賢人論。今回のゲストは元厚生労働事務次官の村木厚子さん。
介護分野は社会保障制度をリードする存在
みんなの介護 村木さん自身の介護とのかかわりについて教えていただけますか。
村木 幸い、高知に住む私の父は92歳でまだ元気です。でも、97歳の夫の父は認知症が中程度まで進んでいます。身の回りのことができなくなってきたこともあり、5年前に札幌から東京に引っ越してきてもらいました。

今はサ高住とよく似たところに住んでいます。デイとホームヘルパーさんの依頼をしていて、運動して生活リズムをつくったり、着替えやお風呂を手伝ってもらったりしています。
―― 仕事人生の中では介護とはどうかかわってきたのでしょうか?
村木 介護福祉士や社会福祉士の試験制度などを担当したことがあります。注力していた女性や障がい者、子どもの問題に比べると直接のかかわりは薄いのですが。
ただ、社会保障制度をリードしてきた介護分野にはずっと注目していたんです。
同じようなサービスを育児でも受けられたらかなり楽ですよね。子どもには、保育園・幼稚園しかありません。
―― 労働省時代、育児介護休業法の改正に着手されています。
村木 はい。育児休業法から育児介護休業法に変わるときと、短時間勤務の制度を盛り込むとき、2回携わりました。
育児のように長く休む制度にだけはしないように、と思っていました。女性が介護する流れを助長する制度にしたくなかった。そうではなく、社会全体で介護と向き合っていく仕組みをつくりたかったのです。その過程で、省内の家庭中心主義者の人たちとのバトルもありましたね。
より良い介護はより良い働き方から生まれる
―― 現状、介護休業制度の利用はあまりすすんでいません。責任があるポストなので休めない、と当事者がためらってしまうという声を多く聞きます。
村木 日本の職場はこの人がいないと回らないという発想が根強い。

そもそも「俺がいなければ」という仕組みが成り立っていたのは、その人に専業主婦がいたからですよね。そんな時代は、もう終わりました。
日本では、未だに家庭を大事にすることと仕事で活躍することが相容れない状況が続いています。二者択一というイメージですよね。
高齢者が増え、共働きも進んでいます。家庭のことで何かあっても代替要員がいて補完できたり、在宅で働ける仕掛けをつくったりしておくことが大切です。
―― 第170回の賢人論。では、大学教授の津止正敏氏が、男性のワークライフバランスの実現の大切さを語られていました。
村木 より良い介護のあり方の究極は、働き方をまともなものにすることだと思います。
そのために働き方改革が必要です。
実際にどんな働き方をするかは、企業がある程度個別で考えていく必要があります。企業によって業種も違うし、社員構成も違いますからね。
働き方を少し変えるだけでも、家庭と両立しながら仕事をして、生産性向上につなげられる可能性があります。
例えば、ある企業は終業時間を16時半にして、30分繰り上げました。何が起こったか。育児短時間勤務制度を使わずに済むようになった人が増えたというのです。
「短時間だけど補ってくれる」人の存在で変わる
―― 少しの工夫で、大きな変化が起こる可能性もありますね。
村木 看護の世界では短時間正社員制度というものがあります。この制度は、最初大反対を受けました。

しかし、短時間のスタッフをいれたら全員が楽になった。人手が欲しいところをうまく補って働くことができるようになったのです。
だから介護も「短時間だけど補ってくれる」人の存在で、変わるのではないでしょうか。
うまくシフトを組めたり、チームがつくれたりすると、人材不足の解決策の一つになると思います。経験者が長く働ける環境も生まれるでしょう。
[PAGE-END-1][PAGE-START-2][TITLE]えん罪で逮捕後、拘置所で得た気づき[/TITLE]
与えられたポジションで、仕事に全力傾けた官僚時代
みんなの介護 村木さんは常に情熱を持って、仕事に打ち込まれてきた印象を受けます。
村木 正直に言うと、私は特定の分野に思い入れを持つという感じはあまりなかったのです。一生懸命取り組んでいる現場の人たちに喜んでもらうこと。それが、やりがいでした。
現場の人たちは「この制度のここがダメ」「ここが変わったら現場が変わる」と私に伝えてくれます。そして、制度が改善されるとすごく喜んでくれる。
―― 周りの人が喜んでくれることをやり続ける中で、今の道に導かれたのですね。
村木 そのように感じます。私は官僚時代、2年に一度ポジション移動をしながら、いろいろな分野に携わってきました。そのポストに就いたら、そのポストの仕事を一生懸命する。会社員と同じですね。
―― 具体的にはどんなポジションでお仕事をしてこられましたか?
村木 最初のキャリアだった労働省では、女性や障がい者、非正規雇用の方など多様な人が自分の力を発揮できて、良い環境で仕事ができる。やりがいを持てる。そのために20年以上奮闘してきました。

後半は、わりと福祉が多かったです。生活も含めて、どうしたらその人らしく生きられるかのお手伝いをしてきました。
現在は若者の支援活動にも力を入れている
―― 最近は若者の支援活動にも携わられています。
村木 若草プロジェクトや首都圏若者サポートネットワークなどです。厳しい環境に置かれた子ども・若者を支える活動をしています。それから大学で教鞭も取っています。
高齢化が進んだことで、高齢者の問題に向き合う必要があると感じます。しかし、若者の可能性が開ける環境を整えないと、日本の将来がない。
―― そう考えるようになったキッカケはなんでしょうか?
村木 変な話ですけど、大阪拘置所に拘留されていたときの経験が大きいです。

