
318万年前を生きた化石人類「ルーシー」は、毛むくじゃらの姿で描かれることが多い。だが遺伝子分析の技術進歩により、実はそのような体毛はすでになかった可能性があるという。
「私たちすべての母」と表現されるアウストラロピテクス・アファレンシス属(アファール猿人)の女性、ルーシーの発掘以降いくつかの進化の謎が解けつつある。
当時の女性は、衣服こそ身に着けなかったものの、裸に対する羞恥心は持っていたようだ。
318万年前の化石人類「ルーシー」は毛深くなかった? 50年前、318万年前に生きた化石人類「アウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)」の女性の骨が発掘された。
それはほぼ完全な頭蓋骨と何百もの骨のかけらで、ビートルズの名曲「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」にちなんで「ルーシー」と名付けられた。
化石”人類”とはいっても、これまで一般的に伝えられてきたルーシーの容姿は、顔・胸・手足といった部分以外は、ふさふさとした赤茶色の体毛に覆われている。
どちらかというとゴリラやチンパンジーのイメージにも近いかもしれない。
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ルーシーの復元予想図 / image credit:Cleveland Museum of Natural History.
だが、アメリカ・ジョージア州ケネソー州立大学の学際研究科長および哲学教授のステイシー・ケルトナー氏によると、こうした毛むくじゃらのルーシーの姿は、じつは間違っているかもしれないという。
人類とシラミの共進化の研究から、私たちの祖先は300万~400万年前に体毛のほとんどを失っていただろうことが明らかになっている。
衣服を身につけるようになったのは、8万3千~17万年前のこと。つまり、250万年以上もの間、裸で過ごしていたのだ。体毛を失ってから衣服を身に着けるまでの期間 そのころの人類が体毛を失ったのは、体温調節・生理的発達の遅れ・交配相手へのアピール・寄生虫の予防など、さまざまな要因が複雑に絡み合ったためであるようだ。
そして環境的・社会的・文化的要因によって、やがて衣服を着るようになった。
とはいえ、わざわざ体毛を捨てなおかつ服を着るというのは、ずいぶん回りくどいことに思える。祖先がそんなことをしたのも、脳の大きさが関係しているのかもしれない。
私たちの脳は成熟するまでに長い時間がかかり、しかも人体の中でひときわエネルギーを消費する特殊な器官だ。
その結果、人間の赤ん坊が独り立ちするまでには、長期間誰かから世話をしてもらわねばならなくなった。
そこで私たちは”夫婦”という戦略を採用した。男女がパートナーとなって、長年にわたる育児を協力して行うのだ。
が、このような戦略にはリスクもある。人間は社会的な生き物で、大勢の仲間と一緒に暮らしている。こうした環境では、往々にして浮気の誘惑に駆られがちだ。裸のままではなおさらだろう。
それでは2人1組の協力体制が崩壊し、子育てが難しくなる。
そこで夫婦の契りを守るために、何らかのメカニズムが必要だった。ケルトナー氏は、そのメカニズムこそが羞恥心だったのだろうと推測する。
同氏は、ドキュメンタリー映画『ヌードの何が問題なのか』の一節をこう引用する。
裸は根幹となる社会契約に対する脅威ある。それは背徳への誘いだからである……羞恥心は、私たちが配偶者に忠実であるよううながし、子供を育てる責任を共有する裸と社会規範 そもそも”裸”という概念自体が風変わりなものだ。それは体毛を捨て、さらに衣服を身にまとい、裸を禁止することによってのみ成立する。
人類の文明が発展するにつれて、罰則・法律・秩序といった社会を維持するための手段もまた発達した。このときとりわけ女性に関連するものほど整備されていったに違いないと、ケルトナー氏は推測する。
こうして”裸”と”恥”の関係が生まれた。裸になるということは、社会規範を乱す行為だ。それゆえに恥ずかしさを感じる。
もちろん、時と場合によって、何が裸であるのか往々にして変わるものだ。
例えば、ビクトリア時代のイギリスでは、足首を出すだけでスキャンダルだったが、今日では海に行けば、ほとんど裸に近い格好なのが当たり前だ。
また裸は、羞恥心以上の意味を持つこともある。
例えば、ヨーロッパ芸術における”ヌード”は、女性の裸体を男性にとって快楽的な見世物に変えたもので、衣服を着ていない生まれたままの姿という意味の”裸”とは違うのだという。
このように裸は、羞恥心のほか、エロティシズムや親密さ、あるいは弱さや恐怖といったものまで、さまざまな感情を生じさせる。
だがいずれにせよ、社会的な規範や文化な慣習といったものがあるからこその裸なのだ。
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アウストラロピテクス・アファレンシス属の復元予想模型 Australopithecus afarensis Naturhistorisches Museum Wenen. Credit: Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0:ルーシーは裸であって裸ではなかった そういった意味で、体毛が濃かろうと薄かろうと、ルーシーは裸ではなかった。羞恥心というベールをまとっていたのだから。
にもかかわらず、たいていのルーシーは現代の社会規範を前提として描かれることが多い。例えば、よくあるルーシーの姿は、夫らしき男性や子どもたちに囲まれ、いかにも優しい母親といった表情を浮かべたものだ。
ケルトナー氏は、こうした母性と核家族に関する歴史的な仮定に基づくルーシーの描き方を、ただの思い込みに過ぎない「エロチックな空想科学」であると非難する。
こうしたやり方は、しばしば確かな証拠がないもので、しかも人類の進化に関する女性差別的・人種差別的な誤解を永続させる恐れもあるという。
例えば、人類の進化を表すお馴染みのイラストは、もっとも進化した段階としてヨーロッパ系白人男性が描かれることが多い。一方、女性ホミニン(ヒト族)の復元図では、黒人女性の特徴が誇張されがちだ。
ケルトナー氏は、こうしたルーシーをまた別の解釈で描いた、彫刻家ガブリエル・ヴィナスの作品「サンタ・ルシア」を紹介している。
この大理石の彫刻作品は、半透明のヴェールをまとった裸体としてルーシーを表している。それは裸体・被覆・性・羞恥心の複雑な関係を物語るもので、性的な“純潔”が崇拝されるヴェールに包まれた乙女でもあるという。Wow. A marble sculpture titled “Santa Lucia” carved in 2019 based on a scientific reconstruction of Lucy, the Australopithecine. pic.twitter.com/uFk73ayyzb
— the_architectopteryx (@rchitectopteryx) March 1, 2021
さて、そのヴェールの向こうのルーシーの顔は、どのような表情を浮かべているのだろうか?
References:What the 3.2 million-year-old Lucy fossil reveals about nudity and shame / written by hiroching / edited by / parumo
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