今からおよそ30年前。1990年代のアニソンシーンは、多くの声優が音楽活動を活発化させ、いわゆる”声優アーティスト”がシーンを大きく盛り上げ、現在の声優が音楽活動をはじめとしたマルチな活躍を見せる礎を作り上げた時代だ。
そして、林原めぐみ、椎名へきるらと共にそのシーンの中心にいたのが、声優・國府田マリ子である。『ママレード・ボーイ』での小石川光希や『GS美神』のおキヌなど数々のヒロインを演じる声優として、また数々のラジオ番組のパーソナリティとして知られる彼女は、1994年に「僕らのステキ/Harmony」でアーティストデビューを果たして以降、当時のJ-POP/J-ROCKと隣接する、現在のアニメ/声優音楽に大きな影響を与える作品を生み出してきた。

そんな彼女が今年、およそ10年ぶりとなる新作ミニアルバム『世界はまだ君を知らない』をリリースした。今回はそんな國府田マリ子の30年にわたるキャリアを、なかでも多くの名作がリリースされた1990年代にフォーカスして振り返るとともに、彼女が今だからこそ伝えたいメッセージを込めたニューアルバムについてたっぷり話を聞いた。なおインタビューには、『世界はまだ君を知らない』のプロデューサーであり、國府田がコナミレーベルに所属していた活動初期のディレクターを担当する一方で、ながつきまろん(菜芽月まろん)名義で「Twin memories」など多くの楽曲を作った前澤之伯氏も同席し、彼の視点からも國府田マリ子の音楽というものを語ってもらった。

INTERVIEW & TEXT BY 澄川龍一

音楽と生きることを分けていなかった
――ニューアルバム『世界はまだ君を知らない』がついにリリースとなりましたが、前作『絶対的energy★キラッ』から10年ぶりのリリースとなるんですよね。


國府田マリ子 はい。10年ぶりだなんて、前澤さんに言われて気がつきました(笑)。

――その一方でライブ活動も含めておよそ30年にわたってコンスタントに歌い続けてきた印象のある國府田さんですが、やはりご自身にとって音楽は特別なもの?

國府田 はい!歌っていない自分があまり想像できないです。自分が歌いたいって思っている間はずっと歌い続けていたいと思います。

――その國府田さんにとっての音楽というものの源流を今回お伺いできればなと。

國府田 生まれたとき、母親のお腹にいたときから音楽に囲まれて育ってきたので、音楽のないところで呼吸している感覚があまりないんです。
ひとり暮らしを始めていちばん最初に違和感を覚えたのは、ピアノのない生活でした。親もとで暮らしていたときは、何かあってうう~って泣いたりしたら、ピアノを弾くみたいな感じだったので、すごく生きることに密着しているもの。

――小さい頃から音楽に囲まれていた生活をされていたんですね。

國府田 家族みんなが音楽好きで、小さい頃、姉は恥ずかしがり屋なんですけど、いつも一緒にお歌をうたってくれたし、うちの父もどこでも歌っていたので、子供のときはすごく恥ずかしかった(笑)。駅のホームでも歌うし、道を歩きながらも歌うし、「お父さんやめてよ!」って言っていたのが、気がつけば自分もそうなっているという。「……あれ?」って(笑)。


――そんな幼少期を過ごされた國府田さんだけに、声優としてキャリアをスタートさせたのちに音楽活動を始めることも自然なことだった?

國府田 音楽と生きることを分けていなかったから、それを仕事にするのは考えていなかったんですけど、歌の活動ができるとなったとき、ただただ嬉しかったです。キャラクターソングのお仕事をいただいたときも、それだけで嬉しくて、あまりにもはしゃいでずっと歌っていたから、「そんなに好きだったら自分の歌を、歌ってみる?」という感じでマイケル(前澤)が言ってくださったんだと思います。ものすごく嬉しかった。

――今では珍しくないことですが、当時声優さんがオリジナル楽曲を歌うことについてはどうお考えでしたか?

