。
バチスフィアと名づけられたこの潜水球は、約2.5センチの厚さの鋳鋼でできた直径1.5メートルほどの中空球体だ。その狭い内部にはさまざまな装置がぎっしり並べられていた。
海上と通信するための電話、電灯、酸素ボンベ、搭乗者が吐き出す二酸化炭素を吸収するソーダ石灰や塩化カルシウムのトレイなどだ。
中から外の様子を観察するために、厚さ7.6センチの融解石英がはめ込まれたふたつの小さな窓があり、そのうちひとつの窓の上にはスポットライトがついている。
潜水球の狭い入り口から、身をよじりながら中に入り、重さ180キロもあるハッチを外からがっちり閉めれば、水が浸入することはない。
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バチスフィアの断面図:左上から、中央の観察窓、気圧計、温度計・湿度計、左の観察窓(封印されている)、酸素ボンベのバルブ、電話線とバッテリーボックス、パチスフィアの入り口、二酸化炭素を吸収するための化学装置右上から、電線や電話線をまとめたケーブル、パッキン箱(漏れ防止のための詰めもの箱)、送風機やサーチライトをコントロールするスイッチボックス、サーチライトつきの窓、サーチライト、酸素ボンベのバルブ、電話30回も命がけの深海潜水 1930年5月27日、ビービとバートンは、バミューダ沖で初のテスト潜水を試みた。バチスフィアには、長さ900メートルの鋼のケーブルがついていて、元イギリス海軍の船のデッキから海中に吊り下ろされた。
それから4年以上、この勇敢なふたりの探検家は、30回近くも深海に潜り、どんどんその深さを伸ばしていった。
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深く潜れば潜るほど、当然のことながら危険は増す。深海で少しでも浸水すれば、ものすごい勢いの水が、骨肉を引き裂く弾丸のようにバチスフィアに襲いかかることになってしまう。
しかし、そこまでしてリスクを負う価値はあった。
この潜水球の中から、ビービとバートンは、驚くべきさまざまな生き物を観察した。ほとんどが初めて見るものだった。ビービは、深く潜るほど、次第に太陽の光が届かなくなることを観察した初めての人間にもなった。
「潜れば潜るほど、グリーンが少しずつ薄れていき、60メートルも潜れば、水の色がグリーンがかったブルーなのか、ブルーがかかったグリーンなのか、もうわからなくなる」ビービは、バチスフィアでの体験をまとめた著書『Half Mile Down』の中で書いている。
水深300メートルのあたりで、あたりの環境を調べ始めた。水の色について、黒っぽいブルーとか、ダークグレイブルーと表現しようとしたが、ブルーの色が見えなくなると、可視スペクトルの最後にある紫にもならないことが不思議だった。1931年6月、ビービの潜水を取材したメディア記事には、彼が観察した生き物たちの美しいイラストがついている。
それもすでに吸収されてしまったように見えた。わずかに残ったブルーの名残は、言葉で表現のしようのないグレイになり、しまいには真っ黒になる
ビービのメモから、アーティストのエルス・ボステルマンが、視覚的によくわかるようイラストとして描き起こしたものだ。初めて目撃されたこれらの多くの生き物は、のちに水中撮影技術が登場してから、実際に確認されることになる。
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エルス・ボステルマンが描いた観測された海洋生物のイラスト1934年、ついに記録を打ち立てる 探検資金集めのために、ビービとバートンは、NBCテレビと海に潜る様子を全国放送する取引を交わした。
ふたりが水深800メートルまで潜水しながら、海の底で見たものをリアルタイムに実況するというわけだ。
放送当日、海はひどく荒れていたが、オンエアはすでに始まっていて、ふたりは潜り続けることに決めた。ビービが電話に向かってしゃべる声が、潜水球の900メートルのケーブルを通して、海上のフリーダム号のデッキへと届けられ、そこから、50ワットのポータブル無線送信機が、バミューダのフラッツにある基地局に音声を送り、全国に放送した。
この番組が終わるとすぐに、ビービは潜水球を引き上げるよう要請した。海はかなり荒れていたので、ケーブルをつないでいる海上のフリーダム号も相当揺れていて、バチスフィアはまるで振り子のように左右に揺さぶられた。
ビービとバートンは、潜水球の中で激しくぶつかり合って、ふたりとも傷だらけになった。バートンは船酔いして、嘔吐した。
ビービとバートンは、本来潜るはずの800メートルよりも134メートル足りない地点で潜水を断念した。最終目標に到達するには、あと2年待たなくてはならなかった。
1934年8月11日、ふたりは、770メートル地点まで潜り、珍しい深海の生物たちの姿を観察、その4日後、8月15日、ふたりは再挑戦し、今度は923メートルまで到達して、ついに世界記録を打ち立てた。
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Bathysphere and Beyond | WCS
15年後、バートンは新たに改良した潜水艇ベントスコープで、未知の領域である水深1400メートルを達成した。
それから数十年間のうちに、初代バチスフィアはすたれていったが、その偉業は、のちの科学者や海洋学者たちを大いに刺激し続けた。
ビービは、バチスフィアの潜水で観察した新種の深海生物たちに名前をつけたが、そのいくつかは現在でも議論になっている。
ビービが発見して以来、誰も再びその生物におめにかかっていないからだ。観察ミスではないかとビービを批判する者もいて、吐く息でバチスフィアの窓が曇ったせいではないかとか、妄想だったのではないかなどと言われた。
今日、バチスフィアはニューヨーク、ブルックリンのコニーアイランドにあるニューヨーク水族館に展示されている。
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References:wikipedia / Bathysphere: The World’s First Deep-Sea Exploration Vessel | Amusing PlanetReferences:Bathysphere /William Beebe Expedition – Ventures Beyond LLC ~ Discovery Education Stationなど/ written by konohazuku / edited by parumo
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