
ポールさんは6歳の時にポリオに感染し、首から下が麻痺し自力で呼吸ができなくなり、テキサス州の病院に緊急搬送された。医療用人工呼吸器の一種である金属製のシリンダー「鉄の肺」の中で目覚め、そこで残りの人生を過ごしていた。
ポールさんは鉄の肺がなくては生きていけない体になっても、大学に進学し弁護士となり、作家として多くの出版物を出した。
障がいを乗り越えながら偉業を果たした彼の死を追悼する声が世界中から上がっている。
ポリオ感染により6歳から鉄の肺で生きた男性 彼を支援していた募金団体は、2024年3月11日にテキサス州ダラス在住のポール・アレクサンダー(1946年1月30日生まれ)さんが亡くなったことを発表した。
この団体は、ポールさんの友人クリストファー・ウルマーさんが発起人となり、彼の医療費用をカバーするためにGoFundMeで支援を募っており、ポールさんが亡くなるまでに合計2100万円が集められた。
ポールさんの兄弟であるフィリップさんは、寄付してくれた全ての人に感謝の言葉を述べ、「ポールはどんな状況にあっても人間は困難に立ち向かうことができるモデルケースとして、これからも忘れられないでしょう。ポールに寄付したくださった人たちにとても感謝しています」と語っている。
1952年、まだ6歳だったポールさんはポリオに感染。そのせいで首から下が麻痺し、自力で呼吸ができなくなったため、鉄の肺の中で一生を過ごさねばならなくなった。
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子供時代、鉄の肺の中から口にくわえたペンで絵や本を書いていたポールさん困難な状況の中、様々な偉業を成し遂げる 1954年から理学療法士の助けを得て、ポールさんは独学で舌咽頭呼吸法を学び、徐々に鉄の肺から離れることができるようになったが、寝るときはやはり鉄の肺が必要であった。
このような困難な状況にもかかわらず、ポールさんは作家・弁護士として、さまざまな偉業を達成し、その不屈の魂と笑顔で世界中の人々を勇気づけてきた。
21歳のとき、彼はテキサス州ダラスの高校を一度も授業に出席することなく卒業した最初の人物となった。
苦学の末、サザン・メソジスト大学に入学し、さらにテキサス大学オースティン校のロースクールに入学。
弁護士になるという夢を叶え、法廷では改造した車椅子で麻痺した体をまっすぐに保ち、スリーピースのスーツをまとって、クライアントの弁護に努めた。
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スーツ姿で車椅子に乗るポールさん
また、障害者の権利を求めて座り込みを行ったこともある。
その時の体験を綴った『Three Minutes for a Dog(犬のための3分間)』という155ページにおよぶ回顧録は、ポールさんがペンを取り付けた棒を口にくわえて一字一字書いたもので、完成までに8年以上を費やした労作だ。
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34歳当時のポールさん / image credit:public domain/wikimedia鉄の肺のトラブルにも打ち勝ったポールさん 鉄の肺は1928年に実用化された人工呼吸器の一種だ。患者は、首から下を密閉された2m以上もあるタンクに入る。
タンク内外の気圧を交互に変化させることで、患者の胸郭を拡張・収縮させ、肺に空気を出し入れする。
ポリオの流行期には、多くの患者を救ったが、陽圧換気による人工呼吸器が普及したことで現在はあまり使用されていない。
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1953年、鉄の肺を使う患者でいっぱいとなったカリフォルニア州の病棟 / public domain/wikimedia
晩年はほぼ常に300kgの鉄の肺の中に入ったままで、体を動かせないポールさんだったが、両親と兄のニックよりも長く生き、それどころか最初の鉄の肺にすら勝っている。
2015年、鉄の肺から空気が漏れるという深刻なトラブルが発生。ポールさんはYouTubeを通じて助けを求め、それに応じた人の手によって無事修理された。
彼が生涯頼ることになった鉄の肺は、ポンプで鉄のケース内を減圧・加圧することで自力では呼吸できなくなった人の呼吸を助ける装置だ。
とても大掛かりな作りで、患者はその中に横たわり、首の部分をしっかりと固定しなければならない。
入院中、医師たちはポールさんに自力で呼吸してもらおうと、鉄の肺から出そうとしたが、彼はすぐに青ざめて気を失ってしまった。
現在ではもっと便利な人工呼吸器があるが、ポールさんは鉄の肺に慣れていたため、大きくて嵩張る装置を使い続けることにしたという。
ポールさんは、鉄の肺の中で最も長く生きた人物としてギネス世界記録に認定された。
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The Man in the Iron Lung最後まで人生をあきらめなかった そんなハンディキャップにもかかわらず、ポールさんが人生を諦めるようなことは決してなかった。彼は自立した生活を送り、飛行機に乗って旅行もしたし、恋もした。
大学生だったポールさんは、クレアという女性と出会った。やがて2人は婚約までしたが、彼女の母親から娘と会うことを禁じられてしまった。
さすがのポールさんも、この失恋から立ち直るのに何年もかかったそうだ。
だが、その後もポールさんは良縁に恵まれ、キャシーという女性と親しくなった。彼女はポールさんに言わせれば「手となり足となり」、ロースクール卒業後も30年以上にわたって彼を支え続けてくれたという。
こうした決して諦めないポールさんの生き方は、世界中の人々を勇気づけた。
ベテラン弁護士で、作家でもある彼は、亡くなる数ヶ月前からは、TikTokを通じてさまざまなアドバイスや励まされるような彼の体験を伝えていた。
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TikTokには、世界中からポールさんへの追悼の言葉が集まっている。困難を克服し、不屈の精神で夢を追い、自分らしさを追求し続けた彼の生き方は、多くの人に勇気と希望を与えてくれた。
彼が亡くなった後も彼の人生の遺産は受け継がれていくことになるだろう。心からご冥福をお祈りします。
ポリオとは 「ポリオ(急性灰白髄炎)」は、ポリオウイルスによって発症する感染症で、手足の筋肉や呼吸のための筋肉などを麻痺させることがある。So sad to hear that Paul Alexander passed yesterday at age 78 from Covid-19. Paul contracted polio in 1952, when he was just six years old. He ended up in an iron lung and while he could live outside it for extended periods of time he never really left it. pic.twitter.com/nTPtALzfJu
— Kai Kupferschmidt (@kakape) March 12, 2024
脊髄性小児麻痺とも言われ、その名が示す通り、かつては小さな子供がよくかかった病気だ。
1940年代後半、アメリカでは毎年3万5000人の感染者がおり、ポールさんのようなポリオサバイバーたちは鉄の肺によって命をつないできた。
だがワクチンによって予防できるため、現在ではパキスタンやアフガニスタンなど、ごく一部の国を除いてほぼ根絶されている。
References:Fundraiser for Paul Alexander by Christopher Ulmer : Helping Paul Alexander (The Man in the Iron Lung) / Paul Alexander, lawyer who lived for decades with an iron lung, dies aged 78 | Texas | The Guardian / “Polio Paul” Passes Away After Spending 70 Years In Iron Lung, Leaves Impressive Legacy | Bored Panda / written by hiroching / edited by / parumo
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