拘置所では毎日することもなく、お昼と夜のニュースが外の世界とつながる手段でした。中でも、子どもの虐待のニュースが心に焼き付いて離れなかった。
何でなのかなと考えました。そして思ったのです。子どもたちがつらい目に遭っているのは、大人の責任なのだと。
拘置所で広がっていたのは福祉の現場と同じ光景
―― 役人という立場を離れ、一人の人間として心に響いたのですね。
村木 刑務所に入っている人と言うと、悪いことをした怖い人たちというイメージがあるでしょう?でも、そこにいたのはハンディキャップを持った人たちでした。まるで、福祉の現場で見ている光景そのものだったのです。
障がいがあったり、知的なボーダーであったり、精神疾患があったり、外国の方が多かったり…。若い女性も多かったです。可愛くて一生懸命仕事もする。刑務官に「あの子たち何したんですか」って聞いたら、薬物や売春だと。

彼女たちがそうなる背景には、とても厳しい環境がある。ある意味、被害者だと思います。その環境の悪さから薬物に依存したり、売春したりする。
また、お正月にそこに入りたいがために、スケジュールを逆算して無銭飲食や万引きする人たちもいると聞きました。
私がいたのは11月ですが、「ここで冬を過ごしたくない」と真剣に思う場所です。しかし、その時期に入ってきたいと考える人が少なからずいるのです。いったい塀の外でどんな生活をしているのかということです。
”ここ”に来る川上で助けることができていれば
―― 罪を償って出所しても、弊の外に出れば、逃げ出したくなるような環境が待っている。
村木 罪を償って塀の外に出ても、環境は変わらない。振り出しに戻るわけです。上手く福祉にもつながらないし、仕事が持てない。刑務所にいる人の中には再犯がとても多いです。
そんな姿に触れると、思うじゃないですか。ここへ来る前に何とかできなかったのかって。もっと手前の川上のところで、助けることができていればって。
[PAGE-END-2][PAGE-START-3][TITLE]大人から子供に“聞きに行く[/TITLE]

「ヤングケアラー」という言葉が出てきたのは良いこと
みんなの介護 介護の問題に戻って、例えばヤングケアラー問題などはどうお考えでしょうか。

村木 まず、ヤングケアラーという言葉が生まれたことが良かったと思います。実態があってもそれを端的に表す言葉がないと、なかなか社会課題として認識されない。言葉が生まれたことで、政府も自治体も危機感を持つことができた。相談窓口をつくるために努力しています。
家族内の困ったことも外に相談できる。そう思える仕掛けをつくることが大切です。ヤングケアラーの悩みもそうだし、虐待を受けている子どもたちも、大抵は言わないんです。
「何かあったら聞きに来て」鈴木福さんに教えられた
―― 相談することにハードルがあるということですね。
村木 先日、俳優の鈴木福さんとの対談で、大事なことを教えてもらいました。「何かあったら言いなさい」じゃなくて、聞きに来てほしいと。

自分から相談に行くのは、ものすごく勇気がいる。でも、時々「どう?」と聞きに来てくれたら言えるかもしれないと。
それだとハードルがぐっと下がるし、今度はこんなふうに説明しようと準備もできると言っていました。
特にヤングケアラーの問題などは、大人が子どもたちにときどき聞きに行くことが大切ですよね。
軽く「相談」と言うが、そのハードルは高い
―― 悩みごと全般に通じることですね。
村木 日本で一番自殺率が低い町には、「病は市に出せ」という言葉があるそうです。困ったことは早めにカミングアウトして人の助けを借りる。それが命を守る方法だというのです。
―― 地域にそのような風土が根付くと、自然と相談できるようになるのでしょうか?
村木 相談窓口があることはすごく大事だと思います。だけど、相談って結構ハードルが高い。自分が何かに困っているという認識がある。その課題をある程度言葉にできる。人に話す勇気を持てる。そのすべてが揃うことで、初めて相談ができます。
ハードルが高いなら、その手前に人とつながれる居場所をつくる。すると茶飲み話をしながらぼろっと困りごとを言いやすい。キャッチする側の感度がよければ、そこから専門機関への相談につながります。
―― それは地域としてできることかもしれませんね。
村木 介護事業者さんは、地域にそのような場所をつくるお手伝いができるはず。多くの場合、異変を感じてから要介護になるまで、時間があります。その間、介護が必要になった場合に備えて情報を得られたらいいですね。
―― 悩みを解決するために、ほかに大切なことはありますか?
自立の定義を変えることですね。自立というのは、誰にも頼らないことではない。たくさんの人に少しずつ依存できるようになること。依存症の研究をしている医師がそう語っていました。
ヤングケアラーは、福祉はもちろんですが、学校の先生やお友達などいろいろな人や機関がそれぞれに出来ることを支援する必要があります。それによって、本人は初めてつらさをしのぎながら、自分らしく生きる道を見つけられると思います。

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撮影:花井智子