「37.5歳の人生スナップ」とは……
齢50を過ぎて、先陣を切って頭を下げにいく。その数は100近くに及んだ。
東京の都心にある日比谷公園を会場とする「日比谷音楽祭」の開催実現に向け、協賛企業を募るためにセールスシートを持って営業へ向かった、亀田誠治さんのことだ。
10万人が集まった「音」を「楽しめる」かつてない場所
亀田さんは日本を代表する音楽プロデューサーとして知られ、これまで椎名林檎、平井堅、スピッツ、GLAY、いきものがかりをはじめとする数多くのアーティストのプロデュースとアレンジを手掛けてきた。日本レコード大賞も編曲賞を2度受賞している。
日比谷音楽祭では実行委員長を担っている。キャリアと立場を思えば本来の役割は総合演出が妥当と言えるが、実際にはみずから企業に足を運び、「音楽祭開催のための協賛をお願いします」という役回りもつとめたのである。
そうして実行委員長みずから労を惜しまず取り組んだ日比谷音楽祭は、「フリーで誰もが参加できる、ボーダーレスな音楽祭」をコンセプトに、2019年6月に第1回目が催された。

会場内に設けられた複数のステージには、石川さゆり、KREVA、coba、椎名林檎、JUJU、SKY-HI、布袋寅泰、警視庁音楽隊、金子飛鳥×林正樹、DEPAPEPE、新妻聖子、山本彩ら、そうそうたるアーティストが登場。
文字通りボーダーレスに、ロック、ポップス、歌謡曲、オーケストラ、クラシック、インストゥルメンタルといったあらゆるジャンルの音楽が奏でられた。
そして都心の大空のもと、多彩な音楽を楽しめる祭りには2日間でのべ10万人が来場。さまざまな年齢の人たちが純粋に“音”を“楽しめる”かつてない場となった。
「絶対無理」と言われた入場無料
音楽に魅せられ中学時代にベースを始め、音楽で生きていくからと大学卒業時に就職活動をしなかった亀田さんが、豊かなミュージシャン人生を歩んでこられた恩返しとして尽力した日比谷音楽祭。
音楽そのものの魅力を発信する場を生みだすために、かいた汗があった。だが、本来の役回りではないのに、なぜか?
理由はひとつ。「入場無料」にこだわったから。

「日比谷公園からイベントのお話を頂いた当初、公園側にとっては亀田誠治がプロデュースする有料イベントで良かったんです。素晴らしい音楽に触れてもらうイベントを事業として成立させる必要がありましたから。そのために広告代理店もプロジェクトに参加していたんですが、しばらくして僕が入場無料にしましょうと提案したことで、スキームが根底から変わってしまいました。
実行委員長が変なことを言い出したぞ、みんな冷や汗、みたいな。それでも半年くらいはフリーイベントとして協賛企業を探そうとランニングはしたんです。ところが‥‥‥」
実は、日比谷音楽祭には「幻の第0回」があったのだという。
2018年の開催予定で準備を進め、亀田さんはアーティストたちに声をかけていった。開催の数カ月前には最終ブッキングがほぼイメージ通りとなり、いよいよ発表という段階になって、広告代理店がおりてしまった。
「まだセールスの途中で、名前が挙がっている企業も確約は取れていないと。あの会社は大丈夫だったはずでは、と聞くと、ほかのイベントに協賛が決まって…… ということになってしまったり。チケット収入なしではマネタイズは難しいという意見でしたね。
お金が集められないということで、僕がフリーという理念を諦めて有料イベントにスイッチするだろうと考えていらっしゃったと思うんです。
そういうフェスが欲しかった。出たい。俺出るよ。私出ていいですか? そういう声が届いていました。彼ら彼女たちが賛同してくれた大きな理由はやはり、フリーであること。音楽を分け隔てなく届けたいという理念への共感にあって、その気持ちに誠実に応えたかった。そのため2018年の開催は諦めました。もう悔しいし、悲しかったですね」。
2日間の開催日程を1日として調整してみるなど、最後まで開催できる方法を模索した。しかしどう考えても理想の形からは程遠くなってしまい、断念。仕切り直しをして、翌年の開催を目指した。

