認知症症状をお持ちの方による介護拒否は、対処方法などが記事に取り上げられ事細かに書かれていますが、症状の有無にかかわらず介護拒否は生じます。それはごく自然なことで特別なことではありません。
介護拒否をしてしまう高齢者心理の背景
私は「人の世話になるような真似はするな」「人様に迷惑をかけないようしなさい」などと、小さい頃から口酸っぱく親世代に教え込まれてきました。
実際には、社会とかかわって生きている以上、誰にも世話にならず迷惑をかけずに生きることは不可能です。
親世代やその上の世代もまた小さい頃からそう教えられ、真面目に育ってきた方ほど忠実にそうした考えに沿って生きてきたことでしょう。
そうした価値観がある中で、超高齢化社会へと突入しました。かつての長寿は今や平均年齢に過ぎなくなるほどの高年齢に達しています。
介護を受けるようになるのは、長く生きたことによる自然な流れなのですが、「人の世話になってはならない」「人様に迷惑をかけてはならない」と言われ育ってきた立場からすると矛盾を抱えた心理状態になります。
この矛盾は認知的不協和の状態の一つで、人はこうした状況を解消するために、言い訳をしたり社会のせいにするなどさまざまな方法をとります。その解消方法として介護拒否となる場合もあるのです。
また、高齢になって人間関係が減少してくると疎外感を覚えるようになります。これも長寿によるやむを得ない現象ですが、自分のせいではないこともあり、介護拒否につながる場合があります。
この疎外感から介護であれ援助であれ、相手が敵意や悪意を持っていると思い込む傾向が強化されるのです。過去の心理学の実験により、疎外感を感じる状況にある人は攻撃的になることも知られています。
穏やかだった親がこぶしを振り上げてまで頑なに介護を拒む、そんなこともないとは言いきれません。
つまり、介護拒否とは心理が正常に働いているからこそ起こるものともいえるでしょう。
羞恥心・恐怖心・自尊心の複合
さて、介護拒否が起こる原因とその心理ですが、大きく分けると「羞恥心」「恐怖心」「自尊心」の3つが考えられます。それらが複雑に絡み合っている場合がほとんどです。
介護そのものがプライベートにかかわる行為ですので、介護される方が一番最初に乗り越えていただかなくてはならないのが羞恥心でしょう。
当然、他人に裸は見せたくありませんし、排泄や入浴といった行為を見られるのは辛いものです。
また、これまで独力でしていた生活動作を他人にされるのは恐怖心を伴います。お湯をかぶるだけであっても息継ぎのタイミングやその長さが違うのは怖いものです。
「身内なんだから平気だろう」「他人にされるよりマシだろう」とつい考えてしまいがちですが、むしろ逆の心理が働く場合も珍しくありません。
これまで育ててきた立場から、自分の子に介護される逆転現象を受け入れがたいために生じる認知的不協和もあります。
この逆転現象を受け入れてもらうにはそうした「受け入れ難い」状況を緩和・軽減していかなくてはなりません。
一つひとつの何気ない介助動作でさえ「羞恥心」「恐怖心」「自尊心」が複雑に絡んでいます。
車椅子をレンタルするという大したことのない行為に対する拒否も生じえます。
車椅子に乗せられている自分を恥じ、車椅子を押される速度に怯え、介護なんて受けたくないと思っていた自分自身との葛藤と向き合っている最中に、子どもたちからのいろんな提案や注文を受ける。
どれもが必要なことだと理屈では理解できても心理的には何もかも拒否したくなる、そうしたことが起こることもあるのです。
介護拒否に対する理解と緩和方法
介護拒否は、緊急性が高いか低いか、直ちに重大な影響があるかないかで対応方法が変わってきます。
緊急性が高い場合や重大な影響がある場合は、医師や保健師といった専門家や権威者の力を借りるのも良いでしょう。
その場合でも「ほら、だから言ったじゃない」「お医者様もそう言っている」などと身内が権威や専門家側からの話に乗るのは避け、本人側の立場から「そうだったんですね」「詳しく教えていただけますか」と本人の不安を解消する質問や同意を多用すると良いでしょう。
そもそも要介護者は身内の話に耳を傾けないわけではなく、わかっているけれども認めたくない気持ちから介護拒否となってしまうことがあるからです。
緊急というほどではないにしろ、早急に手を打たないと悪化すると明らかな場合は、本来の目的よりもずっと小さな要求から求めていきましょう。
例えば、お風呂に入ろうとしない場合、濡れたタオルで自分で顔を拭く、衣類を一枚自分で脱いでもらい交換する、といった要求から求めると妥協してもらいやすいものです。
意固地になっている場合は、難色を示すかもしれませんが、そこに「自分でやってもらう」行為を含めてもらうのがコツです。
お風呂に入るという大きな目的だと面倒だったり恥ずかしかったりして、要求を飲みづらくなります。
細かく小さな目的に変えてることで「せっかくだからシャワーだけでも浴びようか」「湯船につかったら肌も若返るんじゃないか」と本来の目的に近づけられる可能性が出てきます。
小さな目的だけでもこなしてくれたら「協力してくれてありがとう」「本当に助かった」と感謝や謝意を伝えることも忘れないようにしてください。
心配の過剰な押しつけや、良かれの強引な押し売りは控え、両親への感謝の思いから誠意をもって一つひとつ焦らずに進めることが肝要です。

先にも書きましたが要介護者にとっては「介護を受けること」自体が「受け入れがたい現実」です。
それを一つ乗り越えたことを労うことをせずにこうしろ、ああしろと介護を進めようとしても、介助する側が北風と太陽の話の「北風」となってしまいかねません。
急ぎではない提案なら複数の選択肢を用意して、どれか一つを選んでもらうのも解消方法として有効です。
自分の意思で決定する、という当たり前の権利をはく奪しないことが担保されることで恐怖や羞恥は和らぎ、自尊心も保たれやすくなります。
一方的な押し付けがましい介護とならないよう、仲介役として私たちのような専門家を使っていただき「呼んでみたから話だけでも聞いてみない?」といったアプローチをしていただいても結構です。
急いてはことを仕損じるといいます。世の中は合理化・効率化を求めますが、人はそもそも合理的でも効率的でもありません。時間が多少かかっても、人間関係や家族関係を大事にしながら介護を進めていきましょう。