「弊社の看板娘」とは……

東京・多摩地区で最も人口が多い八王子市。数々の大学がキャンパスを置くことでも知られている。
そんな街の“弊社”にも看板娘はいた。

「島田電機製作所」の看板娘が、母とのエピソードで泣かせてくれ...の画像はこちら >>

訪れたのは島田電機製作所。


社名こそバリバリの製造業だが、これがまたポップでキュートな企業なのだ。エントランスではマスコットキャラクターのボタンちゃんが出迎えてくれる。

「島田電機製作所」の看板娘が、母とのエピソードで泣かせてくれた

なぜ、ボタンなのかはすぐにわかります。


オフィス内のフロアに到着。

「島田電機製作所」の看板娘が、母とのエピソードで泣かせてくれた

IT企業と見紛うばかりのお洒落さだった。


その片隅にはボタンだらけの展示スペース。

「島田電機製作所」の看板娘が、母とのエピソードで泣かせてくれた

「意匠器具の歴史・変遷」とある。


そう、島田電機製作所はエレベーターの意匠器具(押しボタンや到着灯など)の専門メーカーなのだ。業務内容の詳細は看板娘に紹介してもらおう。


看板娘、登場

「島田電機製作所」の看板娘が、母とのエピソードで泣かせてくれた

「よろしくお願いします」。


こちらは総務部企画担当の小倉心愛(こころ)さん。昨年の4月に入社したばかりだが、ブランディングやPR活動を任されている。

「ここは営業や事務系のオフィスで、あちらの奥が組み立てや検査を行うスペースになっています。壁で仕切らない一体感のあるオープンスペースになっているんです」。

「島田電機製作所」の看板娘が、母とのエピソードで泣かせてくれた

やはり工場とは思えない。


さらに、1階の工場も見せてくれるという。そこでは金属を削るマシンで、ボタンの原材料となる厚いアクリル板を削っていた。

「島田電機製作所」の看板娘が、母とのエピソードで泣かせてくれた

手前の緑のマシンがそれだ。


ちなみに、写真を撮ったらダメな箇所はあるかと聞くと「うちは、そういうNGはないです」という頼もしい回答。

「アクリルは厚ければ厚いほど高額になるんです。あのいちばん下の『130T』と書いてあるのは130万円ぐらいします」。

「島田電機製作所」の看板娘が、母とのエピソードで泣かせてくれた

130Tとは厚さ13cmを意味する。


さて、心愛さんは東京の足立区で生まれ育った。小学生の頃は学習塾、体操、新体操、バレエ、造形教室と計5つの習い事に通う。

「いろんなことをやりすぎて最後のほうは頭がパンクしちゃって。全部辞めて中学2年からはバスケ部のマネージャーだけにしました」。

しかし、マネージャーは裏方仕事。もともと表に出て注目されたい性分の心愛さんは悶々とする日々を送る。

「そんなときに顧問の先生が、『たとえ地味で目立たない仕事でも、自分の良さや持ち味を生かすことはできる』と声をかけてくれて。そこから取り組み方が変わりましたね。中高一貫校だったこともありますが、そのあとは私が卒業するまで5年間も続けられたんです」。

「島田電機製作所」の看板娘が、母とのエピソードで泣かせてくれた

最後の引退試合ではプレイヤーとしても出場(最前列の左から2番目が心愛さん)。

--{}--なお、彼女の人生にとってお母さんの存在が非常に大きいという。

「シングルマザーでホテルの支配人として働いていた母は、忙しくて授業参観にも来てくれない。
私が寝た後に帰ってくる感じで、『お金さえくれれば、夜ご飯なんかいらないから』と言っていた反抗的な時期も少しありました」。

