
ウチヒサール城は、トルコ、カッパドキアの中心にある地層的にも歴史的にも驚異と言える建造物の象徴だ。
この地域独特の景観に刻まれた要塞のような遺構は、人間の創意工夫の証であるだけでなく、地域の豊かな歴史をうかがい知る窓でもある。
地質学的起源、戦略的・文化的重要性に至るまで、人知の回復力と適応力の象徴としてそびえ立っている。
どれくらい歴史があるものなのか?そしてここに住んでいた古代の人たちは誰だったのだろうか?
何世紀にもわたって持ちこたえているウチヒサール城 この古代の城と村を見てまず驚くのは、そのなんともユニークなところだ。周辺には、フーデゥーと言われる奇妙な形の「妖精の煙突」が林立している。
これは背の高い円錐形の岩のことで、侵食によって尖塔のような形になっている。
特異な地形として知られているが、現在この岩城は無人で、その周辺に約3,555人が住んでいる(2022年現在)
しかし、古代の人たちは、この特殊な岩の中を住居として使っていたようだ。
そびえたつ丘のてっぺんにある、要塞化した村にとって、防御面で理想的だった場所といえよう。まさにこうした立地のおかげで、ウチヒサールは何世紀にもわたって存続することができたのだ。
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photo by Pixabayかつてはハチの巣状の岩城に1000人もの人が住んでいた ウチヒサールとは、トルコ語で「外側の城塞」を意味し、一般に城と言われる中央にある高さ60mの岩の尖塔のことをいう。
多くの意味で、この中央の城はハチの巣に似ている。たくさんの地下通路が交差していて、その内部や地下にはおびただしい数の部屋がある。
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photo by Pixabay
かつてこの岩城には1000人もの人が住んでいたとされるが、残念ながら無人となった現代では主要な観光地と化している。
城というと、多くの人は古典的な中世の人工建造物を思い浮かべるだろうが、ウチヒサールはまったくの自然の造形物で、凝灰岩という柔らかな火山岩の侵食によって形成されている。
何百万年にもわたって風や水が地形を削り、カッパドキア独特の煙突形状を生み出した。ウチヒサールはこの地域最大の「煙突」をそなえ際立っていて、遠くからでも見ることができる。
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Turkey - Cappadocia - Uchisar Castle厳然たる歴史の証人 ウチヒサール城は地質的な魅力だけでなく、地域の歴史において極めて重要な役割も担ってきた。東ローマ帝国時代(約4世紀から15世紀初頭)や、東ローマ帝国を征服したオスマン帝国時代(5世紀~)などさまざまな時代に、ここは防衛や監視といった戦略的拠点として機能した。
高台にあるため、周囲を一望することができ、地域を防衛、管理しようとする者にとって有利だった。
城の戦略的重要性は、内部に作られたトンネルや部屋のネットワークによって強調されている。戦時や災害時には、地元の村人たちはここの高い岩の防御壁の内側に身をひそめた。
この城のことが初めて具体的に言及されたのは、アジズ・イブン・アルダシルという人物による14世紀の年代記の中だった。
だが、この場所はそれよりも遥かに古い時代のものだという証拠があり、実際多くの学者が、青銅器時代のヒッタイト時代(紀元前1600年頃から紀元前1178年頃)から住人がいた可能性がある、と言っている。
何世紀も時がたち、文明が替わると、新たな征服者たちはこの城の防衛上の可能性に気づいた。だが、ここで大きな戦闘や籠城戦があったのかどうかはわかっていない。
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「妖精の煙突」を削ってできた家。
何十年もの間、ここは注目されるのことのない、人里離れたただの古い村だった。しかし最近になって、多くの人がその独特な魅力に気づくようになった。
広く知られるようになったのは、2000年になってからのことだ。
エヴリン・コップというドイツ人女性が、村の古い家を購入し、たちまちここの魅力にとりつかれた。コップはのちに『Uchisar Unfolding: The Many Faces of a Cappadocian Village』という本を出版し、これがベストセラーになって、村のことが世間に紹介されることになった。
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Uchisar Castle, Cappadocia, Turkey
村の見どころのひとつは、6世紀にさかのぼる聖バジル教会だ。円錐形の岩の内部にあるため、たどり着くことが非常に難しい。
そのほかには、ウチヒサールと近くの村の間に広がる「鳩の谷」で、かつて人々が岩の丘や石の尖塔に鳩小屋を建てて独特の景観を作り出したという。
何世紀にもわたって、鳩のフンは肥料として利用され、古い教会内部のフレスコ画の色を際立たせるのにも役立ったとされる。
ウチヒサール城は、自然、歴史、文化が絡み合った生きた証として存在している。
観光客はその高みに登りトンネルを進んでいくにつれ、時空を超えた旅に乗り出し、この見事な要塞の枠組みの中に織り込まれたストーリーにどっぷりと浸ることができる。
ウチヒサール城は、地質学的な驚異であるだけでなく、容赦ない時の流れに直面した人類の適応力と回復力の象徴でもあるのだ。
References:Uchisar - Wikipedia / Uchisar Castle, the Enigmatic Stone Village of Cappadocia | Ancient Origins / written by konohazuku / edited by / parumo
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この地域独特の景観に刻まれた要塞のような遺構は、人間の創意工夫の証であるだけでなく、地域の豊かな歴史をうかがい知る窓でもある。
地質学的起源、戦略的・文化的重要性に至るまで、人知の回復力と適応力の象徴としてそびえ立っている。
どれくらい歴史があるものなのか?そしてここに住んでいた古代の人たちは誰だったのだろうか?
