日本書紀に記述された飛鳥時代の天文記録「赤気」の正体は扇型のオーロラである可能性(国立極地研究所)

日本書紀に記された「赤気」現象とは /iStock
 720年に完成したとされる日本に伝存する最古の歴史書『日本書紀』には、推古天皇二十八年(620年)に次のような現象が観測されたという記録がある。

十二月の庚寅の朔に、天に”赤気”(あかきしるし)有り。
長さ一丈余なり。形雉尾(キジの尾)に似れり

 620年と言えば飛鳥時代、聖徳太子(574年- 622年)もこれを見ていた可能性がある。

 記録の中で、”赤気”は日本の国鳥であるキジの尾に例えられている。キジには家族愛や夫婦愛のイメージがある一方、その鳴き声は、地震や傾国を告げるものとして、不吉な前兆ともされてきた。

 ここで述べられている”赤気”が指すものについては謎に包まれている。

 だが、国立極地研究所と国文学研究資料館、総合研究大学院大学の最新の研究によると、どうやら”赤気”の正体は扇状のオーロラであると考えるのが一番自然であるそうだ。
【赤気の正体は扇型のオーロラである可能性】

 日本書紀に記された赤気はこれまで、オーロラか彗星ではないかと推測され、日本最古の天文記録と考えられているが、確かな証拠はない。

 日本でオーロラが目撃されるとは考えにくい。 彗星であったとしても、日本書紀には箒星(ほうきぼし)という別の名称が使用されている上に、赤という色で表現されている点にも違和感がある。

 さらに中国の歴史書を紐解いても、620年に赤気らしき現象があったという記述は見つかっていない。

 だが『総研大文化科学研究』(3月31日付)に掲載された研究によれば、どうやらその正体はやはりオーロラであると考えるのが一番自然であるそうだ。

日本最古の天文記録は『日本書紀』に記された扇形オーロラだった│国立極地研究所
https://www.nipr.ac.jp/info/notice/20200316.html

【620年当時北極の位置は異なっていた】

  国立極地研究所と国文学研究資料館などの研究グループが突き止めたのは、620年当時、北極は現在とは少々違う位置にあり、日本の磁気緯度は今に比べて10度ほど高かったということだ。


 そのために、大きな磁気嵐が発生したとすれば、国内でオーロラが観測されていたとしてもおかしくはないとのことだ。

 研究によれば、日本のような中緯度で観測されるオーロラは、扇型の赤い背景に白い筋が走るのが基本的な形状であるという。どうやらその赤い扇型が、キジの尾に例えられたらしい。

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日本書紀 (平安時代の写本)wikimedia commons
【江戸時代に観測されたオーロラは赤い扇型】

 実際、寿量庵秀尹が記した彗星の解説書『星解』には、1770年9月に京都で観測された赤い扇のようなオーロラの絵図が描かれている。

 またその100年後には、フランスの画家であり天文学者でもあったトルーヴェロが、同じような扇型のオーロラを描いている。

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image by:国立極地研究所
 鎌倉時代の公家である藤原定家の日記「明月記」にも1204年に”赤気”が発生したことが記述されている。

秉燭以後、北并艮方有赤気、其根ハ如月出方、色白明、其筋遙引、如焼亡遠光、白色四五所、赤筋三四筋、非雲、非雲間星宿歟、光聊不陰之中、如此白光、赤光相交、奇而尚可奇、可恐々々

 西暦1200年ごろには地軸の傾きの関係から日本でオーロラが観測しやすい条件にあったそうで、こちらの赤気はオーロラであると認められている。 

 なお中国においては、オーロラは城や旗に例えられて恐れられていたが、当時の日本人は、これを優美なキジに例えていた。私たちの祖先の観察眼や感性をうかがい知る事例でもあると、研究では述べられている。

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国鳥キジの鳴き声 Green Pheasant
References:日本書紀にみる赤気に関する一考察/ written by hiroching / edited by parumo

記事全文はこちら:日本書紀に記述された飛鳥時代の天文記録「赤気」の正体は扇型のオーロラである可能性(国立極地研究所) http://karapaia.com/archives/52289846.html
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