國府田 奇跡が重ならなかったら、この仕事で歌を歌うということはとても難しいことだったと思います。当時、声優さんがキャラクターソングを歌うことはもう当たり前のことだったと思うんですけど、オリジナルとして歌の活動をするというのは、実績のないわたしにとっては、まさに奇跡のような出来事。だからこそ本当に嬉しかったです。


自分が歌ったものが、聴いた人の気持ちに触れないと意味がない
――今回はニューアルバムについてのお話はもちろん、そうした國府田さんの音楽キャリアを振り返っていきたいなと思います。まず印象的なのが、西脇辰弥さんや松原みきさん、戸沢暢美さんら錚々たるクリエイター陣が、デビュー当時のアルバム『Pure』(1994年)からすでに参加されているんですよね。

國府田 ありがとうございます!(前澤氏を指して)ブッキングした方がそこにいらっしゃいます(笑)。

前澤之伯 多くの方たちがいわゆるブレイクする直前だったんですよね。亀田(誠治)さんもまだ椎名林檎さんとお仕事をする前のことでしたし。

――現在では大御所と呼ばれる方々の、若い頃に一緒に仕事をしていたと。
一方で松原みきさんのように、すでにご活躍されていたアーティストも初期から参加されていますよね。


前澤 松原さんはマリちゃん(國府田)が文化放送のラジオでパーソナリティをやっていたときに、当時の部長さんから「いい人がいる」と紹介していただいたんです。「どんな方かな?」と思ったら、「あれっ、『真夜中のドア』の人!?」って(笑)。

――松原みきさんの代表曲「真夜中のドア~Stay With Me」は、近年、全世界でリバイバルヒットしていますが、國府田さんは松原さんとも交流が深かったんですよね。

國府田 みきさんとはほとんど24時間一緒にいました。仕事が終わってそのままみきさんのいるホテルのレストランで、夜中の1時くらいにきゃあきゃあ言いながら歌詞を書いていました。
あの当時はホテルのレストランもバーも、そんな時間までやっていたんですよね。

――松原さんは國府田さんの初期の音楽活動に大きな影響を与えた人物だったんですね。

國府田 本当のお姉ちゃんみたい。お互いなんでも話しました。前澤さんが、「この人は絶対にマリちゃんに合う」って紹介してくれた方は奇跡みたいに合うんです。それは音楽的センスや技術もそうだし、人間性も、人に対する愛情もみんな素晴らしくて。何かを押しつけてくるということは絶対になくて、私という人間をすごく見てくれていて、私がどんな想いを抱いているのか感じたうえで音楽を一緒に作ってくれる。私は右も左もわからない、皆さんからしたら「なんだろ、この面白い生きものは?」っていう。ただ好きなだけで歌っているわたしに、いつも愛情の塊で接してくれる現場ばかりでした。

前澤 音楽業界のルールやマナーをあまり知らなかったのが逆に良かったんだと思います。僕も含めて知ったかぶりをしなかった。僕も、当時在籍していたコナミはゲームの会社だったので、周りに音楽アーティストの制作活動をしていた先輩がいなかったんですよね。それがよかったんだと思います。

――そうしたなかで、ナチュラルに音楽制作をすることができたわけですね。それがまた当時にしても良質なポップアルバムになっていて。

前澤 それこそ、谷村有美さんの『愛は元気です。』(1991年)のクレジットを見てみてください。そのアルバムとマリちゃんの初期のアルバムのスタッフはほぼ一緒なんですよね。戸沢さんや西脇さんも、エンジニアさんもアートディレクターもそうだし。そのメンツに彼女が負けてなかったのが良かったんだと思います。

國府田 とんでもないです……。

前澤 誰々にやってもらったってただ受けるだけじゃなくて、それに負けてないという。

――國府田さんとしては、そうした現場で自分のやりたいことや想いを伝えやすい現場でしたか?

