創刊号から30.1号までの総数は154冊。時間の経過とともに味わいが増していく「ザ ・サーファーズ・ジャーナル」に掲載されたタイムレスな写真とストーリー。
そのすべての中から、編集に携わる制作者たちに最も印象深かった記事を選んでもらった。
生ける伝説に学ぶサーファーとしての在り方

スティーブ・ペズマンさん
カリフォルニア州生まれ。世界初のサーフィン雑誌「サーファー」の2代目編集長を務める。その後1992年に「ザ ・サーファーズ・ジャーナル(TSJ)」を創刊。サーフィンが持つ本質的な豊かさを人々に伝えるために生涯をかけて尽力している。
今まで発刊してきたTSJの中からお気に入りの記事をひとつだけ選べと言われたら、私はふたつあるミッキー・ムニョスのいずれか、あるいはふたつともを選びたい。これらの記事には、サーフ界を切り拓いてきた彼の住まいの様子がうまく捉えられている。
ミッキーと妻のペギーは海岸で拾ってきたさまざまなガラクタで家やクルマを装飾するのが好きだ。彼らの住み処を訪れてそのコレクションを眺めていると、サーフィンに関する彼の思想があらゆるものに反映されていることに気付く。
ミッキーが過ごしてきた人生も同じくにぎやかなものだった。そう、彼の頭の中と同様に。ミッキーが波に乗るとき、そこにエゴは存在しない。決して流れに逆らわず、芸術的で、すべてがシンプルに表現されたサーフィン。
しかしミッキーの存在意義はそこまでシンプルではない。彼のような存在は地球上にひとりしかいない。これほどまでに力強く長い人生を生き、これほどまでに一貫して海とともにある人生を追求してきた老練なサーファーを私はほかに知らない。
彼の生きざまこそが、サーフィン人生のひとつの定義なのだ。
もはや学術レベルのサーフィン考察


スコット・ヒューレットさん
カリフォルニア州生まれ。ロングボードの専門誌「ロングボードマガジン」で編集長を務めたのち、「ザ ・サーファーズ・ジャーナル」の編集長に就任。ジェフ・ディバインの写真集など、サーフィンのアートブックの著者としても知られる。
クレイグ・ステイシックIIIによる革新的な記事。もともと「サーファー」に掲載された記事にジャーナリストである本人が加筆したもので、さまざまな要素が多次元的に編み込まれている点が注目に値する。
まずはステイシックのトレードマークとも言える大陸発見前の祖先への敬意が表されたタイトルからして興味深い。そうかと思うとマリブの歴史やカタログ的要素も登場、地球レベルの遺伝子混合についての考察やサーフボードの探究もある。
さらにはサーフィンのパフォーマンス向上への評価や巧緻な文化批評、有名なサーファーたちへのあからさまな批判など、サーフィンにおいてここまで学究的な仕事を成し遂げられるのは世界広しと言えど彼しかいないと断言できる。
丹念に集めたアーカイブと丁寧な図解によって構成されたこの記事はヒップでニュアンスに富み、それこそ研究に値するサーフカルチャーの総合的教科書として機能している。
これを読んで内容を理解できたのなら、あなたもカリフォルニア流サーフィンの知の道に足を踏み入れたということになる。それは単なるサーフヒストリーの勉強ではなく、あなたの感性をシェイプしてくれる道標になるはずだ。
数奇な出会いから始まった日本のサーフィンの夜明け


