又吉直樹『火花』(文藝春秋)の勢いが止まらない。来月発表される芥川賞の候補作に、ノミネートされた。

発売1週間で累計35万部に達した売り上げもその後も伸び続け、文学作品としては「村上春樹作品に次ぐ」ベストセラーになっている。

 不況にあえぐ出版業界にとって又吉は救いの神らしく、各社ともこぞって原稿やインタビュー、対談をオファー。下へもおかぬ扱いで、芥川賞でも有力候補といわれている。

 芸能界でも、最近は「芸人」というより「大物作家」という扱いが増えてきているが、本人はビートたけしのようにわざとバカなギャグを連発してイメージを相対化するわけでもなく、意外にうれしそうに状況を受け入れているように見える。

 ところが、その又吉と対談しながら、いきなり「私、『火花』も読んでないし」「読んだ人に聞いてみたら、『ああいうものは好きじゃない』って」とかました人がいる。

 発言の主は樹木希林。「ダ・ヴィンチ」(KADOKAWA)7月号で、又吉たっての希望で、対談が行われたのだが、そこはさすがの樹木希林。又吉に対し、遠慮なく樹木希林ワールドをぶつけるのであった。

 まず、冒頭にあげたように『火花』をテーマにした特集号の対談なのに、いきなり『火花』を読んでいないという衝撃の展開だ。

樹木「それで今日はこうして又吉さんのすべてを取材するという企画に呼ばれたわけですけど、私、又吉さんについて何も知らないんですよ。『火花』も読んでないし。読んでないのに訊くのもどうかと思いますけど、どうなんですか、『火花』は」
又吉「そうですね。
自分の中では面白いのが書けたって思ったんですけど、どうなんですかね」
樹木「私に聞かれても。読んだ人に聞いてみたら、その人は『ああいう系統のものは、私はあんまり好きじゃないです』って。そういう人もいますよね。そうじゃなきゃ面白くない。日本中が又吉さんファンじゃつまらないでしょ」

 純文学の寵児である又吉にいまこんな辛いコメントを言えるのは樹木希林しかいない。さらに、「芸人」である又吉についてもこう語る。

樹木「バラエティを観たら、何にも発言しないのね」
又吉「してますよ、ちゃんと」
樹木「してるけど、別にそんな劇的な面白さもないし。ああ、こういう人でもやっていけるんだなあと思ってね。でもちょっと心配はしてたのよ。なんかファッションで注目されてるみたいだし、いなくなったら寂しいなあって」

「そんな劇的な面白さもない」って、当たってるだけに......。しかし、これは彼女流のブラックジョーク。実は、樹木希林は又吉の文才を高く評価している。
又吉がせきしろと共著で出版した自由律俳句集『カキフライが無いなら来なかった』(幻冬舎)についてこう評した。

樹木「あれを読んでもう、本当にひとりでウケてね。歳をとると、あんまりビッシリ字が書いてあると読めないの。だからあのくらい空きがあると、ああ、いいなあと思って読み始めたら、あなたの太宰治のくだりがね、もう笑ったなあ」
又吉「あ、ホントですか」
樹木「うん。笑ったっていうだけじゃなく、ものを視る視点っていうのが面白いなあと思って」

 ちなみに、彼女の語る「太宰治のくだり」は、おそらく「ファーストキスが太宰の命日」の句と、それに付随するエッセイのこと。

 太宰治が入水自殺した日と又吉のファーストキスの日が同じ6月13日だったり、太宰の妻と又吉のキスの相手が同じ「みちこ」という名だったりといったことが続き、太宰の文章を読んで「なぜこの人は僕の個人的なことを知っているのだろう」という妄想に憑かれた彼は、ひょっとしたら自分は太宰の生まれ変わりではと思い、占い師に前世を見てもらいにいく。すると、その答えは、太宰ではなく、「バッタ」であったというエピソードだ。

