本サイトでも再三再四取り上げているが、芸能人や文化人が少しでも安倍政権に対して批判的な言葉を世に出すだけで大炎上する傾向には歯止めがかかる気配がない。
だから、周知の通り、日本ではことさらに芸能人が社会的なトピックに踏み込んだ発言をタブー視する風潮があるのだが、それに対し松尾貴史氏は17年7月3日にウェブサイト「日刊ゲンダイDIGITAL」に掲載されたインタビューでこのように答えた。
「確かに、芸能人が思想信条を語るとネットサポーターやネトウヨが大挙して攻撃してきます。でも、芸人も俳優も歌手も、みんな税金を払って生活しているわけです。なぜ政治に対して意思表示してはならないのか。米国では、アーティストやアクターがエージェントを雇うスタイル。みな個人事業主なので自由に発言しています。一方、日本の芸能人は芸能事務所に雇用されているので、事務所に迷惑をかけないように穏便な表現を使う人が多い。社会性を重んじる文化もあり、周りに迷惑をかけたくないという美徳もあります。まあ、僕は行儀が悪いんですよ」
さらに松尾氏は、こういった流れがあるなかで、メディア、特にテレビが、政治や時事問題を扱ったバラエティー番組などを制作しなくなったと指摘していた。
「僕も含めてですが、いつの間にかテレビでは政治や時事問題のパロディーをやらなくなりましたよね。政治はニュースやワイドショーでしか扱わなくなった。ところが、そのワイドショーには、政権を擁護する提灯持ちが解説者と称して出演している。批評性がないくせに評論家のふりをして......って僕は思いますけどね」
この発言で思い出されるのは、脳科学者の茂木健一郎氏による「権力者に批判の目を向けることのできない日本のお笑い芸人はオワコン」論争だ。
茂木氏の発言には、ダウンタウンの松本人志や爆笑問題の太田光らが批判的なコメントを出す一方、オリエンタルラジオの中田敦彦が、茂木氏の意見にまともに取り合わず上から潰すような強権的な態度をとったダウンタウン松本に疑問を呈すなど大論争となったのは記憶に新しい。
そんななか、笑芸において政治ネタが必要な理由や、芸能人・文化人が社会的トピックについて発言する自由が担保されるべき理由について、劇作家・演出家の鴻上尚史氏がとても意味のある発言をしていた。鴻上氏は「SPA!」17年6月20日号(扶桑社)掲載の連載エッセイ「ドン・キホーテのピアス」のなかでこのように書いていた。
〈地上波では、現在、まったく政治ネタの笑いがありません。かつてはありました。昭和のずいぶん前、テレビがまだいい加減さを持っていた頃、毎日、時事ネタを笑いにしていました。
でも、今はありません。それは、お笑い芸人さんの責任ではありません。テレビが許さない。それだけの理由です〉
●鴻上尚史が指摘する、テレビで政治ネタが流れないことの弊害
鴻上氏が言う〈テレビが許さない〉というのはまぎれもない事実だ。本サイトでも取り上げているが、政治風刺を入れ込んだコントを得意とするコントグループ、ザ・ニュースペーパーのリーダーである渡部又兵衛氏は、17年5月14日付しんぶん赤旗日曜版に掲載されたインタビューでこんな裏事情を暴露していた。
「僕は最近コントで「カゴイケ前理事長」を演じています。
アベシンゾウ首相(舞台袖から登場し)「どうも、カゴイケさん。お久しぶりです」
カゴイケ「あ、首相。ごぶさたです。...『お久しぶり』って、やっぱり僕ら、知り合いですよね?」
それから二人は「お互い、奥さんには苦労しますね」と嘆きあうといった内容です。
見たテレビ局の人が「面白い!」といってコントを放送することになりました。収録までしたのに放送当日、「すみません。放送は見送りです」と電話がきました」
このようなかたちで、バラエティー番組で政治をネタにしたコンテンツが流されなくなった結果どのようなことが起こるか。
人々が時事ネタをパロディーにして笑うという文化的コードを共有することができなくなるのである。だから、政治家を茶化すような発言がメディアに流れると、それがすぐに「怒り」へと転化する人が少なくない数存在するようになった。
〈テレビが政治ネタをお笑いにすることを許さないと、どういうことが起きるかというと、「人々が政治ネタを笑う習慣が生まれない」となります。
笑いは文化であり、文化はゼロからは生まれません。繰り返しと蓄積、伝統の中で育つのです。
が、「政治ネタ」を見たことがない視聴者はどうやって笑っていいか分からなくなるのです〉(前掲「SPA!」より。以下すべて同じ)
その結果生まれたのが、メディアでの安倍政権批判が行われるやいなや、ネトウヨ的思想をもつ人々から大量のクレームが送られてくるという状況である。そして、それがメディアの萎縮をもたらし、ますます、政治や社会的トピックに関する発言をタブーにさせていくという悪循環をもたらしている。
●鴻上尚史「政治ネタで笑うことができると、この国はだいぶ楽になる」
日本では、特に第二次安倍政権発足以降の近年は、急速に言論状況が硬化。政権批判すると「反日」「対案を出せ」などと攻撃にさらされまともな議論ができなくなっているが、そういった状況と、これまで書いてきたようなことは大いに関係があるだろう。だからこそ、メディアでお笑いに政治ネタを取り入れることは、この国の言論状況の風通しをよくするためにも必要なことなのだ。
〈現在、じつは、ネタの宝庫です。加計学園に関して「前川氏の証人喚問は必要ない」と答えた自民党の竹下国対委員長は、記者から「必要ないという理由は何か?」と聞かれて「必要ないというのが理由だ」と胸を張りました。ナイスなジョークです。
でも、これをネタになんか地上波では絶対にできません。
政治ネタの笑いは、自民党批判が目的ではないのです。政治ネタは、大きなモノを笑うことです。権力者と言ってもいいですが、それは自民党に限りません。民進党でもおかしいことがあれば笑い飛ばすのです。
政治ネタに対する笑いが健全に発展する国は、風通しのいい国です。
民主主義という時間のかかるじつにやっかいなシステムを育てようという決意と熱意が、じつは政治ネタの笑いを支えるのです〉
だから、アメリカのように政治ネタを笑いに変えられるような風土を身につけることは、我々を楽にしてくれるのではないかと鴻上氏は言う。
〈アメリカ大統領選挙の演説会をネタにしたアメリカのコメディー番組では、病気説のあるクリントン氏のソックリさんは杖をついてヨタヨタと登場し、トランプ氏のそっくりさんはドル紙幣をまき散らしながら現れました。両方を笑うのです。
笑いは価値を揺さぶり、絶対の帰依を溶かします。ネトウヨもパヨクも笑い飛ばすことで、政治に対する距離と民主主義への努力が生まれるのです。
本当は優れたお笑い芸人さんによって、安倍首相と蓮舫代表のソックリさんによる夫婦コントなんかが地上波で放送されたら、この国はずいぶん楽になると思うのです。隣人は前川氏と籠池氏のソックリさんでね〉
先に述べた通り、安倍政権発足以降、「安倍好き」と「安倍嫌い」で国民が二分されるような政治状況が続いている。
(編集部)