法学部で学びながら直観を得て介護の道へ

くらたま

柴谷さんは、福祉施設の運営をしながら税理士のお仕事もされているんですよね。どのような経緯で全く異なる2つのお仕事をされるようになったのですか?

柴谷

大学生のときは法律学を専攻していたんです。「手に職をつけたいな」という思いから税理士を目指し、簿記3級から勉強を始めていました。

ちょうどその頃、大学の授業で社会福祉の一般教養の科目をとっていたんです。単位を取るため、老人福祉施設にラジオ体操などのボランティアに行っていました。そこでビビっとくるものがあったんです。

くらたま

えっ!それはどんな思いですか?詳しく聞かせてください。

柴谷

「高齢化が進む日本にあって、お年寄りの人たちを支えたい」という思いがふつふつと湧いてきたんです。当時は介護保険もなく、今のようにニーズに合った多彩な施設もありませんでした。

そこで、卒業してから福祉の道に進み、26歳で社会福祉法人を設立しました。その後、複数の施設を立ち上げ、僕自身も高齢者の介護に携わってきました。

くらたま

なるほど。その後、介護の仕事をしながらも勉強を続け、税理士の資格を取られたということですね。

柴谷

そうです。現在は、社会福祉法人や福祉に携わる企業さん専門の税理士をしています。

社会福祉法人と言っても、やはり企業です。いくら“良い介護”を実践していても経営が成り立たなかったらお年寄りは介護を受けられなくなる。だから、顧問先の介護の現場にも立ち会い、施設全体の運営のあり方をみさせてもらっています。
5000人以上の認知症の方と向き合ってきた“施設長”「介護の...の画像はこちら >>

声をかける人がいたら救えたかもしれない

くらたま

柴谷さんは全国各地で認知症予防の講演会もされていますよね。柴谷さんが講演会を始められたきっかけが2006年に起きた「京都伏見介護殺人事件」とのことだそうですね。

柴谷

京都伏見殺人事件は、認知症を患う86歳の母親の介護を10年以上一人で続けた54歳(事件当時)の息子(片桐被告)が介護疲れと生活に困窮した末、京都桂川の河川敷で母を殺害し、片桐被告自身も包丁で自殺を図った事件でした。当時、世間に大きな衝撃を与え、その後も福祉にかかわる人間を始め、多くの人にさまざまなメッセージを残しています。

僕は講演会で必ずこの事件のDVDを流します。それを見たすべての方が思うのは「誰か助けることができなかったのか」ということです。

追いつめられて母を殺害した片桐被告の供述を、裁判官は涙を流して聞いていたと言います。片桐被告には懲役2年6ヶ月、執行猶予3年という異例の温情判決が下されました。

柴谷

転倒して打ちどころが悪いと、文字通り「致命傷」になります。認知症の方が、「ものがなくなった」と言って徘徊を始められる。

でも、必ずこけはるんです。手の骨折ぐらいだったら、ちょっと包帯を巻いてすぐに帰ってこられる。しかし、大腿部骨折とかしてしまうと、入院を余儀なくされる。やがて車椅子になります。でも病院にいるとあっという前に認知症が進んでしまう。

くらたま

病院にいると認知症が進むといのはどういうことなのでしょうか。

柴谷

病院で認知症の方に点滴をしたら、必ず抜いてしまわれます。だから少なからずの病院ではやむを得ず身体拘束をして点滴を打つようにしている現実があります。

福祉施設では身体拘束は絶対してはいけないことになっています。しかし、病院では治療優先。縛られたまま点滴をされて、毎日ぼんやりと天井だけを見ていると、あっという間に認知症が進んでしまいます。

くらたま

「高齢者を守りたい」という思いは一緒なのに、そのための手段は食い違うんですね。

柴谷

だから、我々の施設では、少々の骨折や大した病気でなければ、すぐに帰ってきてほしいと言います。ご家族の方にも聞きます。「認知症が進むけど、病気やケガを治療しはりますか?それとも認知症がなるべく進まないことを優先されますか?」と。

できるだけ入院しないようにするしかないですよね。動き回るのは仕方ないのですが、ご家庭であれば、できるだけ段差をなくすなどして、転倒しないように気を配ってもらう。

普通、アルツハイマーは10年・20年といった長い年月をかけて進行していきます。しかし、認知症と診断された患者さんの予後は約6年という研究結果もあります。

くらたま

転倒によってかなり寿命が縮まってしまうのですね。

日本一の長寿入居者の口癖は「ご飯まだでっか?」

くらたま

「スーパーセンテナリアン」(110歳を超える長寿の方)のお話も伺いたいです!実は以前から深く興味がありまして…。

柴谷

おお、どうぞどうぞ!

