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スポーツの試合で、レフリー(レフェリー)や審判が、白黒ストライプのユニフォームを着ているのを見たことがあるだろう。
もちろんそうじゃないスポーツもあるが、白黒ストライプの服を見かけたら審判かなと思うくらいには浸透している。
それはいったいなぜなのだろう?その起源はアメリカの1人の審判にあるようだ。
【昔は白いシャツだったが、そのせいで選手が混乱】
アメリカでは昔、審判たち、白いドレスシャツにスラックス、黒い蝶ネクタイ、白のベレー風の帽子といったきちんとしたいでたちで試合に臨んでいた。
こうしたユニフォームは審判を権威ある存在に見せるが、テンポの速いゲームにおいて、選手と区別がつかないことも多く、白いユニフォームを着用していたチームの選手が混乱する場合があった。
東ミシガン大学(EMU)の学生だったロイド・W・オールズは、1914年に高校バスケットボールの試合を審判していたとき、この問題に直面した。
「ユニフォームが同色のせいか、審判と選手の区別がつきにくく、よく選手がわたしにボールをパスしてきたり、頭にボールをぶつけてきました」オールズはのちに回想している。
1920年、オールズは地域のフットボールの試合の審判を始めた。ここでも、白いユニフォームのクォーターバックが試合中にオールズに向かって誤まってボールをパスしてきたため、彼はついに服装を変更する決心をした。
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【1921年に1人の審判によって考案される】
そこでオールズは、ミシガン州アナーバーにあるスポーツ店のオーナ、ジョージ・モーと協力して、選手のユニフォームと色が被ることがなく、尚且つ選手との違いがはっきりわかる白黒の縦縞模様のニットシャツを考案し、1921年に初めて自分で着用した。
ところが、これが最初は不評で、ファンがスタンドからヤジを飛ばしたという。
初めて、わたしがこのユニフォームを着てグランドに出ると、大いにからかわれたものですのちにオールズはこう語った。
でも、このアイデアはバスケットボール界でもフットボール界でも採用され、流行り出したんです
オールズは、東ミシガン大学でスポーツレジェンドのような存在になった。彼は25年もの間、大学のトラック競技やクロスカントリーチームのコーチをし、1932年と1936年には、アメリカのオリンピックチームのトラック競技のアシスタントコーチも務めた。
東ミシガン大学の校内プログラムを活気あるキャンパスライフの一部として発展させたのだ。
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しかし、彼の最大の功績は間違いなく、100年以上もの間、審判が選手と間違われないようにするための服装改革だった。
審判の白黒ストライプ柄のユニフォームは、現在もアメリカで、フットボール、バスケットボール、ホッケー、ラクロス、レスリングなど多くの競技で採用されている。
ちなみに日本のバスケットボール界では、1980年代までは白黒のストライプシャツにグレーのスラックスだったが、現在はグレーのシャツに黒のスラックスになっているそうだ。
一説によると、勝負の白黒をはっきりつけるからとも言われているようだが、そういうわけではなさそうだ。
References:Why Do Referees Wear Black and White Stripes?/ written by konohazuku / edited by parumo
記事全文はこちら:審判やレフリーのシャツはなぜ白黒ストライプ柄なのか?その起源は? https://karapaia.com/archives/52301045.html
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