國府田 とにかく自分が歌ったものが、聴いた人の気持ちに触れないと自分にとっては歌っている意味がない、それだけです。技術的なことはわからないし、正解は1つじゃない。でも、その気持ちをみんなが受け入れてくれる現場だった。気を臆することみじんもなくそこにいられる、集中出来る。私も「こんなすごい方たちに」とならずに「じゃあこれは?」って色々なことを聞きながら本当に楽しくやらせていただけた。みんながわたしを面白がって音楽を作ってくれるんです。それが楽しかったです。

――また國府田さんとしてはデビュー当時から作詞を担当されていますよね。

國府田 作詞は戸沢(暢美)さんに鍛えられました……。「愛は元気です。」(※戸沢が作詞した谷村有美の楽曲)じゃないですけど、戸沢さんはまさに飴と鞭ならぬ、愛と鞭でした。

――國府田さんのデビュー曲「僕らのステキ」(1994年)も手がけられた、J-POPシーンでも有名な作詞家ですね。ちなみに作詞は中学生の頃からされていたそうですが、國府田さんにとって作詞することの印象はいかがでしたか?

國府田 特別なことでなく書きたいときに書いています。今朝も書いていました。「あ、この気持ち、歌にしたい」と思ったらすぐ形にしていくという感じです。デビュー当時はそれを作品にするとしたら一定のクオリティにして、商品として届けなくてはいけない。そこで作詞の猛勉強をしました。アルバム『Vivid』(1995年)の制作中はまるまる一枚戸沢さんにベタづきで教えていただきました。すっっっっごいスパルタですっっっっごい楽しかった。

――『Vivid』では13曲中11曲の歌詞を戸沢さんが手がけられていますが(うち1曲は國府田との共作)、その次作『Happy!Happy!Happy!』(1996年)では國府田さんが半分以上の楽曲で作詞に関わられています。その間に戸沢さんからのレクチャーがあったわけですね。

國府田 「とにかく思いついたことを全部送ってきなさい」って言われました。浮かんだらすぐFAX。「何枚もにしない!一枚にまとめる!」「なんでこんなに少ない歌詞のなかで同じワードを使ってるの!もったいない!書き直し!」それこそ24時間相手してくださいました。

――まさにスパルタですね……。

國府田 別に怒っているわけじゃないんです。情熱を持って教えてくださっているんです。そのテンションがすごく高いんです!!! 全然怖くないし、楽しくて、帰りは車で送ってくださったりもして。『Vivid』の制作をしていた頃は、夜中のラジオの生放送とアルバムの制作期間が重なっていて。生放送明け、眠らずにそのまま朝スタジオに入って、私は喉のコンディションが悪い。そんな私に「私が命をかけてやっている歌詞をそんな体調で歌うの?それは失礼だよね」って本気で怒ってくれた人です。

――『Vivid』というと歌手デビューして1年後のことですけど、相当叩き込まれたわけですね。

國府田 忘れられないのが、「人間はね、もがいてもがいて苦しんで苦しんで、だから美しいのよ!」って雄叫びをあげてらしたこと。とにかく熱い方でした!

――その熱量が國府田さんの音楽性を育まれていったと。作曲家やミュージシャンの方ともそうした熱量のなかで過ごされていったんですか?