何世紀にもわたって持ちこたえているウチヒサール城 この古代の城と村を見てまず驚くのは、そのなんともユニークなところだ。周辺には、フーデゥーと言われる奇妙な形の「妖精の煙突」が林立している。
これは背の高い円錐形の岩のことで、侵食によって尖塔のような形になっている。
特異な地形として知られているが、現在この岩城は無人で、その周辺に約3,555人が住んでいる(2022年現在)
しかし、古代の人たちは、この特殊な岩の中を住居として使っていたようだ。
そびえたつ丘のてっぺんにある、要塞化した村にとって、防御面で理想的だった場所といえよう。まさにこうした立地のおかげで、ウチヒサールは何世紀にもわたって存続することができたのだ。
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photo by Pixabayかつてはハチの巣状の岩城に1000人もの人が住んでいた ウチヒサールとは、トルコ語で「外側の城塞」を意味し、一般に城と言われる中央にある高さ60mの岩の尖塔のことをいう。
多くの意味で、この中央の城はハチの巣に似ている。たくさんの地下通路が交差していて、その内部や地下にはおびただしい数の部屋がある。
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かつてこの岩城には1000人もの人が住んでいたとされるが、残念ながら無人となった現代では主要な観光地と化している。
城というと、多くの人は古典的な中世の人工建造物を思い浮かべるだろうが、ウチヒサールはまったくの自然の造形物で、凝灰岩という柔らかな火山岩の侵食によって形成されている。
何百万年にもわたって風や水が地形を削り、カッパドキア独特の煙突形状を生み出した。ウチヒサールはこの地域最大の「煙突」をそなえ際立っていて、遠くからでも見ることができる。
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Turkey - Cappadocia - Uchisar Castle厳然たる歴史の証人 ウチヒサール城は地質的な魅力だけでなく、地域の歴史において極めて重要な役割も担ってきた。東ローマ帝国時代(約4世紀から15世紀初頭)や、東ローマ帝国を征服したオスマン帝国時代(5世紀~)などさまざまな時代に、ここは防衛や監視といった戦略的拠点として機能した。
高台にあるため、周囲を一望することができ、地域を防衛、管理しようとする者にとって有利だった。
城の戦略的重要性は、内部に作られたトンネルや部屋のネットワークによって強調されている。戦時や災害時には、地元の村人たちはここの高い岩の防御壁の内側に身をひそめた。
この城のことが初めて具体的に言及されたのは、アジズ・イブン・アルダシルという人物による14世紀の年代記の中だった。
だが、この場所はそれよりも遥かに古い時代のものだという証拠があり、実際多くの学者が、青銅器時代のヒッタイト時代(紀元前1600年頃から紀元前1178年頃)から住人がいた可能性がある、と言っている。
何世紀も時がたち、文明が替わると、新たな征服者たちはこの城の防衛上の可能性に気づいた。だが、ここで大きな戦闘や籠城戦があったのかどうかはわかっていない。
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「妖精の煙突」を削ってできた家。
カッパドキアの魅力的な風景 / image credit:иколай Максимович / CC BY 3.0 / WIKI commonsカッパドキアの一大観光名所に 現在、ウチヒサールはこの地域のもっとも人気の観光名所になっているが、ずっとそうだったわけではない。
何十年もの間、ここは注目されるのことのない、人里離れたただの古い村だった。しかし最近になって、多くの人がその独特な魅力に気づくようになった。
広く知られるようになったのは、2000年になってからのことだ。
エヴリン・コップというドイツ人女性が、村の古い家を購入し、たちまちここの魅力にとりつかれた。コップはのちに『Uchisar Unfolding: The Many Faces of a Cappadocian Village』という本を出版し、これがベストセラーになって、村のことが世間に紹介されることになった。
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Uchisar Castle, Cappadocia, Turkey
村の見どころのひとつは、6世紀にさかのぼる聖バジル教会だ。円錐形の岩の内部にあるため、たどり着くことが非常に難しい。
そのほかには、ウチヒサールと近くの村の間に広がる「鳩の谷」で、かつて人々が岩の丘や石の尖塔に鳩小屋を建てて独特の景観を作り出したという。
何世紀にもわたって、鳩のフンは肥料として利用され、古い教会内部のフレスコ画の色を際立たせるのにも役立ったとされる。
ウチヒサール城は、自然、歴史、文化が絡み合った生きた証として存在している。
観光客はその高みに登りトンネルを進んでいくにつれ、時空を超えた旅に乗り出し、この見事な要塞の枠組みの中に織り込まれたストーリーにどっぷりと浸ることができる。
ウチヒサール城は、地質学的な驚異であるだけでなく、容赦ない時の流れに直面した人類の適応力と回復力の象徴でもあるのだ。
References:Uchisar - Wikipedia / Uchisar Castle, the Enigmatic Stone Village of Cappadocia | Ancient Origins / written by konohazuku / edited by / parumo
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