井澤聡朗さん
神奈川県生まれ。「ザ ・サーファーズ・ジャーナル日本版」に創刊メンバーとして参画し、現在まで携わる。サーフィンの名作映像の数々を制作してきた映像プロデューサー。主な作品は『ウィングナットのアート オブ ロングボーディング』シリーズ。
僕にとってこれまで最も印象的だった記事は日本版初のオリジナルコンテンツ。「サーフィンライフ」誌の初代編集長だった森下茂男による、昭和の高度成長期に誕生した本格的サーフボードブランド「MALIBU」の発端から終焉までを追いかけた物語だ。
カリフォルニアからやってきたひとりのサーファー、タック・カワハラと勇気ある日本企業との出会い、日本のサーフィン黎明期を彩った個性的なサーファーたちの姿、スポーツとしてのサーフィン競技の誕生、そしてやがて訪れるバブルを予感させる社会の動き……。この国でサーフィンが活性化していく胎動期のありさまが躍動感溢れる筆致で12ページにわたり綴られている。
ストーリーの構成から写真のチョイス、各ページのレイアウトやキャプションの一言一句にいたるまで、本家が標榜する「常に本質的であれ」という教えが貫かれている。アカデミックかつ文学的、そしてGoing Deeperであり続けるサーフィンジャーナリズムへの、僕らの挑戦の始まりでもあったのだ。
日本版を創刊して10年。この記事を出発点に、オリジナルコンテンツへの真剣勝負は今も続いている。
常に扉を開いてくれる海のおおらかさ


ジョージ・カックルさん
神奈川県生まれ。「ザ ・サーファーズ・ジャーナル日本版」の創刊メンバー。古今東西の音楽と文化と人間くささをこよなく愛するラジオDJとして活躍。現在、毎週日曜日インターFM「レイジーサンデー」などの番組でパーソナリティを務める。
過去30年にわたり、たくさんの素晴らしい記事が掲載されたが、特に心に残ったのはブライアン・ディサルバトールによるこのエッセイだ。
あるサーファーがサーフィンから離れてしまうが、再びその世界に戻るというストーリー。人は一度でもサーフィンをしたら、永遠にサーファーの心を持つ。そんなことを改めて思わせる内容だった。
サーフィンはしばらくやっていないと、以前のような体に戻るまでに時間がかかる。それはきっと誰でも同じだろう。頭と心の中は十分にサーファーでも、体はそう簡単に動いてはくれない。
人が少ない海で練習をしたくなるし、そのときのぶざまな姿を見られたら「俺は昔サーファーだったんだ!」と叫びたくもなる。ヘトヘトになり、みんなの前で恥をかきながら“サーファー”に戻ろうと必死になる。
サーフィンから離れたことがあるサーファーならば、誰もがこんな経験をすると思う。僕もそうだった。でもまたサーフィンを始めれば、新しい仲間もできるし、新たなサーフィン人生が待っている。そのとき同時に感じるのは、海は再び歓迎してくれるということ。波はいつまでもサーファーを待ってくれているんだ。
文化を守るうえで大切な永続する土着の生命力


高橋 淳さん
埼玉県生まれ。「月刊サーフィンライフ」から雑誌編集のキャリアをスタート。2020年より「ザ ・サーファーズ・ジャーナル日本版」の制作に参加する。サーフィンを専門にするフリーランスの編集者、ライターとしてさまざまな媒体で活躍中。
パプアニューギニアで今起きている、世界的な「木」に関する社会問題に切り込みながら、伝統的かつ持続可能な方法で育まれる現地のサーフィンを描いたマティー・ハノンによるドキュメンタリー。
世界にはその土地土地で育まれてきたサーフィンのやり方があり、文化があります。でも現代において、油断をしているとあっという間に大きな資本をベースとするかりそめの利便性と華やかさを餌にした均一化という波にのみ込まれ、その多様な文化は根絶えてしまう。この図式はサーフィンに限らず、あらゆることにおいて今世界で起きていること。
パプアニューギニアのサーファーたちはその危険性に気付き、自分たちのルーツに立ち返って知恵を働かせ、ほかのどこにもないオリジナルのサーフィンの在り方を実践しています。
サーファーはときに、世界が抱える問題を解決に導くアイデアを提案することがある。そのアイデアは遊びの中から自然に生まれる。そんなところにサーフィンの真の価値があるのではないのでしょうか。
日本版10.6に和訳の記事がありますので、興味が湧いた方はぜひ手に取って読んでみてください。
PEDRO GOMES、熊野淳司、高橋賢勇、清水健吾、鈴木泰之、柏田テツヲ=写真 小山内 隆、高橋 淳、大関祐詞=編集・文 加瀬友重、菅 明美=文