「島田電機製作所」の看板娘が、母とのエピソードで泣かせてくれた



しかし、本当は「常に一人娘のことを見守ってくれていた」ことをちゃんとわかっていた。

「私が病気で入院したときは、大好物の鮭マヨご飯を差し入れてくれました。鮭フレークにマヨネーズを混ぜてご飯にかけるやつです(笑)」。

「島田電機製作所」の看板娘が、母とのエピソードで泣かせてくれた



お母さんの教育方針は「好きなことをとことんやりなさい」というもの。短大1年生のとき、心愛さんはカンボジアの課題解決プログラムに参加したいと頼み込んだ。

すると、お母さんは「そこで得たものを人生に活かせるなら行きなさい」と言ってくれて、10日間で30万円かかる費用を出してくれたという。

「島田電機製作所」の看板娘が、母とのエピソードで泣かせてくれた

シェムリアップという街の繁華街、パブストリートを散策する心愛さん。


今回、そんな彼女の推薦者は社長の島田正孝さん。創業89年になる同社の5代目だ。心愛さんの仕事は社長直下なので、おのずと交流の機会も増える。

「島田電機製作所」の看板娘が、母とのエピソードで泣かせてくれた

島田さんはパンクバンド「ニューロティカ」の大ファン。


ボーカルのあっちゃんは八王子の菓子店、「ふじや」の店主でもあり、この社長室にも時々遊びに来るそうだ。ところで、御社の看板娘はいかがですか?

「50人以上の応募者の中から数名しか採用しませんが、その中でも彼女は会社の価値観への共感度の高さが際立っていました。実際に、入社後は周りにポジティブな影響を与えてくれている存在。そもそも、私直下で仕事を任せるのは初めてなんですよ」。

続けて、島田さんが「ほら、プレゼントの話しなよ」と促す。

「あ、母親の誕生日が1月10日なんですが、お年玉は全部お母さんへのプレゼントに使ってきました。子供の頃、近くにあったジュエリーショップのTSUTSUMIに行って、店員さんにお金を見せながら『これで買えるネックレスをください』って言ったらしいです。心配して後ろから付いてきていた母親から聞きました」。

泣けるエピソードを聞いたところで、再びボタン行脚の旅へ。そこでは、ちょっと驚くべき光景を目にした。その名も「1000のボタン」。さまざまな種類のボタンがぎっしりと並んでおり、押すと点灯するのだ。


「島田電機製作所」の看板娘が、母とのエピソードで泣かせてくれた

ボタンを押しまくる子供たち。


島田さんが言う。

「ボタンを押したがる子供が多いんですよ。でも、普通はエレベーターのボタンを自由に押すことはできないから、この1000のボタンを作りました。実際には1048個あります」。

定期的に開催している工場見学の日は、「30秒早押しチャレンジ」を行う。そこでは、嬉々としてボタンを押す子供たちの笑顔が見られる(2月24日時点では休止中)。

なお、「1000のボタン」の知名度が広まり、メディア取材が殺到したきっかけは、社員による下のバズツイート。

「島田電機製作所」の看板娘が、母とのエピソードで泣かせてくれた

19.5万いいねと、バズりは継続中。


ボタンはまだまだあった。朝、出社した社員の業務は「やる気ボタン」を押すところから始まるのだ。

「島田電機製作所」の看板娘が、母とのエピソードで泣かせてくれた

ボタンには一人ひとり自分を高める言葉、「変化を楽しむ」「贅沢は味方」など思い思いに書かれている。


これを押すことで社員一人ひとりが出社と退社の切り替えを行っている。

「島田電機製作所」の看板娘が、母とのエピソードで泣かせてくれた

心愛さんは「挑戦」だった。

--{}--次に案内してもらったのは「ボタンちゃんカフェ」。

「島田電機製作所」の看板娘が、母とのエピソードで泣かせてくれた

中はどうなっているのか……。

「島田電機製作所」の看板娘が、母とのエピソードで泣かせてくれた

おっと、これまた工場とは思えない空間。


昼は社員が食事をとるカフェスペース、そして終業後はなんとお酒が無料で飲み放題のバースペースになるそうだ。

「島田電機製作所」の看板娘が、母とのエピソードで泣かせてくれた

ボタンだけに押せる(推せる)企業である。


めくるめくボタンの世界を堪能しました。では、最後に読者へのメッセージをお願いします。

「島田電機製作所」の看板娘が、母とのエピソードで泣かせてくれた

思わずイラストのボタンを押したくなる。


【取材協力】
島田電機製作所
www.shimada.cc

「弊社の看板娘」(Vol.180)
飲食店で働く166人の“看板娘”をご紹介してきた連載がリニューアル。さまざまな企業や団体で働く女性にフォーカスする題して「弊社の看板娘」。仕事内容やプライベートについて鋭く切り込むとともに、「この人と一緒に働いて楽しい」と思っている推薦人にもご登場いただく。
上に戻る
編集部おすすめ