 そんな話が出てくる通り、又吉と樹木希林をつなぐキーワードは「太宰治」。

樹木「太宰治の本ではどれが一番好きなんですか」
又吉「そうですね。一番好きなのは『人間失格』ですね」
樹木「ああ。私は『お伽草子』を読んで、ああ、この人はただ堕落して書いて、ただ女と入水自殺したんじゃないんだなと思ったんです」

 このように、太宰治の話で意気投合。さらに、樹木希林は又吉と太宰に重なるものがあるとすら評価する。


樹木「人をよく見てる。そこがあなたに通じるものだわよね。ああいう人がよしもとに入ったら、今だったら生きるでしょうね。売れるし、モテるし、自殺しているひまないよね」

『火花』こそ読んでいないと言ったものの、樹木希林もまた又吉直樹という新進気鋭の作家に期待をかけている。それは、この対談にあたり樹木希林が用意してきたプレゼントを見ればよく分かる。なんと、樹木希林はこの日のために日本ペンクラブの入会申込書を用意してきたのだ。

樹木「昨日、ペンクラブに行って、専務理事でノンフィクション作家の吉岡忍さんにもらってきたんです」
又吉「その時『誰に渡すんですか』って聞かれませんでした?」
樹木「それは聞かれますよ。ちゃんと『又吉さんにプレゼントです』って。もし入れたら、面白いじゃない。ダメだったら笑いにしましょうよ」

 日本ペンクラブといえば、太平洋戦争前夜の言論弾圧が強まるなか、国際ペンクラブの日本センターとして設立。以来、「平和を希求し、表現の自由に対するあらゆる形の弾圧に反対する」という方針をつらぬいてきた文筆家の団体である。

 実際、ペンクラブはこれまでも言論の危機や戦争の動きに対しては必ず反対姿勢を打ち出してきた。
最近もシャルリ・エブド襲撃事件やイスラム国による後藤健二さん殺害に抗議声明を出したのはもちろん、安倍政権による集団的自衛権行使容認についても「民主的な手順をまったく踏まない首相の政治手法は非常識であり、私たちはとうてい認めることはできない」との声明を発表しているし、特定秘密保護法にも「無責任で、かつ民主主義の原則から大きく逸脱した制度を認めることは到底できない」という意見を公開している。

 また、昨年末の太平洋戦争開戦の日の声明では、安倍政権の戦争推進政策、原発再稼働政策に対して、「これらが、かつての強権的な国家、絶対の国策の再来でないとしたら、いったい何だというのか。この先に目指されているのは、日本国憲法の根幹にある主権在民・平和主義・基本的人権等の精神の簒奪と否定であろう。それは、この社会を、国家を前面に押し立て、個々人の生命の安全や人権を二の次にし、戦争も辞さない世の中につくり替えていくことに他ならない」とかなり激しい調子で非難している。

 一方、又吉がこれまで生きてきた芸人の世界、芸能界ではこういう政治的発言はご法度。サザンの桑田圭祐、爆笑問題太田光を見ても分かるように、ほんの少し政治家を批判しただけで「芸能人風情が生意気な」といった非難を浴び、炎上状態になってしまう。最近の芸能人はむしろ、空気を呼んで、危ない話題を避けるのが一般的傾向で、又吉もこれまで政治的発言は一切したことがない。

 とすると、これはひょっとしたら、又吉の覚悟を問う、樹木希林からの挑戦状なのではないか。「芸人として世間の空気に媚びて生きていくのか、それとも言論人として生きていくのか?」、日本ペンクラブの入会申込書をプレゼントすることで、彼にその選択を迫ったのかもしれない。

 ちなみに申込書を受け取った又吉は「わざわざ取りに行ってくださったんですか。じゃあ、とりあえず申し込んでみますか(笑)」と答えているが、日本ペンクラブへの入会には、会員である文筆家2名の推薦が必須。会員ではない樹木希林に入会申込書をもらっただけでは入会することはできないのだが......。

(新田 樹)

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