くらたま

ちょっと前まで世界最高齢だった方が私の出身地の福岡に住んでおられた田中カ子(たなかかね)さんだったんですよ。残念ながら今年の4月に119歳で亡くなられて、今は柴谷さんの施設に入居されている115歳の巽フサ(たつみふさ)さんが日本一長寿になりましたよね。

今、100歳以上の人は9万人以上います。でも110歳を超えた人って普通の人間はなかなか会うことができません。宝くじで3億円当たるよりも難しいと思うから、本当にすごい。

長寿の中でも110歳の壁まで超えるような方というのは、一体どんな方なのかということを、直接伺ってみたいと思っていたんです。

柴谷

ありがとうございます。我々の特別養護老人ホームは50床ですが、巽フサさん含めて、100歳以上の方が5人いらっしゃいます。

巽フサさんは、110歳までは車椅子に乗りながら自分でご飯も食べていた。そして、ボールで遊んだりラジオ体操をしたりもしていた。言葉も発することがおできになりましたし、ほぼ普通の生活をされていたんです。

くらたま

意思疎通がしっかりできるってことですよね。

柴谷

そうなんです。田中カ子さんもすごかったですよね。亡くなる前までコーラを飲んでおられたとか…。

くらたま

すごい! オセロもされていたと聞きました。

柴谷

巽フサさんは110歳を境にいろいろなところが衰えてきて、今寝たきりの状態になっておられます。でもご飯はいまだにご自分の口で食べられるんですよ。口癖がね、「ご飯まだでっか?」なんです。

くらたま

お食事が好きだったということですね。

柴谷

そうなんですよ。機嫌が悪かったら「ご飯!」って言われます。言い方によって機嫌の良し悪しを僕らがわかってしまうという…(笑)。

くらたま

すごいな。例えば好物って何ですか?

柴谷

甘いものがすごく好きなんです。だから今でもとろみ食に甘味があると食べる量が多い。

くらたま

糖質は良くないと言われますが、甘いものを食べることを生きがいとして長生きしている人もいるんですね。

柴谷

そうですね。それに一つの習慣をずっと続けられてきたということはあります。例えば、日記もずっとつけてこられました。

くらたま

なるほど。やっぱり自分の好きなことを続けていくことは、生きる上での“ハリ”になりそうですよね。長寿社会になっていますが、生きがいを感じながら長生きをされる方が増えていったらいいなと思います。

柴谷

そうですね。それだけでなく、認知症の方が増えていく中で、20年後・30年後も社会の仕組みや設計が「現状維持」でいいのかとも思います。

例えば、高齢者の万引きが増えていますが、認知症との関係についてもっと社会での理解が深まることが大切だと思います。前頭側頭型認知症の方は、ものを取ってもそれが悪いことだと認識していません。しかし、万引きで捕まるとそのまま警察に拘留されてしまう。

刑法上、認知症の方は守られるので、最終的には釈放されて帰って来られるんですが、もし認知症の症状であることに気がつかれないまま、常習累計窃盗犯として懲役刑になったりすると大変です…。

 

くらたま

本当に悲しいことですよね。そういったことも認知症の方が増えるのに伴って変わっていくべきことだと思います。

柴谷

そうですね。1963年、100歳以上の方は153人しかいませんでした。しかし、2022年には9万人を越えました。2050年になったら50万人を超えるという予測がある。「今こそいろいろなことを考えていく時期なん違うかな」と思いますね。

くらたま

おっしゃる通りです。幸せに天寿をまっとうできる方が増えるためにも、今見直すべきことはたくさんあると思います。柴谷さんのように複数の肩書きを持って介護問題に向き合う方は本当に貴重だと思います。これからの活動も応援しています!

5000人以上の認知症の方と向き合ってきた“施設長”「介護の矛盾」とは…?

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5000人以上の認知症の方と向き合ってきた“施設長”「介護の矛盾」とは…?
倉田真由美イラスト

柴谷匡哉

1968年、大阪府八尾市生まれ。神戸大学大学院経済学研究科修了。元大阪府議会議員、税理士、行政書士。26歳で大阪府柏原市にて社会福祉法人明寿会を設立。特別養護老人ホーム、ケアハウス、グループホームなどを運営。のみならず、自ら社会福祉士、介護福祉士、ケアマネージャーとして福祉・介護の最前線で活動している。認知症予防をテーマにした講演会を全国各地で約150回開催。のべ1万人以上が参加して好評を博す。柴谷氏が運営する特別養護老人ホームには、日本およびアジアで最高齢、世界で3番目の長寿である巽フサさん(115歳)が入居している。