國府田 みんなオープンマインドなので、西脇さん、亀田さんもそうですけど、打ち合わせのときとかキー合わせのときとかでも「なら、うちのスタジオにおいで」って呼んでくれて。本当に惜しみなく時間も愛情も注いでくださったので嬉しかった。ありがたかったです。今思えば、そんなにも恵まれた環境ってないですよね、本当に。

――そうしたなかでの國府田さんのボーカルなのですが、印象としてはデビュー時から持ち前の溌剌としたボーカルはそうですけど、一方で艶っぽさも含めた表情の幅が感じられていて、初期からすでに仕上がっているところが多いなと思うんですよね。

國府田 わあ、褒められた(嬉)。でもそれは、周りが歌をうたう精神状態を作ってくれたからなんです。私の性格を知り尽くしているというか、「このほうがマリちゃんは歌いやすい」というのを知ってくださっていて。やっぱり精神状態が少し違うだけで歌えたり歌えなかったり、良い歌が録れたり全然ダメだったり、その日によって違うから。

――それこそ、当時は声優やラジオパーソナリティのお仕事もあり、この頃から声優雑誌も創刊されて、とにかく國府田さんの稼働が増えている状況ですよね。体調面なども大変だったかと思いますが……。

國府田 体はついてこないですけど、気持ちは弾けるとってもHappy!昭和生まれは気合いで生きる(笑)。「食べられないときは寝る」「寝られないときは食べる」、あと「無理はするけど無茶はしない」という名言が数々生まれました(笑)。

――そうしたなかで、「自分の音楽はこうだ」というものも見え始めてきたのかなと。

國府田 道しるべは……自分が最初に「自分の仕事への評価」ができるのって、スタッフさん、ミュージシャンさんの表情。聴いてくださる方に届くのはその後になるので。なのでその前に自分がパフォーマンスをしたときに一緒にその場に居る、聴いていたスタッフのみんなミュージシャンのみんながすごく Happyになれてるか。「あ、マリちゃん今日調子悪いんだな」と思われていたら、自分のなかで最悪。やっぱり最初に感じてくれた「私を知ってくれている」スタッフさんが、「最高じゃん!」って思ってくれるものを作っていきました。だからそこで「疲れているから」とかという感覚は自分の中ではないんです。傍から見たらドロドロかもしれないですけど(笑)、自分の中ではめちゃめちゃ元気。

皆さんが私のことを面白がって、色んな曲を作ってくださった
――さて、國府田さんの1990年代のキャリアを振り返るうえで、後半もまた重要で。いわゆる『なんでだってば!?』(1997年)、『だいすきなうた』(1998年)、『やってみよう』(1999年)の一連のアルバムはどれも素晴らしい作品で……。

國府田 わぁまた褒められた(嬉)。そんなとんでもないです。

――いえいえ。特に『やってみよう』ではバンド体制をより突き詰めた、当時のJ-ROCKシーンとも呼応した作品になっていましたよね。

國府田 最高でした!あのバンドは「High Cheez」という名前。またいつか絶対あのメンバーで一緒に音楽やりたい!みんなお忙しくてなかなか難かしい!!

――國府田さんをボーカルに、西脇辰弥さん(Key)、亀田誠治さん(Ba)、西川 進さん(Gt)、倉内 充さん(Dr)というものすごい編成ですよね。あのアルバムは非常にライブ感のあるものでしたが、収録もライブレコーディングだったんですか?

國府田 ギターの中村修司さんもいらして、このバンドは本当に「せーの」で録りました。スタジオのあちこちに小さなブースを作って。隣りをみると誰かが演奏してる。幸せにみんなを見つめながら歌いました。曲中も歌う前も歌った後もマイクが生きてて、それがそのままCDに収録されてます。最高です!みんな1、2回演ると、「はい終わり終わり~」って帰っちゃう。「ええ~?淋しい……もっと一緒に歌いたい……」っていつも思ってた(笑)。その前まで緻密に作っていく方法もあったので「これは……なんだ?」って衝撃を受けました。なんて最高なメンバー!(笑)。

――あと同時期である1999年2月にリリースされた椎名林檎さんの『無罪モラトリアム』にも亀田さんや西川さんが参加されていて(『無罪モラトリアム』は1999年2月24日、『やってみよう』は1999年2月26日にリリース)。『やってみよう』などのプロデュースを手がけた井上うにさんも、のちに椎名林檎作品に参加されますし。

國府田 はい。当時の現場はお互いの現場トークが混じっていたんですよね。椎名林檎さんはお会いしたことがないのにすごくよく知っている気がします(笑)。「そうなのか~」って聞き流していました。そのとき制作していたこの作品『やってみよう』は、「今の國府田マリ子にうたわせたい歌を1曲ずつ作ろう」というコンセプトでみんなに一曲ずつ作ってもらいました。

――いわゆる当時のJ-ROCKシーン的なオルタナティブロックやギターポップ、あとパンク……。

國府田 にゃんこ!

