その股間のふくらみが女性たちを惹きつけた結果、こうなった。フランスの墓地にあるヴィクトール・ノワールの彫像
 パリのペール・ラシューズ墓地には、オスカー・ワイルド、ジム・モリソンなど、有名人が多数眠る。だが、この墓地を訪れた女性たちにが押し寄せるのは、ヴィクトール・ノワールの墓だ。


 ヴィクトール・ノワールって誰?と思うのもしかたがない。19世紀を生きた、特に有名人でもない18歳で亡くなった若者だ。ノワールが死ぬまで、誰も彼のことなど知らなかった。

 ではなぜこんなにも女性たちを惹きつけているのかって?墓に横たわる本人の等身大のブロンズ像の股間が大きくふくらんでいたからだ。

 女性たちが触られまくるおかげで、股間の部分だけつやつやになってしまった。

ヴィクトール・ノワールという人物の最期 19世紀のフランス、パリで、ヴィクトール・ノワール(1848年 - 1870年)は、ラ・マルセイエーズ紙のジャーナリスト見習いだった。

 当時のオーナー、アンリ・ロシェフォールと、編集者のパスカル・グルーセが、ナポレオンの甥の息子で、当時、フランスを治めていた皇帝ナポレオン3世の従兄弟であるピエール・ボナパルト王子との対立に巻き込まれた。

 決着をつけるため、グルーセは新聞社の編集者には似つかわしくない方法をとった。従業員であるヴィクトール・ノワールともうひとりをボナパルトの元へ送って、決闘を申し込んだのだ。

 最初、ボナパルトは決闘を断り、ロシェフォール本人と闘いたいと主張した。それが口論に発展し、結果的にボナパルトが抜いたピストルの弾がノワールに命中して、彼は絶命するということになった

 皇帝の血縁者によるジャーナリストの殺害は、世間を激怒させ、ノワールの葬儀の日には、ユイイにある彼の自宅に10万人もの人が訪れたという。

 さらに、傷口に塩を塗るかのように、ボナパルトが無罪になったため、市内全域で暴力的なデモが頻発した。
その年の後半、プロイセンがフランスに攻め込み、結局、帝国は倒れた。死後20年たち、彫像がつくられることに ヴィクトール・ノワールの受難は、そのどさくさで都合のいいことに忘れられてしまったが、故郷の都市、ヌイイは彼のことを忘れることはなかった。

 死後20年たって、彼の名で記念碑を建てられることが決まり、再び、その名が浮上することになった。有名なフランスの彫刻家、ジュール・ダルーが、ノワールのブロンズ像を制作した。

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image credit:Gael Chardon / WIKI commons

彫刻家が死の瞬間をそのまま再現したはずが、なぜか股間に膨らみが 彫刻家のダルーは、ノワールが不慮の死を迎えたその瞬間をそのまま像にすることにした。

 報道関係者が描いたスケッチを参考にして、ノワールが撃たれて地面に倒れた、そのままの姿を等身大の像にしたのだ。

 ところが、一ヶ所、どうにも不可解な部分があった。どういうわけか、理由はわからないが、ダルーはノワールのベルトの下、下半身にそれとはっきりわかる膨らみを作ったのだ。


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股間を触ると子宝に恵まれると噂になり女性たちが殺到 そして、これまた理由はよくわからないが、ノワール像の股間を撫で、像にまたがり唇にキスをすると、子宝に恵まれ、セックスライフも充実するという伝説が1970年代に生まれた。

 実際に、現地でノワールの像を見ると、その影響のほどがわかるだろう。像の股間と唇はてかてかと光っているが、ほかの部分は通常の緑がかったブロンズ色のままなのだ。

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Pere Lachaise, Paris part 3 - Victor Noir

 2004年、女性たちの像に対する"卑猥な"行為をやめさせるために、ノワールの墓のまわりにフェンスがはりめぐらされた。


 しかし、大勢の女性たちが抗議したため、結局フェンスは取り払われたという。

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Piper's Sexual Ritual With Victor Noir!
References:Victor Noir’s Mysterious Erection | Amusing Planet / written by konohazuku / edited by parumo

追記(2022/01/18)誕生日を訂正して再送します。

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