ガーリーフォトにミニシアター、クラブカルチャーなど、音楽、映画、写真、アートといったジャンルが融合的に花開いた90年代。その"おしゃれカルチャー"を牽引する役割を担ったのは、「CUT」(ロッキング・オン)「STUDIO VOICE」(INFASパブリケーションズ/休刊)「SWITCH」(スイッチ・パブリケーションズ)といったカルチャー誌だ。
が、ゼロ年代に入り、ネットやオタク文化が席巻しはじめると、おしゃれカルチャーはすっかり衰退。前述の雑誌も部数が激減し、アニメやアイドルを特集したり、芸能人などのマスカルチャーに擦り寄ったり、と方向転換を余儀なくされていった。
ところが、最近、その"おしゃれカルチャー"雑誌の代表的存在ともいえる「SWITCH」(スイッチ・パブリケーションズ)Vol.34 No.5号にマツコ・デラックスが登場。辛辣な毒をはいている。
まず、誌面冒頭、マツコはいきなりこう言い放つ。
「『SWITCH』に出ることはないでしょう」
「だって『SWITCH』はアバンギャルド雑誌だから。それも頭にエセがつく」
これから自分を特集しようとする雑誌に対しあんまりな発言だが、マツコの毒舌はこんなものでは終わらない。マツコの攻撃は「SWITCH」編集長で、その記事のインタビュアーでもある新井敏記氏に向かう。新井氏は茨城県下館市(現・筑西市)の出身なのだが、そのことを突いてこんな言葉まで浴びせかけるのだ。
「新井さんは田舎者で、オシャレな世界に憧れていたんでしょう」
「田舎者が作っているから誌面にコンプレックスが現れる。それが直に伝わってくるとダサいわよ」
編集長のコンプレックスまで持ち出しての口撃に、昨今のサブカル誌ではとんと読めなくなったヒリヒリしたものを感じ思わずニヤリとしてしまうが、マツコの「SWITCH」批判はまだつづく。最近の「SWITCH」は最先端の尖ったカルチャーを取り上げておらず、マスに媚びた雑誌に成り下がったとすらこきおろすのだ。
「マスを狙う雑誌はつまらない。「SWITCH」もそうなっているでしょう」
「だけど、「SWITCH」はそうなっちゃいけない雑誌だった気がするのよ。たとえばCoccoさんが「SWITCH」によく出ていたけど、この雑誌じゃないとCoccoさんはいろんなことを話さないんだろうなと思ったの。限られたところにしか心を開かなかったわけよね。でも今「SWITCH」がその受け皿になりうるかというと、そういう時期よりはもっとマスになっている。実際の部数は減ってるかもしれないけれど、イメージ的にも市場的にもマスに行っちゃったんだと思うのよ」
まさに、カルチャー誌がマスに媚を売り、ダメになっていっている状況を言い当てたマツコだが、実はこのインタビューで、マツコは自分に対しても、同様のダメ出しをしている。「SWITCH」同様、自分もまたマスのフィールドに行ってしまい、かつて持っていたはずの尖った部分を失ってしまったと語っているのだ。
「でも最先端で居続けることって恐怖だと思うのよ。それはあたし自身にとってもそう。ずっとバキバキに尖ってられているかと言われたら、やっぱりいろんな人と関わってきて、いろんな人に迷惑を掛けることも知り、丸くなってきちゃうわけじゃない、どうしても。それはやっぱりメディアも一緒でさ、絶対に関わる人が多ければ多くなるほど、どうしても尖ってはいられなくなってゆくものよ。だからそこを尖り続けられる人が、本当に最先端であり、ムーブメントを作る人になるんだと思うのよ。
確かに、マツコが言う通り、かつてのマツコ・デラックスというコラムニスト、タレントは、もっと過激で尖った発言を繰り出す人であった。
その典型が、2008年に行われた「論座」(朝日新聞出版/休刊)でのインタビューだ。いまから8年前の取材でマツコはいきなりこう畳み掛ける。
「アンタ、テレビでものをしゃべってるなんて、人間として最下層よ」
「新聞社とか、出版社に勤めている人間だってそうよ。なくても誰も死なないものを作ってお金儲けにしているんだから。アタシらみたいな人間が一番、世の中に必要ないのよ」
自分も含め、マスメディアに携わる人間を全否定する言葉をいきなり浴びせかける。さらには、マスコミタブーである広告代理店についても単刀直入にぶった切った。
「お金を儲けようとする電通や博報堂が周りを固めて、そこに利権が発生したりするから、まあ、分かりやすい言い方しちゃうと根腐れするのよね」
そして、雑誌の出版元の親会社である朝日新聞に対し、産経新聞のコラムの名を出しながら、こうダメ出しするのだ。
「好きか嫌いかで言ったら微妙だけどさ、「産経抄」の方がよっぽどいいわよアンタ」
「(朝日は)あれ(産経)と闘わなきゃいけないのに、右だか左だか上だか下だか分からないようなぬるいことばっかり書いて。(中略)いつからか新聞って、公平中立でないといけないものだと見なされるようになって、朝日新聞がその代表になっているじゃない。誰もが不快な思いをすることなく読める新聞をつくろうなんて、初めから闘う意志がないわよ」
かつてはこんなに尖っていたマツコ。「SWITCH」でマツコが「どうしても尖ってはいられなくなってゆくものよ」と発言した裏には、世に出始めたときにもっていたエッジを自分が失いつつあることに対する忸怩たる思いがあったのだろう。
と、思ったのだが、ことはそう単純ではない。前述08年のインタビューでマツコは、数寄屋橋での辻説法が有名な右翼活動家・赤尾敏の生き方をあげながら、過激な活動や言動が出来なくなりつつある自分の置かれている現状に対し、こんなことも語っていたのだ。
「ああやって生きられたらうらやましいよね。残念だけどアタシは、社会順応性や理性が邪魔をして、あそこまで踏み外せないんだよね。女装なんて踏み外したうちに入らないわよ。赤尾敏みたいなことができない人間は、生意気なことを言う資格はないって気持ちが常にあるの。だからすごく嫌なのよ今、自分が。
「魂を売るってこういうことなのねって、日々テレビに出ながら感じてるのよ」
つまり、マツコ・デラックスは8年前からずっと同じように「自分はテレビに染まってしまい、尖っていた部分を失った」ということを言い続けていたのである。8年前といったら、深夜1時45分から15分間だけ放送されていた初の冠番組『マツコの部屋』(フジテレビ)すらまだ始まっていない段階である。そんなときからマツコはエッジを失いつつあると告白し続けていた。
こんなふうに自分から「魂を売った」と先回りして言われたら、「最近のマツコは刺が取れて面白くなくなった」とは言えなくなる。この頭の良さがあるから、マツコ・デラックスというタレントはマスでありながら、うるさがたのネットユーザーや辛口コラムニストたちからも一目置かれているのだろう。でも、ちょっとずるいような気もするのだが......。
(新田 樹)