――「ロックでパンクでジャンクなボクのネコ」(アルバム『やってみよう』収録曲)ですよね。声優音楽であんなサウンドが聴かれるのは衝撃でした。

國府田 いつも愛情いっぱい皆さんが私のことを面白がって、色んな曲を作ってくださったんです!「~メッセージ~」(アルバム『Happy!Happy!Happy!』収録曲)も、私が歌詞を乗せる前の、西脇さんが付けていた仮タイトルに「テンチョウ ナナネン コロシ」とか書いてあって(笑)。それでレコーディングが終わったあとに、「いや~、歌えないかと思ったけど、よく歌えたね!」って。「歌えないと思ったのに書いたの?」「いや、マリちゃんのこのギリギリのラインの声が良いんだよ」って(笑)。褒められた気持ちになりました。

前澤 当時はそういうのが珍しかったんですよね。なので面白がってくれて、こっちも怖いもの知らずで(笑)。ただ、別に狙っていたわけじゃないんですよ。狙っていたらできなかった。マリちゃんも僕も音楽を作るときの相性が良かった、色んな偶然がマリちゃんを中心に出来上がったんですよね。誰かがいなかったらできなかったことで。

國府田 本当にそう思います。誰一人欠けても実現していない奇跡。

今、自分が伝えたいことがある
――そこから2000年代に入って以降も、泉川そら(イズミカワソラ)さんや松本タカヒロ(The Turtles)さんを迎えたアルバム『そら』(2000年)など、コンスタントなリリースを続けていきますが、レーベルも変わるなど環境の変化もあるなかで、音楽への向き合いに変化はありましたか?

國府田 変わらないです。今も変わらないです。ただ同じことは二度と起きないから、常にそれを越える新しいものを作っていくということです。

――そこにあるものは変わらず、國府田さんが今やりたいことだったり……。

國府田 今、送りたいメッセージです。

――そうしたリアルな想いがそれぞれの作品に込められていると。そんななか、今年3月にリリースされたアルバム『世界はまだ君を知らない』は、どのような想いがあって生まれたものだったのですか?

國府田 今回のアルバム作りには2段階あって、1段階目はまず「歌いたいな」って一生懸命考えた結果、マイケルと一緒にやりたいと思いました。それで結構しつこく電話したんです。でも最初はつれなくて。あまりしつこく連絡するのもなあと思って、そこからしばらく年月を置いて、今度は気持ちを綴ったメールをしつこく送りました。

――電話の次はメールだと(笑)。

國府田 でもメールの反応もあんまりつれなくて。直接会いに行って説得しようと思って時間を作っていただきました。会いに行ったんですけど、それでもつれなくて(涙)。もう世の中はコロナ禍でした。そのときには、1段階目の「マイケルと一緒に音楽を作りたいです」って訴えていたときとは違う自分がいました。コロナ禍になったことで、「ステージに立つ、パフォーマンスをすること」をアーティストとして、役者として、表現する方法を奪われていた。

――前澤さんに話をするなかで、世の中が大変なことになってしまった。

國府田 世の中はどんどんゴチャゴチャしていって、エンターテインメントやニュースを発信するものはみんなコロナの話題になっちゃって、テレビをつけたらもう観てられない。世の中がどんどん病んでいったイメージ。ご多分に漏れず私も、何も食べられなくなったし、とにかく1年間スイカしか食べないとか、次の年は何しか食べないって感じになっちゃって。父も同じ体質で一緒にげっそりしちゃったんですけど。

