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オリジナル版へ。 今回のアチーバーは、3月に現役引退を発表した、ボクシングの元WBA世界ミドル級王者・村田諒太さんです。アマチュアで数々のタイトルを獲得した村田さんは、東洋大職員時代に出場した2012年ロンドン五輪で日本人48年ぶりとなる金メダルを獲得。五輪後の2013年にプロへ転向すると、2017年10月には、「激戦階級」とされるミドル級で世界王座を獲得する快挙を成し遂げました。五輪金メダルと世界王者。日本スポーツ史に残る挑戦を支えた、「決断」に対する考え方、成功を引き寄せるキャリアの重ね方とは―。
言葉①「選択の正誤はその場では出ない。決まるのはその先。だから、決断自体は大したことではない」
Q:現役最後の試合から1年の期間がありましたが、次のキャリアに向けてどのようなことを考えて過ごしていたのでしょうか。この1年間は結構充実していて、英語の勉強などもしていましたが、何をやるか、「これだ」と決めていたわけじゃないんです。いろんな人と会ったり話していく中で、今は明確にやりたいものが見えてきています。
まだ発表できる段階ではないですし、大きなことを言える状況ではないんですけど、思ったより引退という状況は悪くないなと思っています。
Q:村田さんは、金メダリストとなった2012年のロンドン五輪後に大学職員を辞めてプロの世界に挑戦しました。当時の「セカンドキャリア」を決断した際、葛藤などはありましたか?あの時はオリンピックの金メダルって大それたものだと思っていましたし、歴史の中でもないことだったので、それをやったことに対する満足感もありました。同時に、この業績をもっと認めて欲しいという気持ちと、(世間は)思ったより認めてくれないっていう気持ちもあったんです。金メダリストとしてのアイデンティティがあって、自分がこれほどの価値がある人間だと勘違いしてしまう。そうすると、その一回自分が感じ取ってしまった自分の存在という状況からなかなか降りられないんです。2012年っていうのはまさにそんな状況でした。
Q:その状況から、最終的にどのようにプロ転向の意思を固めていったのですか?なかなか決断がつかずに、「自分の人生どうするんだよ」って悩んでいた時、2012年の年末に『課外授業へようこそ先輩』っていう番組に出たんです。小学6年生の子供たちを相手に2日間僕が課外授業をやったんですが、その経験が自分にとってはすごく大きかったですね。
Q:子供たちとの出会いが、気づきを与えたと?小6の時っていうのが、ちょうど僕も親が離婚したり、ちょっと大変な時期で、彼らが節目を迎えていく時に、2日間一緒にいさせてもらったんです。それで「子供の頃ってこんな気持ちだったよな」って思えたので、妻に「ガキの頃の夢をもう1回追いかける」「プロ行くよ」って言ったんです。それまでは「ダメ」って言われていたんですけど、その出来事があってからは妻もOKしてくれた感じでした。
Q:プロ転向時はフジテレビが全面的にバックアップするなど大きな注目を集めた一方で、「世界王者」を求められる孤独な生活がスタートしたわけです。世界王者になれなかったら金メダリストとしての価値が下がるといった感情はなかったのですか?もちろん思っていました。やっぱり、負けられないってずっと思ってましたね。いい試合で勝たなきゃいけない、自分が強い存在に絶対いなきゃいけないみたいな。自分が得た金メダリストというそのステータスにしがみつきたいというか、そういう心理は働いていましたね。プロに来てからは後ろを振り返れなかったと言うか、大学を辞めて来て、ある意味ではもう啖呵切って来てるわけなんで、後ろは崖じゃないですか。そういうシチュエーションだったのは、ある意味ではプラスではありました。
Q:後悔しても、過去にしがみついても解決することはないと?そう思います。結局、選択の正誤っていうのはその場では出ないですから。その後の結果次第で「行ってよかったかどうか」っていう話になるんで。 1つの出来事っていうのは、そこだけで完結するわけじゃなくて、その先のことで良かった、悪かったってなるわけです。結局は目の前の決断だけじゃなくて、その先が決めることなんです。
だから、決断なんていうのは実は大したことではないんですよね。
言葉②「不正解、エラーを取り除くことは、完璧なパフォーマンスを出そうとするより大事」
Q:引退会見では「思ったよりも強く、思ったよりも弱い。思ったより美しい部分もあり、思ったより醜い部分もあった」とキャリアを表現されました。ボクシングを続ける中で、自分自身の変化をどのように感じてきたのですか?13歳、14歳くらいでボクシングを始めたんですけど、最初は 「自分は強い」と自分自身が思いたかったし、人にもそう思ってほしかった。それを得たくてボクシングをやってきて、もちろん十分に満たしてくれる時期はいっぱいありました。ただ、最後に思うのは、いかに自分が弱くて未熟で、それは精神性も含めてですけど、あろうことか自分の弱さを証明してしまったみたいな部分ですよね。ボクシングは強いですよ、殴り合いは強い。そうじゃなくて、人間としていかに自分が弱かったかを知るための旅だったのかなと、この20年間っていうのはそんな感じがしますね。
Q:「弱い」というのは具体的にどういったところに感じるのですか?ボクサーとして強くなると、失うものもいっぱいあるわけです。金メダルとかを獲っていくと、もちろん世界チャンピオンの座もそうだし、有名になること、お金だったり、そこにどうしてもすがりつきたい人間としての弱さみたいなのが見えてきて、世間で得たものと同時に醜さや弱さみたいなものも得てしまうと感じましたね。
Q:最初にその弱さを感じたのはいつだったのですか?ロンドン五輪の後ですかね。ボクシングとかスポーツっていうのは、金メダルを獲ったこととか、世界チャンピオンになった、その前後にまつわることが印象深いわけであって。例えば、金メダルを獲った瞬間は「やったー!」って、そんなもんなんですよ。
