「偉人」とは・・・
歴史に残る重大事を成し遂げた人物のことである。生前から重要人物とされていた場合が多いが、フィンセント・ファン・ゴッホや坂本龍馬のように、本人が死去した後になって有名になることも少なくない。
(Wikipediaより)

そんな歴史に残る重大事を成し遂げた人物にも、きっと我々、一般大衆のような人間臭い一面もあるはずだ・・・というか、もっともっとひどい “汚点”のような一面もきっとあるはずなのだ!!

そこで今回は、そんな偉人の隠しておきたい“汚点”を一挙大公開。
第一回目のゲストは“インド独立の父”として知られまくっているマハトマ・ガンジーさん。
そんな彼の知られざる“汚点”に迫る。

■「マハトマ・ガンジー」とは
≪プロフィール≫
【生年】1869年10月2日
【没年】1948年1月30日

西インドの小藩主国の大臣の長男として生まれる。ロンドンに留学し、弁護士資格取得。インド帰国後、訴訟事件の依頼でアフリカへ。
そこで差別を受けたことがきっかけとなり、在住インド人の差別撤廃運動を組織。22年間戦った。1915年帰国後、民族運動の指導者として活躍。「塩の行進」など非暴力・不服従運動を貫き、インド独立の礎を築いた。

≪知られているすご~い経歴≫
・1888年(19歳)
法学勉強のために英留学 弁護士の資格を得る

・1893年(24歳)
インド人商社の顧問弁護士として南アフリカへ “サティヤーグラハ”に基づく身分闘争を展開

・1915年(46歳)
インドへ帰国、サティヤーグラハ ・アシュラムを設立

・1917年(48歳)
チャンパランで農民とともにサティヤーグラハ運動展開

・1921年(52歳)
ボンベイで外国製衣類を焼きインド風の腰衣だけを着用する

・1931年(62歳)
英印円卓会議出席のためロンドンヘ赴く

・1932年(63歳)
逮捕され投獄される バークホワイト女史との出会い

・1947年(78歳)
1月30日、ヒンドゥー教極右派のゴードセーによって暗殺される 2月12日、遺灰が聖なるガンジス河に流される

≪ “汚点”とも言える、裏エピソード≫
・1878年(9歳)前後  内気すぎて、登下校は毎日ダッシュ!!
内気でおとなしい子供だったガンジー。同級生に話しかけられるのが怖かったため、学校が終わるといつも一目散に走って帰っていたという。

1882年(13歳)  若いときは多少悪いこともしました・・・
ガンジーは13歳で、両親の決めた同い年の少女カストゥルバと結婚した。ガンジーは自伝でこう振り返っている。
私はカストゥルバを溺愛していた。学校にいるときも始終彼女のことを考えていたし、夜になったらまた会うのだと思うと、じっとしていられなくなるのだった。無学な妻に字を教えてやりたいと思ったのだが、会うと性欲の虜となり、とてもそんな余裕はなかった・・・。
自伝にはほかに、召使の金をくすねてタバコや肉を買ったことも書かれているという。

・1885年(16歳)  性行為に夢中で父親の最期を看取ることができなかった!!
13歳という若さで結婚したガンジー。いつしか奥さんとの間で性行為におぼれてしまった。奥さんの顔を見ると、欲情してしまい、気が付けば性行為三昧。いつしか、ガンジーは罪悪感にさいなまれるのだ。
そして、ガンジーが16歳の時。父親の体調が悪くなったので、身内と交代で看病をすることになった。
休憩の時間となり、奥さんとひと時を過ごしていたのだが・・・ やはり奥さんの顔を見ただけでガンジーは欲情してしまった。結局、この欲情が仇となり、数時間にも及ぶ性行為の最中に父親は亡くなってしまい、看取ることができなかったのだ。
ガンジーは思う。「自分の気持ちの中から性欲を消し去りたい」。しかし、若かりし頃のガンジー。奥さんの顔を見てしまうと再び性欲が沸いてしまい、めでたく4人の子供を授かったのだ。
ガンジーが禁欲を告げたのは36歳の頃だという。

【出展】
「現代アジアの肖像8・ガンディー」(岩波書店)
「ガンジー自伝」(中央公論社)

いかがでしたか。
あの偉人の意外な“汚点”。
みなさんもいつかは偉人になるために今は“汚点”を積み重ねてみてはいかがですか。

(written by ちゃかし 改め くしBK)


 

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