――特にコロナ禍初期の2020年頃は、表現者としてもいち人間としても非常に困難な時期だったわけですね。

國府田 もう世界がどうなるかわからないし、みんなああだこうだ言っていて。でも、そのとき思ったんです、何が正しいかなんて100年後200年後しかわからないだろって。今やるべきことををやる必要があるんじゃないか?って。それで「いま、自分に何ができるんですか?」って自分に問うたときに、「私はみんなにエンターテインメントを届けて、みんなの人生の添え物、生きる糧やちょっと勇気が出るような、ちょっと幸せになるような、泣きたいときには泣けるような、ちょっとスイッチを押せる」、そういう仕事を生業として生きてきた。じゃあ今私にできることは今の想いを、歌を、書き溜めることだと思ったんです。

――そこで自分のできることというものを見つめていったと。

國府田 未来のことを考えると、このまま滅びるか、生き延びるか、その2つじゃないですか。じゃあ生き延びたときに、「何やっていたの、あの時間?」って自分に言われたくなかったんです。「ただ嘆いていたの?」って自分に言われたくなかったから、鬼のように歌を書き溜めた。そして改めて前澤さんに「今、自分が伝えたいことがある」って。それを作品にするためには、マイケルが必要なんだ、って伝えました。マイケルの持つ音楽の価値観、魂のあり方、私に連れてきてくれるミュージシャンさん、この人しかいないっていうセンス。マイケルとしか作れないと思った。だからその自分の直感を信じて、その気持ちをあきらめずにマイケルに伝え続けました。

――國府田さんが音楽で伝えたいというものが明確にあって、形にするには前澤さんの力が必要だったんですね。

國府田 形にしたい、メッセージとして発信したいと思ったんです。アーティストみんなそうだったと思うんです。当時はみんな何かを発信しようって、色んなことを模索されていたと思う。今自分が表現したい音楽を、世界を作るには絶対にマイケルしかいない、と言う確信があったんです。

前澤 言い訳が1つあって(笑)。ただの請負いでやろうとは思っていなかったんですよ。マリちゃんから曲をもらって制作して、うちのレーベルからCDを出すというのは、ちゃんとした理由がないといけない。マリちゃんとは30年前から音楽を作っていて、10年くらい前にも請負いのような形で一緒に作ったのですが(※2009年作のミニアルバム『僕の宝物』)、今回またやるとなったときに、多分、請負いみたいな関わり方だと、自分がお返しできない。そこには自分が作りたいという気持ちがないと、わかりやすいことを言えば、自腹を切って制作するくらいのことをしないといいものはできない。だからそれに対して自分のなかで落とし所をつけるために「マリちゃんはどうしたいの?」って確認していたのを、彼女は「つれない」って言葉で表現したんだと思います(笑)。でもそこだけだったんですよ。

國府田 すごく嬉しいのは、仕事だけど、ちゃんと「魂」で向き合ってくれて一緒に制作してくれる。

前澤 仕事なんですけど、仕事が前提じゃないんですよ。30年前にやった、あのときだってただ「歌ってください」って言って歌ってもらったわけじゃないし、なんとなくそういう流れがあったんですよね。それが全部いい流れになったという。

――そうした流れも踏まえて、全体的に國府田さんが今の時代だからこそ伝えたいメッセージが封じ込められた一枚となったわけですが、國府田さんは作詞においても単独や補作詞という形で全体に携わられていますね。

國府田 補作詞という言葉は初めてでした。共作という形で以前発表した「私が天使だったらいいのに」(1996年)。三浦徳子さんに「書ける?」って聞かれて。それで私が書いたものを添削してくださった。「やればできるじゃない!」っと言っていただいて幸せすぎました。というのが最初の共作。あのときはクレジットに三浦さんと私の名前を両方並べてくださったんです。新鮮だったし嬉しかった!今回の補作詞は、1番だけ歌詞があって、そこからみんなで広げていくという感じでした。すごく楽しかったです。