その後に何が待ってるかというと、表彰され、チヤホヤされて今までにない世界を味わう。その中で自分がどういう風な振る舞いをし、どんな生活を送ってきたか、そこなんですよね。世間の評価というのは承認欲求を満たすものであるんですけど、そこに対して満たされる承認欲求とともに、自分の中での違和感みたいなものが出てくる。結局、鶏が先か卵が先かっていう話になっちゃいますけどね。
Q:そうした「違和感」を埋めるように、現役時代、村田さんは哲学書を読んだり、新たなトレーニングもどんどん取り入れていたと聞きました。ボクサーとして不安や、迷いを取り除くために意識していたことはありますか? 結局正解はないなと思うんですよね。不正解はあるんです。エラー、これは絶対やっちゃいけないっていうことはあって、結局その不正解をしないことって、完璧なパフォーマンスを出すことよりも大事なことなんだと思うんです。練習においても、平均を出せるってすごく大事で、どうしても調子がいい日とか悪い日とかってあるわけですよ。ただ、競技において、絶対にダメなことってあるじゃないですか。それをやれば50点は出せるわけですよ。そこに調子がいいとか悪いとか、加点されていって、「今日のスパーリングよかったな」ってなるだけの話で、絶対的にダメなことをしないっていうベースを置いておくっていうのは大事だと思いますね。
言葉③「置かれた状況の中での、自分のベストアンサーを出すことが本当の意味での責任だと思う」
Q:誰しも、大事な選択に迫られると迷いが生じるものですが、村田さんは目の前にA、B2つの道がある時、どのように進路を決めているのでしょうか。決め方というのはないですね。 理想があっても、結局できることとできないことがありますから。「前に行こう」っていう、自分からのアクションの仕方もあると思うんですけど、他方で向こう側からくるってアクションもあるじゃないですか。向こうから来るものにどうやって応えるかっていうことって大事だと思うんですね。例えば英語で「責任」ってレスポンシビリティじゃないですか。レスポンス。応えることじゃないですか。
Q:能動的な挑戦だけが、自らを成長させたり、成功につながるわけではないと?チャレンジしていくことが大事だとか、みんな伝えたがるし、先に進んでいくことが大事なんだみたいなことを言いたがるんですけど、僕はそうだとは思っていないです。今置かれた状況の中で、自分ができるベストなアンサーを出すことが本当の意味での責任じゃないかなと思いますし、前に進んでいくというアクティブさを持ってない人間に対してダメだって言うことって、ちょっと違うんじゃないかとも思っています。今、自分に与えられたタスクに対して応えていくっていうことの方が実は大事なことであって、それが歩んでいくことじゃないかなと思うんですよね。
Q:村田さんは、今後「金メダリスト」「世界王者」という実績とどのように向き合っていこうと思っていますか?金メダリストとか世界チャンピオンとかっていうのは、否が応でもついてくるじゃないですか。
ボクシングの世界にいると「俺はミドル級の世界チャンピオンだ」ってどうしても固執しちゃうけど、世界が変わった瞬間に「固執するものでもなかったな」と思うものなんですよ。だからこそ、固執してもしょうがないし、固執することを否定する必要もないと思っていますね。
Q:村田さんが大切にしている言葉、村田さんの考えが大きく変わったような言葉があれば教えてください。高校の監督だった武元先生にもらった言葉ですね。3年生でキャプテンだった時に、新入生に向けた部活紹介っていうのがあったんです。毎回部員が1年生に向けて「僕に勝てると思う人は手を挙げてください」って言うのが恒例だったんですが、そこで、まだ入部して2~3週間の後輩が、90キロぐらいある空手の有段者に負けたんですよ。それで、「次は、俺とやろう」ってやったら、瞬間的に相手のボディーに一発入れてしまって…。その時に武元先生に呼ばれて、「お前の拳は、そんなことに使っちゃダメだ」と言われたんです。自分が打ち込んでいることに対してチャレンジしていく可能性に賭けなさいっていうことを、伝えたかったんだと思うんです。その言葉自分にとって、今でも特別な言葉ですね。
Q:今度は反対に、村田さんに憧れてボクシングを始めた子供たち、スポーツに熱中している子供たちへのメッセージを、最後にお願いします。 「夢を叶えるための方法ってないですかって」よく聞かれるんですけど、「ないよ」って言うんですよ。世界タイトルマッチでの試合で、日本ボクシング史の最大の試合だとかって言わるような舞台であっても、僕は自分の主観でしかないから、高校一年生の時のインターハイ1回戦の緊張感と変わらないんですよ。結局、目の前の1個1個をクリアしていくだけなんだって。それを積み重ねていった結果、気づいたら「金メダリストなってたな」とか「世界チャンピオンなってたな」とかそんなもんですから。だから子供たちには「目の前のことをまず一生懸命になって、それを本当にずっと続けていったやつだけが、そこにいける。全員はならないよ」と伝えたいですね。
村田諒太(むらた・りょうた)1986年1月12日、奈良県出身。中学1年でボクシングを始め、南京都高校(現京都広学館高)時代に高校5冠。東洋大を卒業し、2012年のロンドン五輪ではミドル級で金メダルを獲得した。13年にプロ転向し、同年8月にデビュー。2017年10月にアッサン・エンダム(フランス)に勝利し、WBA世界ミドル級王座を奪取。18年10月、ロブ・ブラント(米国)に判定負けして2度目の防衛に失敗するも、19年7月の再戦で王座を奪回。22年4月にIBF世界同級王者ゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)との統一戦に敗れ、王座陥落。23年3月に引退を発表した。通算戦績は19戦16勝(13KO)3敗。