
サウジアラビア北西で、4500年前の"葬送の路"が発見された。最長部分は170キロにもなる街道網で、道沿いにはたくさんのペンダント型の墓石が並んでいる。
道筋に墓が連なっていることから、葬送路(funerary avenues)と呼ばれている。
葬列がこの道を進んだのかもしれないが、はっきりしたことはわからない。オアシス同士を結び、古代の高速道路網のようなものを形成していたのだろうと、専門家は言う。
広大な街道網を作り上げた葬送路 葬送路の一部は、赤い石で整備されているところもあるが、ほとんどは古代人の歩み、とくに家畜の蹄によって削られ、ならされた路になっているという。
この葬送路に関する研究論文は、学術誌『The Holocene』に発表された。主執筆者は、西オーストラリア大学のマット・ダルトン氏だ。
葬送路は街道網として利用され、長距離の旅を容易にしたことだろう。
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道筋にペンダント型に形作られた石の墓石が並ぶ葬送路 / image credit:Royal Commission for AlUla葬送路に立ち並ぶ墓 この葬送路でどんな儀式が行われ、どのように道筋に墓がつくられていったのかはわからない。出土した遺骨は保存状態が悪く、墓のいくつかは盗掘されて、遺物は奪われていた。
情報はほとんどないが、埋葬された死者の子孫や関係者が、日々の生活の中で頻繁に墓の前を通り過ぎ、死者を思い出しては偲んでいたことは、想像に難くない。
「オアシスの定住地から墓に向かって、この路を通って葬列が進む場面まで想像してしまいますが、もっと証拠が見つかるまでは、あくまでも仮説にすぎません」ダルトン氏は語る。
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サウジアラビアで見つかった4500年前の葬送路の一部 / image credit:Royal Commission for AlUlaサウジアラビア独自の文化か? この路や墓がつくられたのとちょうど同じ頃、エジプトではギザの大ピラミッドなどのピラミッド群が建設されていた。
アラビア北部のメソポタミアでは、多くの文明が花開き、都市やジグラットと呼ばれるピラミッド型の大神殿が作られていた。
ダルトン氏は、隣のエジプトやメソポタミアで文化が栄えていたから、それに刺激されて、サウジアラビアの人々が葬送路や墓を作ったとは考えていない。この路はこの地域独自の発展だったと考えている。
サウジアラビアの人々は、エジプトでピラミッドが建設される何千年も前から、大きな石造りの建造物をつくっていた。
例えば、アラビアでは7000年前に、門の形をしたムスタティルという建造物がつくられていた。これは、先史時代の家畜崇拝儀式に使われていた可能性があるという。
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サウジアラビアで見つかった4500年前の葬送路の一部 / image credit:Royal Commission for AlUla
研究者たちは、衛星画像や航空写真を駆使し、地盤調査や発掘調査を経て、この葬送路を発見した。
この発見にたずさわった考古学者たちは、サウジアラビア北西部のアル・ウラー地方で、考古学調査や保存修復を行う組織「アル・ウラー王立委員会」のもとで働いている。
アル・ウラー地方は、2万2561平方キロに渡る広大な地域で、数千年前の遺跡が数多く残っている場所だ。
References:Vast 4,500-year-old network of 'funerary avenues' discovered in Saudi Arabia | Live Science / written by konohazuku / edited by parumo
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道筋に墓が連なっていることから、葬送路(funerary avenues)と呼ばれている。
葬列がこの道を進んだのかもしれないが、はっきりしたことはわからない。オアシス同士を結び、古代の高速道路網のようなものを形成していたのだろうと、専門家は言う。
広大な街道網を作り上げた葬送路 葬送路の一部は、赤い石で整備されているところもあるが、ほとんどは古代人の歩み、とくに家畜の蹄によって削られ、ならされた路になっているという。
この葬送路に関する研究論文は、学術誌『The Holocene』に発表された。主執筆者は、西オーストラリア大学のマット・ダルトン氏だ。
葬送路は街道網として利用され、長距離の旅を容易にしたことだろう。
この道に沿って行けば、少なくとも530キロもの距離を北から南へと進むことができたのです。
サウジアラビア南部やイエメンにも、このようなう街道網があったことがうかがえます。さらなる調査が必要ですが、古代の人々がもっと遠距離を移動していた可能性があります(ダルトン氏)
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道筋にペンダント型に形作られた石の墓石が並ぶ葬送路 / image credit:Royal Commission for AlUla葬送路に立ち並ぶ墓 この葬送路でどんな儀式が行われ、どのように道筋に墓がつくられていったのかはわからない。出土した遺骨は保存状態が悪く、墓のいくつかは盗掘されて、遺物は奪われていた。
情報はほとんどないが、埋葬された死者の子孫や関係者が、日々の生活の中で頻繁に墓の前を通り過ぎ、死者を思い出しては偲んでいたことは、想像に難くない。
「オアシスの定住地から墓に向かって、この路を通って葬列が進む場面まで想像してしまいますが、もっと証拠が見つかるまでは、あくまでも仮説にすぎません」ダルトン氏は語る。
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サウジアラビアで見つかった4500年前の葬送路の一部 / image credit:Royal Commission for AlUlaサウジアラビア独自の文化か? この路や墓がつくられたのとちょうど同じ頃、エジプトではギザの大ピラミッドなどのピラミッド群が建設されていた。
アラビア北部のメソポタミアでは、多くの文明が花開き、都市やジグラットと呼ばれるピラミッド型の大神殿が作られていた。
ダルトン氏は、隣のエジプトやメソポタミアで文化が栄えていたから、それに刺激されて、サウジアラビアの人々が葬送路や墓を作ったとは考えていない。この路はこの地域独自の発展だったと考えている。
サウジアラビアの人々は、エジプトでピラミッドが建設される何千年も前から、大きな石造りの建造物をつくっていた。
例えば、アラビアでは7000年前に、門の形をしたムスタティルという建造物がつくられていた。これは、先史時代の家畜崇拝儀式に使われていた可能性があるという。
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サウジアラビアで見つかった4500年前の葬送路の一部 / image credit:Royal Commission for AlUla
研究者たちは、衛星画像や航空写真を駆使し、地盤調査や発掘調査を経て、この葬送路を発見した。
この発見にたずさわった考古学者たちは、サウジアラビア北西部のアル・ウラー地方で、考古学調査や保存修復を行う組織「アル・ウラー王立委員会」のもとで働いている。
アル・ウラー地方は、2万2561平方キロに渡る広大な地域で、数千年前の遺跡が数多く残っている場所だ。
References:Vast 4,500-year-old network of 'funerary avenues' discovered in Saudi Arabia | Live Science / written by konohazuku / edited by parumo
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