――補作詞でいうと先行で配信された「一緒に帰ろうか」(2021年)の優しい雰囲気が印象的で、本作のコンセプトにも大きく作用しているなと思います。

國府田 これは私というより、作詞をしてくださったAOさん。彼女がまた素晴らしい才能とハートのある方で、仮歌を聴いたときに惚れちゃったんです。彼女の優しさだったり、みんなを包み込む想いがすごく伝わってきたの。

――その”優しさ”というキーワードは本作の大きなポイントですよね。次の曲の「ゆりかご」もまた、國府田さんが惚れ込んだ一曲だそうですが。

國府田 「このままがいい。私が歌わなくていいんじゃない……?」って思ったくらい。惚れました。仮歌を聴いたとき。私、このままこれ欲しい!って思いました。この楽曲にめちゃくちゃ癒されていました。

――アルバムとして、今を生きる人たちへの癒しになる楽曲が多い本作ですが、同時に國府田さんの癒しにもなっている。

國府田 コロナ禍、心が疲弊した中で初めて「ゆりかご」を聴かせていただいたときに「この歌聴かないと今日を終われない」って思ったほど。「一緒に帰ろうか」を歌ったあとに「ゆりかご」を歌いました。前澤さんが「『一緒に帰ろうか』をまず歌ってみよう、そこからまた考えよう」って提案してくれて。その制作途中「ゆりかご」と出会いました。

――この2曲を作るなかで、アルバム制作が本格化していったわけですね。

國府田 前澤さんのすごいところは、一緒に共鳴してくれるんです。気持ちを一緒に持っていってくれる。そのなかで出来たのが「ゆりかご」。「ゆりかご」は最初1番しかなかったので、作詞のmetoさんに「歌いたいんです」ってお願いして続きを作詞していただいて、それに私がちょこっとだけ自分の言葉を添えたくらい。その作詞家さんが「どういう世界をここで表現したいのか」を考えながら、寄り添いながら言葉を添えていくという作業でした。ずっとみんなで詞を見ながら、「こういう世界観なんだな」って自分とシンクロしていく作業でした。

――コロナ禍というなかで、國府田さんも作りながら徐々に気持ちを回復していくような作業でもあったわけですよね。

國府田 わたしも世の中もコロナ禍初期は本当に病んでいたのではないかと思います。自分でこれだけ自分の気持ちってコントロールできないのかって思い知りました。

――だからこそ全体の曲調も穏やかなものが多くなっていったわけですね。

國府田 これまでは歌詞がパワフルな曲はライブでもアップテンポが多かった。みんなでわーってテンポで盛り上がれる曲が多かった。でも、気がついたんです。心が本当に弱っているときって、歌のパワーに勝てない瞬間がある。自分の歌さえ聴けない。「ちょっと待って、ちょっと今は無理」。

――同じく元気づける、勇気づける楽曲であっても、今はまた違うアプローチの楽曲を欲していたと。

國府田 ミディアムテンポで熱い想いを歌いたいと思いました。一回掴んでしまえばそんなに難しいことではなかったのですが。初めてのチャレンジでした。最初は「あ、これ難しい。私にできるかな?」と、とまどいました。すごく難しかった。「世界はまだ君を知らない」もそうだし、「昨日より今日 今日より明日」も。いざマイクの前に立ったとき、どうこの熱い想いを優しいミディアムテンポのメロディに乗せようか、と。

――それこそ本作終盤の「空と糸」や「beautiful moon」は、まさに優しく包み込んでアルバムを締めくくるような印象です。

國府田 すごく綺麗なメロディの曲で、「ザ・前澤之伯」(※今回のミニアルバムは「一緒に帰ろうか」「ゆりかご」を除き、前澤が作曲を手がけている)。中学のとき合唱部だったので、合唱曲みたいな曲調が大好き。楽しんで歌えました。でも切ない曲でした。

