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2023年春、さまざまなメディアで「東証によるPBR1倍割れ改善要請」というニュースが報じられた。いわゆる“東証要請”だ。

しかしこれは、全体の主旨の中でPBRだけが一人歩きして話題になった面があり、本来は上場会社に対して、もっと大きな意味合いの“お願い”だったという。さらに言えば、PBR1倍割れの企業だけに向けたものでもなかった。

改めてどのような内容だったのか。そしてなぜ、こうした動きが生まれたのか。この取組みに携わった東京証券取引所 上場部 企画グループ課長の門田耕一郎さん、伊藤歩さんに聞いた。

PBRは、この取組みにおける「一つの指標」に過ぎない

「PBR1倍割れ改善」が目的ではない、改めて東証担当者が伝える市場改革の目的


東証から上場会社に対して“お願い”があったと話題になったのは、2023年3月末のこと。一部には「PBRの是正」を要請したと報道されているが、実際の中身は異なるという。



「メディアでは『東証によるPBR1倍割れ改善要請』といった表現で取り上げられることも多かったのですが、その内容はPBRなどの特定指標に限った話ではありません。正確には『資本コストや株価を意識した経営』の推進に関するお願いです。その意味を端的に表すなら、上場会社に対して『投資家から調達した資金をどう活かして成長事業を拡大しようとしているのか、その考えを投資家に示し、投資家と対話することで今後ブラッシュアップしていただきたい』というものでした」(門田さん)

さらに詳しく言うと、「上場会社が売上や利益水準だけでなく、資本コストや資本収益性を意識した経営を実践してもらうようお願いしたもの」だという。資本コストという言葉の意味は後ほど詳しく説明するが、いずれにしても、上場会社に対して「株主から預かった資金を効率的に活用して成長事業を拡大することを意識してほしい」という主旨だった。

ではなぜ、このメッセージの中でPBRが大きく注目されたのか。PBRとは「株価純資産倍率」のことであり、上記で触れた、企業が資金をいかに有効活用して事業を成長させているか、それが投資家からどう評価されているかを測る一つの指標といえる。

ただし、あくまでイチ指標に過ぎず、今回のお願いはこの数値を改善するというシンプルな話ではない。経営全体の意識に対するメッセージだった。しかし、情報が広まる中でPBRにスポットが当たり過ぎてしまったという。

「PBR1倍割れ改善」が目的ではない、改めて東証担当者が伝える市場改革の目的


実際に、このお願いを「PBR1倍割れ企業」に向けて発したものと認識されているケースも多いが、本来の主旨はそうではなく、東証プライム市場・スタンダード市場の「全上場会社」に向けたものだという。つまり、PBRが1倍を超えている企業も含まれる。

さらには、PBRだけを一時的に上げる動きが上場会社で広まるのも主旨とは異なるという。

たとえば自社株買いなどにより、企業が短期的にPBRを上げることは可能だ。しかしこのお願いは「あくまで長期に、企業が持続的に成長するための取組みを行ってもらうことです」(門田さん)とのこと。実際、東証から出された資料にも「一過性の対応を期待するものではありません」という言葉が添えられている。

「日本の上場会社は、利益の水準や業界内での順位を意識する傾向にあります。しかしそれだけでなく、株主から出資を受けた資本を効率よく経営に活かすことを意識していただきたい、という考えが根底にあるのです」(伊藤さん)

きっかけとなった言葉「この課題を変えなければ、市場改革は達成できない」

「PBR1倍割れ改善」が目的ではない、改めて東証担当者が伝える市場改革の目的


そもそもなぜ、このようなお願いに至ったのだろうか。話は2022年4月にまでさかのぼる。

このとき、東証では「市場区分見直し」が行われた。

それまでの市場第一部・市場第二部・マザーズ・JASDAQ(スタンダード・グロース)という4つの市場区分を変更し、プライム市場・スタンダード市場・グロース市場という3つに生まれ変わった。

「3つの市場へと整理したことで、より分かりやすく、クリアなコンセプトを持った市場区分となりました。ただしこれはあくまでスタートであり、私たちにとっては、ここからいかに魅力的な市場を実現できるかが重要なテーマだったのです。そこで東証では、市場区分見直しから3カ月後の2022年7月に有識者会議(フォローアップ会議)を設置し、日本市場はどういった課題があり、どのような対策が必要なのか、1~2カ月に一度のペースで議論を続けてきました。これがお願いへとつながったのです」(門田さん)

フォローアップ会議には、投資家、上場会社、学識経験者など、外部から9名の有識者が参加し、日本の市場に対して意見を交わした。各会議の議事録も逐一すべて公開していったのだ。



