日本スピリチュアル界のドン、舩井(船井から改称)幸雄が逝去したのが今年の初め。生前発行された『未来への言霊』に続く、死後の最新刊が本書『すべては必要、必然、最善』(ビジネス社)である。
舩井関連のスピリチュアル(オカルト)人脈を一堂に見渡せるといった意味では豪華メンバーではある。だが、舩井幸雄による最後のメッセージを期待していた身としては、少々肩透かしをくらった形だ。というのも、舩井は死の直前、スピリチュアルの否定ともとれる発言を公開しているからである。
《いまの世の中は、スピリチュアルなこととか食とか遊びなど、どうでもいいことに浮かれている人に、かなり焦点が当っています。一度そのようなどうでもいいことは忘れ、現実人間にもどってほしいのです。そうしますと、「あっ」と、びっくりするほど、自分のしていたムダに気づくでしょう。間違いも分ると思います。
(中略)
いまさらスピリチュアルやおいしいものに夢中になるという時ではありません。
ぜひ生きるのに必要なことに今年は全力投球をしてください。》(舩井幸雄.com 「舩井幸雄のいま知らせたいこと」2014年1月6日「賀正」より)
舩井の逝去そのものが日本スピリチュアル界隈における一大トピックである。しかも、その直前にこのような発言が配信された衝撃は少なからぬものだったようだ。とはいえ、舩井の存在を知らない人々にはピンとこないかもしれない。以下、日本のスピリチュアルと舩井幸雄について、ごく簡単な紹介だけをしておこう。
日本におけるスピリチュアル文化は、1960~70年代より「精神世界」と呼ばれる一連のムーブメントとして受容され始めた。この流れは、バブル時にまで引き継がれていく。好景気花盛りにも関わらず、いやだからこそ、躁状態の社会に疎外感を覚える多くの人(特に若者)の心を捉えていったのだ。それまでは一部の人間に親しまれてきた「精神世界」が次第に大衆化し、新・新宗教の興隆ともあいまって活況を呈していく。だがバブル崩壊による不況、さらにオウム事件ショックが社会を覆った90年代半ば、この流れは一つの頓挫を迎える。それに代わる形でスピリチュアル・ブームを引っ張っていったのが、舩井幸雄だ。
もともと経営コンサルタンティング会社「船井総研」の創業者として知られる舩井だったが、徐々に自身のスピリチュアル思想を喧伝していくようになる。
ただ、アメリカ型の自己啓発・成功哲学と異なり、舩井はスピリチュアル的・オカルト的な思想を大っぴらにしていた。多数ある著作のどれもが似た内容だが、『マンガで読む 船井幸雄のスピリチュアルな世界』(グラフ社)が最も手早く舩井のスピリチュアル観を知る手がかりとなるだろう。同書は「この世は、まず悪いカルマを清算する場だと思うんだ」「波動とはたえずすべての物や人から発信されているんだ」「2010年~2020年ごろに地球規模の大変化が起こる」などの発言が頻繁に飛び交うオカルチックな啓蒙マンガであり、見えない世界=スピリチュアルを人々に知らしめようという舩井の(良くも悪くも)本気さが伝わってくる。現世利益的な成功哲学と、「真実に気付いて世界の変革を起こそう」といった思想が、なぜか舩井の中では同居しており、そこが人気を博した理由でもあるのだろう。
このように舩井思想には、いきすぎた資本主義への警告、自然回帰など"反(脱)近代"といった側面も確かにある。しかしやはり、根本的には社会的(経済的)成功、「誰よりも多く働くことこそが美徳であり自己実現」といった指向に傾いていることは否めない。「見えない世界」を訴えるスピリチュアル部分についても、結局は「その方が健康になる、仕事も上手くいく」という利益目的から抜け出せてはいないのだ。
90年代半ば、一度は下火となったかに見えたスピリチュアルの大衆化は、むしろ21世紀に入り強まったのだ。一面としては、パワースポットから「冷えとり靴下」ブームまで、ポップな装いにパッケージを変え、宗教色と政治色を(一見)排除した消費材として。もう一面では、経済的成功をエサにした自己啓発・意識改革が、ブラック企業やネットワークビジネスの興隆に加担するという意味で。
舩井の一見「スピリチュアル否定」ともとれる発言は、おそらく前者「あまりにもポップ化したスピリチュアル」に対しての違和感だろう。それまでもことさら「本物」の医療・経営・農業あるいはスピリチュアルに注目しなさいと喧伝してきた舩井である。東日本大震災や原発事故を受け、このような時代には浅い流行に惑わされるな、という危機感を表明したのかもしれない。その主張については、頷ける点も多少はある。しかし舩井が「本物」とする代替医療や波動、気孔、陰謀論にせよ、結局は彼のお眼鏡にかなったものに過ぎない。無自覚にスピリチュアルを消費する一般大衆より、かなりマニアックに調べているというだけで、根本的な命題としての違いは感じられないのだ。
『すべては必要、必然、最善』では、このような「本物」「超プロ」の舩井チルドレン達を多く紹介し、彼らが考える「これからの社会のあり方、人々の意識の変え方」を提唱している。
例えば、中矢伸一は、首都高の大橋ジャンクションから江北までワープしてしまった体験を語り、「パラレルワールドが存在することは科学的にも言われていることだし、あながち否定もできないだろう」、つまり異世界は存在し、アセンション(世界の次元上昇)もこういった形なのでは、と語る。怪談としては面白いが、それを全世界的な変革と絡めるのは飛躍し過ぎではないだろうか。
他にも、フリーエネルギー(永久機関)の研究者・井出治はニコラ・テスラや宇宙人とチャネリングして啓示をもらっているそうだし、末廣淳郎は"アポロ農法"によってハイエネルギーを入力された米は腐らないと述べている。しかし、彼らの主張をいくら読んでも、どういった理屈なのかが分からない。
これらの話を「オカルト」として楽しむのは、私も大好きではある。しかし「真実に気付いた一部の人々が、気付かない人々へと本気で啓蒙している」といったスタンスで持ち出されると、やはり「キチンと納得いく理屈を示してくれ」と反論したくもなる。
こうした「本物」(あくまで舩井の考える本物、だが)を『すべては必要、必然、最善』にて提示することが、前述の「スピリチュアル否定」発言へのフォローということなのだろう。だが、少なくとも私がこの書籍に望んでいたのは「どれが本物のスピリチュアルで、どれがダメなスピリチュアルなのか」といったガイドではない。
むしろ舩井スピリチュアル的な自己啓発が、ブラック企業に代表されるような社会問題に繋がっていったこと。その総括と反省が「スピリチュアル否定」だったのではないかとも期待していたのだ。しかし『すべては必要、必然、最善』内でも、息子・勝仁の文章では「楽しみながら自主的にハードワークをこなしていくこと」を善きこととして記述し、その他の部分でも「命がけ」で仕事することを明らかに推奨している。
私も舩井幸雄の功績について全否定する気は無い。しかし功罪の「罪」の部分については、舩井の死をキッカケとして、舩井チルドレンという内部からの総括があっても良いのではないかと考える。その方が、これからの時代に向けて、より建設的な「スピリチュアル」が形作られていく助けとなるのではないだろうか。
(吉田悠軌)