
ヒマラヤのふもとにあるネパールは、今も神々の信仰が日常生活に深く根付いている国である。
ヒンドゥー教や仏教、土着の宗教が入り混じり、毎日が神と共にある生活。
2025年9月、ネパールに新しい「生き神様」が誕生した。2歳のまだ幼い少女が、「クマリ」と呼ばれる守護神の生まれ変わり、生きた女神として、首都カトマンズの寺院に「降臨」した。
2歳の女の子が「生き神様」に選ばれる
新しい「クマリ」に選ばれたのは、アリアタラ・サキャちゃんという2歳8か月の女の子だ。彼女はこれから初潮を迎えるまでの間、「女神」として首都カトマンズにあるクマリ寺院のご本尊を務めることになる。
娘が「生き神様」に選ばれたことについて、父親のアナンタ・サキャさんは次のように語っている。
昨日までは私の娘でしたが、今や彼女は「女神」です。妻は妊娠中、彼女が女神になる夢を見ました。私たちは、彼女が特別な存在になるだろうと確信していたのです
アリアタラちゃんを祝福する現地の様子を伝えるニュース映像がこちら。彼女は10月14日に就任の儀式を行い、正式にクマリの位に就くことになる。
クマリあるいはクマーリーはもともとサンスクリット語で「少女」「処女」を意味する言葉であり、今も女の子ならみんなクマリだ。ちなみに男の子は「クマール」である。
極端な話、家庭でも女の子がいればクマリという女神だし、村や町などの共同体にもそれぞれクマリという生き神様がいたりする。
今回話題になっているのは、ネパールが王国だった時代から王国のクマリ、つまりロイヤル・クマリとして、国王ですら跪かせてきた首都カトマンズのクマリのことである。以下、このロイヤル・クマリを単にクマリと呼ぶ。
女神の化身として国王にも信仰されたクマリ
クマリはヒンドゥー教の女神ドゥルガーの化身とされ、またネパールの守護神タレジュ女神の化身としても崇拝されている。
生き神様としてのクマリの歴史は、カトマンズがネワール族の王国だった、17世紀のマッラ朝時代にさかのぼる。
当時の王たちは、王国の守り神であるタレジュ女神と友人のように付き合っており、サイコロを使ったボードゲームに興じることがあった。
だがある夜、王妃が王の浮気を疑い、王が女神とゲームを楽しんでいる部屋に踏み込んだ。激怒した女神は、王に向かってこう言って姿を消してしまった。
もし再び私に会いたいのなら、サキャのカーストに生まれた少女の中から私を見つけるように
以来、王はタレジュ女神の化身を、サキャに生まれた少女の中から探すようになったのだという。
これには異説もあって、王がタレジュ女神に懸想したためその怒りを買い、王が許しを求めたところ、サキャの少女として現れることになったという話もある。
クマリを出すサキャとは、ネワール族のジャート(カースト)のひとつで、お釈迦様を生んだシャカ族の末裔とも言われている。
ネワール族にはにはヒンドゥー教徒もいれば仏教徒もいて、それぞれにジャート(カースト)がある。ヒンドゥー教の生き神様であるはずのクマリが選ばれる「サキャ」が、仏教徒のジャートであるのは興味深い。
実はネパール、特にネワール族のコミュニティでは、ヒンドゥー教と仏教が、日本の神道と仏教のように、混ざり合い溶け合いながら共存しているところがある。
日本人がお寺にも神社にも行くように、彼らはヒンドゥー教の寺院にも仏教の寺院にも、区別なく参拝していたりする。このあたりの感覚は、日本人には意外と理解しやすいものかもしれない。
クマリに選ばれるには厳しい条件がある
こうしてクマリはサキャの中から選ばれることになったのだが、チベットのダライ・ラマのように、クマリとして「見つけ出される」ためにはさまざまな条件をクリアしなければならない。
まず、「バッティス・ラクシャナ(三十二相)」と呼ばれる身体的条件がある。そのいくつかを挙げてみるが、抽象的過ぎて首をかしげたくなる条件も多い。
- ほら貝のような首
- ライオンのような胸
- 牛のようなまつげ
- 鹿のような太もも
- 1本も欠けのない完璧な歯
- 傷のない透明な肌
- アヒルのように柔らかく澄んだ声
こういった条件をクリアした少女たちが候補として選ばれ、次にはさまざまなテストが科される。
- 恐ろしい仮面を被った僧侶が脅かす真っ暗な部屋に入れられる
- 水牛が犠牲としてと殺されるのを見る
- 暗い寺院の中で1人で一晩過ごす
- いくつかの品々の中から、先代のクマリが所有していたものを選ぶ
大人でも泣きたくなりそうな恐ろしいテストだが、ここで泣いたり取り乱したりしたら、即候補者から脱落である。
そして上記のような厳しい条件とテストを、すべて完璧にクリアした少女が、次のクマリとして選ばれるのだ。