ap bank fesで知り合った旧知のイベント制作スタッフとともに「もう誰かに頼むのではなく自分たちでセールスしよう」と決心。これまで冠婚葬祭以外でスーツを着たことがなく、ネクタイさえ締められなかった亀田さんがスーツを3着購入し、再び走り出した。
「怪我の功名ではないけれど、僕が企業に直接赴くことによって、思いをストレートにブレなく伝えられ、すると第0回では閉じていた扉が次々に開いていったんです。音楽仲間からも、協賛企業を紹介するよ、だったり、PR会社に知り合いいるからさ、と言ってもらえたり。広告代理店にはあれほど“絶対無理”と言われていましたが、状況はどんどん変わっていきました。
それに第0回があったから、布袋寅泰さんや椎名林檎さんといった、そのときに声をかけたアーティストさんたちから“次こそ絶対に出たい”と言ってもらえて、ステージのコンテンツも徹底的に熟成させることができました。本当にピンチはチャンスなんですよね。とんでもない底なし沼に足を踏み入れたな、もう出られないなと何度も思いましたよ。でも結果すべてが良い方向に変換されていきました。それはおそらく、出会った人たちと前例のない音楽祭を成功させたいという思いを共有できる仲間になれたからだと思います」。
音も人も垣根を超える「サマーステージ」に受けた衝撃
幻の第0回を生み出すほど「無料」であることに亀田さんがこだわった背景には2つの理由があった。
ひとつはニューヨークで目にした羨望の光景。
前者の羨望の光景とは、ニューヨークのセントラルパークを中心に6月初旬から9月いっぱいまで開催される「サマーステージ」のこと。催されるイベントはほとんどが無料で、あらゆるジャンルの音楽が毎日のように奏でられる。ステージに立つのはデビューしたてのロックバンドや、クラシックのバイオリニスト、ソウルクイーンなど千差万別であるところが面白いという。

近年は毎年のようにニューヨークを訪れ、現地で1カ月ほど滞在している亀田さんは、「サマーステージ」を実際に体感し、音楽の楽しさを再確認。多ジャンルな音楽に気軽に触れられる日常生活があることにジェラシーを抱いた。
「僕が見たのはメイヴィス・ステイプルズでした。80歳を数えるR&Bとゴスペルの大御所です。過去にはマライア・キャリーやエルヴィス・コステロも出演していたと聞きます。このジャンルの広さ、世代の広さ、それをフリーイベントとしてニューヨークの中心にあるセントラルパークでひと夏中楽しめる。
観にくるお客さんも子供から老夫婦までと幅広く、ジョギング中に寄ってみたり、家族がピクニック気分で訪れたりと敷居が低い。さらに人種も多様です。

ニューヨークへ通い出したきっかけ。それは50代に入った頃に強く感じた日本の音楽業界に対する違和感であり閉塞感だった。
音楽作品に加え、コンサートやフェスに関しても、ある特定の音楽が特定のファンに向けて売られている。ターゲットを絞ることによって、音楽が多くの人へ届くという前提で誰もが模索している。そう感じ、「音楽とは、もっとすべての人に等しく届いて、もっと世代を超えて愛されるものではないか」と、感じていた。
その考えが正しいと背中を押してくれたのがサマーステージであり、だから日比谷公園サイドから実行委員長の話が届いたときには、「天命」だと感じた。
後編へ続く。

亀田誠治(かめだせいじ)●1964年生まれ 音楽プロデューサー・ベーシスト。これまでに椎名林檎、平井堅、スピッツ、GLAY、いきものがかり、JUJU、エレファントカシマシ、大原櫻子、山本彩、石川さゆりなど数多くのアーティストのプロデュース、アレンジを手掛ける。2004年に椎名林檎らと東京事変を結成(’12年に解散、’20年に再生を発表)。2005年よりap bank fes にbank band のベーシストとして参加。2007年第49回、2015年第57回日本レコード大賞、編曲賞を受賞。NHK Eテレにてシリーズ放送された音楽教養番組『亀田音楽専門学校』などを通じて次世代へ音楽を伝えている。
2019年にフリーイベント「日比谷音楽祭」の実行委員長を務め、10万人を動員。
もうすぐ人生の折り返し地点、自分なりに踠いて生き抜いてきた。しかし、このままでいいのかと立ち止まりたくなることもある。この連載は、ユニークなライフスタイルを選んだ、男たちを描くルポルタージュ。鬱屈した思いを抱えているなら、彼らの生活・考えを覗いてみてほしい。生き方のヒントが見つかるはずだ。
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小山内隆=取材・文