「PBR1倍割れ改善」が目的ではない、改めて東証担当者が伝える市場改革の目的


「この会議の中で『日本市場の課題』として注目されたのが、PBRとROE(自己資本利益率)の国際比較でした。当時のデータで、プライム市場のうち約半数の上場会社がPBR1倍割れ、ROE8%未満という状態にあったのです。欧米などに比べると低い水準でした。この事実をきっかけに、日本企業は株主から預かった資金をいかに効率的に活用するかという観点で大きな課題があり、経営者の意識改革が必要という意見が出てきました」(門田さん)

会議参加者からは「ここを変えなければ、本当の意味での市場改革は達成できない」という声も聞かれたという。そこでこれらの論点を整理し、メッセージを発信したのが2023年3月末。いわゆる東証要請へとつながったのである。

繰り返しになるが、PBRはあくまで議論の端緒であり、本旨はその後ろで述べた課題だった。

海外投資家から高い注目、東証への問い合わせも相次いだ

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こうした経緯で出された東証からのお願いには、資金を効率的に活用する経営の実現、正確に言えば「資本コストや株価を意識した経営の実現」に向け、上場会社に対応してほしい内容も細かく記されている。

「上場会社にお願いしている対応は大きく3つあります。まず、自社の現状分析を行っていただきたいということです。具体的には、自社の資本コストや資本収益性、それに対する市場評価を把握していただきたいと考えています。次に、その分析をもとに改善計画を策定し、投資家に開示していただくこと。そして最後に、その計画に基づく取組みを実行していただくことです」(伊藤さん)

まずは自社の現状を分析して投資家に開示する。次に、資金をより有効活用するための改善計画を策定する。そしてその取組みを実行する。この3つを求めている。

ところで、今回の話には「資本コスト」という言葉がたびたび出てくる。これは、簡潔に言えば「企業が調達した資本にかかるコスト」のこと。分かりやすいのは、企業が銀行から借り入れる負債の場合だ。この際の“資本にかかるコスト”は、負債の利回りとなる。

「では株式による資本調達はどうなるのかというと、株主がその企業に期待する収益率やリターンが“資本にかかるコスト”となります。銀行の負債に比べて分かりづらいのですが、大切なポイントとしては、この資本コストを上回る収益性を達成できないと、投資家はその企業から離れやすくなるということです。もちろん株価にもマイナスの影響を及ぼします」(伊藤さん)

「PBR1倍割れ改善」が目的ではない、改めて東証担当者が伝える市場改革の目的


裏を返すと、上場会社が企業価値を高めるには、いかに資本コストを上回る収益性を達成できているか、そのためにどれだけの経営努力を行っているかが重要となる。とりわけ海外の投資家はこの観点で厳しく評価する向きが強く、今回の取組みについても海外投資家からの注目度が非常に高く、東証への問い合わせが相次いだという。

上場会社の現状分析と開示は着々と進んでおり、2024年2月時点でプライム市場の59%、スタンダード市場の22%が開示を行っているとのこと。東証でも開示企業の一覧表を掲載しており、「今後も毎月更新していく予定です」と、伊藤さんは伝える。市場全体の開示率などの集計データも、四半期に一度程度の頻度で公表する方針だ。

加えて2024年2月には、先ほどの3つの対応をどう行えば良いか検討している企業に対して、参考となる資料をサイト上に公開した。「投資者の視点を踏まえた『資本コストや株価を意識した経営』のポイントと事例」というものだ。

「この資料は、国内外100社以上の投資家(機関投資家)と意見交換を行い、投資家が期待しているポイントや一定評価している企業の開示事例などをまとめたものです。上場会社の中には、どのように現状を分析し開示すれば良いのか、どこから手をつけて良いのかわからないケースもあります。その参考にしていただければと考えました」(門田さん)

ここに掲載された企業事例は東証が選んだものではなく、機関投資家の意見をもとにピックアップしている。見方を変えれば、この資料には機関投資家の分析の切り口や評価の観点が反映されているとも言えるだろう。それは個人投資家にとっても有益な情報であり、「機関投資家の視点を知る意味でも、個人投資家の方に見ていただきたいですし、それにより企業分析や投資判断の洗練につなげていただければと考えています」と、門田さんは話す。

改めて今回の取組みの根底にあるのは、上場会社に投資家の期待やニーズを理解してもらい、それに合わせて各社が企業価値向上を推進する状況を作ることだ。そうして、企業と投資家の目線が一致することを望む。もちろん、この営みが魅力的な市場につながることは間違いない。上場会社への“お願い”に端を発したこの改革、道のりはまだ始まったばかりである。

「PBR1倍割れ改善」が目的ではない、改めて東証担当者が伝える市場改革の目的


(取材・文/有井太郎 撮影/森カズシゲ)

※記事の内容は2024年4月現在の情報です