今回選出されたアリアタラちゃんも、2歳という年齢で、こうした試練をすべて乗り越えたのだろう。
彼女はこれから初潮を迎えるまでの間、家族と離れ、カトマンズの旧市街にある「クマリの館」で過ごすことになる。
こんなに小さい女の子が?と疑う人も多いと思う。確かに真っ暗い中で、怖いお化け(のお面をつけた僧侶)に脅かされたら、大人だって逃げ出したくなると思う。
だが私が直接元クマリやクマリの家族から聞いた話だが、クマリとなった少女は暗闇を恐れず、怪異に動揺することもなく、常に無表情で平静を保つのだそうだ。
なぜならクマリが感情を露わにするのは、神託が下されるときだけ。クマリが泣き叫んだという記録もいくつがあるが、その度に国を揺るがすような大事件や災害が起こったのだという。
私が実際に会ったクマリたちも、幼稚園に通っているような年齢ながら、神として台座に座った途端ニコリともせず、一切の感情を見せないのが印象的だった。
村や町にもローカルなクマリが存在する
ちなみに首都のあるカトマンズ盆地には、かつてカトマンズの他にパタンとバドガオン(バクタプール)という2つの王国があり、ネワール族による三王国が築かれていた。
パタンにもバドガオンにもそれぞれの王国のクマリがいて、今もその伝統は引き継がれている。カトマンズ以外のクマリは、ローカル・クマリと呼ばれている。
小さな町や村のローカル・クマリは、普通に学校に行って、友だちも遊んでいる子もいた。でも無邪気に笑って遊んでいても、玉座に座ると「女神」の顔になる。
初潮前の小さな女の子が選ばれるのは一緒だが、それぞれのクマリは装飾品の種類のほか、額の第三の眼の描き方が微妙に異なっているのが興味深い。
パタンでは1954年にクマリに選ばれたダナさんという女性が、初潮が来なかったために退位を拒み、70歳を過ぎた今でもクマリとして過ごしている。
公式には1984年に退位させられて、別のクマリが既に代を重ねているのだが、ダナさんも自宅で「クマリ」として、親族や地域住民から信仰されている。
下はお参りに来た人に供物をおさがりとして授けるダナさん。果物をお供えとして持って行くと、こうして祝福して分けてくれる。
「人権侵害」」との批判の声に少しずつ変化
カトマンズのロイヤル・クマリは学校に通わないので、かつては英語はもちろん、ネパールの公用語であるネパール語すら話せない元クマリも多かった。
クマリを引退した女性に直接話を聞いたことがあるが、一般人に戻ってから学校の勉強について行くのが大変だとも言っていたな。
元クマリと結婚すると早死にするなどという言い伝えもあって、なかなか結婚できないという話も聞いた。
現在では国内外からの批判の声を受け、クマリの生活もだいぶ変わってきてはいるようだ。
かつては世話係の人に囲まれて「神」としての生活だけを送っていたクマリも、今ではテレビだって見られるし、家庭教師による学習指導も行われているそうだ。
王政が廃止され、毛沢東主義を掲げる左派政権になってからは、クマリを廃止しろという声もあったという。
確かに幼い子どもを軟禁し、教育を受ける機会を奪っているという点では、クマリは「児童虐待」「人権侵害」に当たるのかもしれない。
日本にも「女人禁制」は差別だとする批判などが存在するが、長い間受け継がれて来た伝統や、人々の心に深く根を下ろす信仰と、「人権」の間にある問題は、単純には解決できない難しいものがあると思う。
引退後の元クマリへの支援はまだ不十分
ロイヤル・クマリと一部のローカル・クマリには、引退後は生涯年金が支給される。とは言え、決して豊かに暮らせるような金額ではないし、「人間」に戻った時に幸せな人生を送れるかどうかは、お金の問題だけではない。
元クマリ普通の女の子として、幸せな人生を歩めるよう、国やコミュニティがしっかりと支援することが必要なのだ。
下の写真は、かつてロイヤル・クマリを務めたマティナさん。
カトマンズのクマリは、クマリの館に行ってお賽銭を上げると顔を出してくれる。窓から外を眺めていることもあるので、目にするだけなら難しくはない。
パタンのクマリには外国人でも拝謁できる。果物などのお供えとお賽銭を持って行こう。バドガオンのクマリも、運が良ければ呼んで来てもらえると思う。
毎年秋に行われるインドラ・ジャットラというインドラ神のお祭りには、クマリ・ジャットラと呼ばれる行事がある。
この日はクマリが館の外に出て、山車に乗ってカトマンズの街を練り歩く。正装したクマリを見られる唯一と言っていい機会だが、あり得ないほど混雑するのでかなりの気合が必要だ。
なお、もうすぐ終わりを迎える大阪万博のネパール館では、クマリについての写真展示が行われているそうだ。興味のある人はぜひ行ってみてほしい。