「中古以上・旧車未満な車図鑑」とは……
vol.5:「E30」
BMW、1982年~1994年
「E30」という形式名でもよく呼ばれる、BMW 3シリーズの2代目。もっとも、バブル期の日本では“六本木のカローラ”とも呼ばれた。
今改めて考えると、六本木のカローラ、意外と的を射た表現かもしれない。
低迷していた1960年代にBMWを救ったのは、社内で「ノイエ・クラッセ(英語でニュークラス)」と呼ばれた車だ。BMW「1500」から始まり有名な「2002(マルニ)」まで続く、コンパクトスポーツセダンでの成功が、同社を一気に世界的自動車メーカーへと押し上げた。
このノイエ・クラッセの最終モデルといえるマルニの後継車が、初代3シリーズ「E21」。
「E21」も瞬く間にベストセラーとなると、さすがのメルセデス・ベンツも慌てたのか、同様のコンパクトクラス「190E」の開発に着手したほど。
ちなみに、それまでメルセデス・ベンツはのちにEクラスと呼ばれるクラスを「コンパクトクラス」と呼んでいた(メインのSクラスよりコンパクトだから)のだが、慌てて(?)Eクラスを「ミディアムクラス」と呼ぶようになった。
SクラスにBMWの7シリーズ、Eクラスに5シリーズという対抗馬が力をつけ、従来作る予定のなかった「コンパクトクラス」で反撃しようという考えに出たのかもしれない。

ともあれ、ライバルである「190E」と「E30」はともに1982年に登場する。新たな、しかも強力なライバルの前にどんなワザで迎え撃つのか……と思ったら、実は新開発のエンジンとか、新しい機構の足回りとか、そういったものがほとんどない。むしろ初代である「E21」の熟成、完成形を目指した、そんな技術者魂のようなものを感じる一台だ。
それは見た目にも表れている気がしてならない。「E21」よりさらにスッキリとした直線基調のエクステリア、飾り気のないボックスセダンスタイル、キュッと小さくまとまった鼻(キドニーグリル)……。シンプルだけども端正で、存在感がある。
当時もこのデザインは両手を挙げて迎えられたようで、「E21」同様世界でバンバン売れた。好景気な日本でもジャンジャン売れた。だから付いたあだ名が“六本木のカローラ”。
当時日本での販売台数1位が定席だったほど売れていた“カローラ”なみに、六本木ではよく見かける、とう意味だが、確かにそれくらい人気が高かった。

BMW「E30」が“六本木のカローラ”なもうひとつのワケ
もうひとつ、カローラと似ている点がある。ボディバリエーションが豊富な点だ。「E21」では2ドアセダン(セダンのカタチだけどドアは2枚)とカブリオレのみだったが、「E30」では2ドアセダンとカブリオレのほか、新たに4ドアセダン(後に3シリーズの主力となる)、ステーションワゴン、スポーツモデルの「M3」、4WD車(同社初)。「M3」のカブリオレ(日本未導入)まであったほど多彩なバリエーションが用意された。

3シリーズとして初のMモデルとなるM3は、DTM(ドイツツーリングカー選手権)でライバル「190E」と熾烈なレースを展開。お互い「エボリューションモデル」を次々に開発して性能を高め合っていった。
これもベースである「E30」が熟成された、モータースポーツ向きのモデルだからこそ、エボリューション=進化ができるともいえる。


そんな「M3」でさえ、今見るとと見た目はスマートだ。太いタイヤを無理矢理収めるために膨らんだフェンダーですら、セクシーに見える。
最近、次期4シリーズクーペ(3シリーズの2ドアセダンの後継モデル)の大きなキドニーグリルが話題だが、小粋な小鼻の「E30」、2ドアセダンの程度の良いこの中古車を今、普段の足としてサラッと乗れたら、きっと気分がアガるだろうなぁ。
「中古以上・旧車未満な車図鑑」とは……
“今”を手軽に楽しむのが中古。“昔”を慈しむのが旧車だとしたら、これらの車はちょうどその間。好景気に沸き、グローバル化もまだ先の1980~’90年代、自動車メーカーは今よりもそれぞれの信念に邁進していた。その頃に作られた車は、今でも立派に使えて、しかも慈しみを覚える名車が数多くあるのだ。上に戻る
籠島康弘=文
※中古車平均価格は編集部調べ。