――そうした優しい世界観の楽曲のなかで、先ほど挙がった「世界はまだ君を知らない」がリアルに聴こえるんですよね。

國府田 まさに、ミディアムに熱い想いを乗せた曲です。

――この曲はほかの楽曲で聴かれる”優しさ”とはまた少し違って、國府田さんの口調も強い印象なんですよね。

國府田 書き溜めていた歌詞の中に「世界はまだ君を知らない」がありました。でも、最初に書いていた歌詞はただ優しく光る未来を歌っている歌詞だったんです。でも、マイケルにスタジオで「これを聴いて(マイケルが作曲したてほやほや)、今すぐこれに歌詞をつけて!」って言われて。「ん?今なんて?」ってなりました(笑)。マイケルが作ってくれたメロディとその優しいだけだった「世界はまだ君を知らない」の歌詞の世界が、時間が経てば経つほどパワーが増して、想いや経験が付随して表現が変わってきた。そのときの最高の一瞬を切り抜いて、そのままレコーディングしました。

――コロナ禍が始まって深く傷ついたときに比べて、前を向く気持ちが生まれたからこそ書ける力強い歌詞なんだと思います。

國府田 今思えば、最初に書いた歌詞はただ優しいだけの曲だったなって思います。今お話していて思ったんですけど、本当に「マイケルの生み出すメロディ」と歌詞の世界が出会って、改めて生まれ変わって力強くなったなって。

――そうした本作がリリースされ、改めて國府田さんが今描く世界というものを堪能することができました。今後も5月にはライブが予定されていますが、その先の國府田さんが歌う音楽というものがますます楽しみになります。

國府田 ありがとうございます!キャラクターソングも大好きなので歌っていきたいです。キャラクターがそこにいるからこそ、自分が持っていない体験しえない世界に出会える。自分の音楽というものは、そんなにバンバン世に送り出せるものではないけれど、これからも変わらずに自分のペースで歌い続けていきたいと思います。

●リリース情報
國府田マリ子
『世界はまだ君を知らない』
3月19日発売

品番:WFCC-2902
定価:¥2,000(税込)

<CD>
01. 世界はまだ君を知らない
作詞:國府田マリ子 作曲:前澤之伯 編曲:山口俊樹
02. 一緒に帰ろうか
作詞:AO 補作詞:國府田マリ子 作曲:bassy 編曲:山口俊樹
03. ゆりかご
作詞:meto 補作詞:國府田マリ子 作曲:meto 編曲:藤本大貴
04. 昨日より今日 今日より明日
作詞:國府田マリ子 作曲:前澤之伯 編曲:山口俊樹
05. 青い傘
作詞:maimie/國府田マリ子 作曲:前澤之伯 編曲:山崎泰之
06. 空と糸
作詞:maimie/國府田マリ子 作曲:前澤之伯 編曲:藤本大貴
07. beautiful moon
作詞:國府田マリ子 作曲:前澤之伯 編曲:山口俊樹

●ライブ情報
東京タワーClub333
國府田マリ子LIVE 2023 2nd
2023年5月28日(日)

当日来場チケット(キャンセルあれば当日発売)
配信チケット発売中

※詳細は
國府田マリ子official Ameba blog
「天晴!日替わり定食」をご覧ください。

関連リンク
國府田マリ子公式ファンクラブ「Happy!Happy!Happy!」オフィシャルサイト
https://happyhappyhappy.co.jp/

國府田マリ子公式FC事務局 オフィシャルTwitter
https://twitter.com/happy3_office

SNS
國府田マリ子official Instagram
https://www.instagram.com/marikokouda.voiceactress/

國府田マリ子official TikTok
https://www.tiktok.com/@marikokouda