ロサンゼルスにあるピーターセン・オートモーティブ・ミュージアムでブガッティの展覧会が開かれた。そこでは、めずらしいブガッティが何台も集められただけでなく、歴史的な芸術作品まで展示された。


1. 2012年 ヴェイロン・グランスポール・ヴィテス
レーシングドライバーのピエール・ヴェイロンに因んで名づけられたヴェイロン16.4は、第二次大戦前のブガッティのスピリットとロマンスが巧みに織り込まれたデザインといってよいだろう。2000年の登場時には126万ドル(約1億4600万円=直近のレートで換算)という高額のプライスタッグが付けられていた。W16気筒エンジンは4個のターボで1001bhpを絞り出し、0-60mph(約96km/h)を2.5秒、最高速は253mph(約407km/h)という性能も価格にふさわしいものだった。もちろん生産車としては当時、世界最速だった。

芸術作品としての「ブガッティ」|歴史背景を感じさせる名車から家具、調度品まで


2. 1925年 タイプ35Cグランプリ
ブレシアで成功を収めたタイプ23をベースに作られたタイプ35の強化版が35Cである。軽量ボディ、改良された操縦性とブレーキ、2リッター・スーパーチャージャー付きの高出力エンジンを武器とし、最高速は137mph(約220km/h)を誇った。
履歴を見るとシャシーナンバー"4634"は、ロンドンでブガッティの営業権を有するチャールズ・ジャロット社が輸入した最初のタイプ35Aとある。その後、エンジンを換装してタイプ35Cに改造されたようである。

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3. 芸術作品や家具
跳躍するグレイハウンド犬を模したラジエターマスコットはエットーレの2番目の娘、リディアの手になるもの。2脚の椅子はカルロ・ブガッティが1900年にデザインした。油絵はカルロの自画像。

芸術作品としての「ブガッティ」|歴史背景を感じさせる名車から家具、調度品まで

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4. 1939年タイプ64シャシーとコンセプトボディ
3台が製作されるも、どれも完成に至っていないのがタイプ64。
そこで自身で博物館を持つほどの自動車コレクター、ピーター・ミューリンは2003年、オリジナルのタイプ64(64002)をもとに、アートセンター・カレッジ・オブ・デザインの学生に、完成を目標とする挑戦の機会を与えた。ジャン・ブガッティが思い描いた最終形はどんなものになるのか、可能性を追求しようというものだが、中でもジャンによる世界初考案のガルウィング式ドアはこの企画のハイライトであった。最終的にアートセンター自動車部門の長、スチュワート・リードが形を仕上げ、マイク・クリーヴのオートモーティビル・メタル・カンパニーが製作、2013年に披露された。

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5. オートモトリース・ラピード・ブガッティ・レイルカー・エンジン
タイプ41ロワイヤルが法外な価格設定が災いしてまったく売れなかったころ、エットーレはその直列8気筒1万2763ccエンジンを国営鉄道用に造り替えたことがある。"ブガッティ・オートモトリース・ラピード・レイルカー"とも"オートレール"とも呼ばれるそれは、2基ないし4基のタイプ41のエンジンブロックを縦につないでパワーを得るというものであった。実際、1932年から38年まで88両が製造され、そのいくつかは20年間稼働し続けたという。
洒脱なフランス人旅行客は「ブガッティで旅しようぜ」などと言っていたのだろうか。

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6. 1939/1949年 タイプ57Cアタラント
空気抵抗の少ない流れるようなルックスを持った軽快なコンバーティブル・ボディを、という顧客の要望に応えて、ジャン・ブガッティが設計したのが、キャビン上部までパネルで覆ったフィクストヘッドの"faux cabriolet"(訳註:フォ・カブリオレ=疑似カブリオレ)アタラントだった。第二次大戦直後は生産を再開しようにも資材を調達するすべもなく、ブガッティは工場に残っていた戦前の車の部品を使って車を造っていた。このアタラントもそんな一台で、1949年に製造された。タイプ57アタラントが17台生産された、ちょうどその年である。

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7. 1932年 タイプ41ロワイヤル
各国の国王を乗せるために造られたロワイヤルは、1万2763ccのエンジンと14フィート(約4.3m)にもおよぶシャシーを持つ巨大な車でありながら、街では名の知れたカロセリの手になるボディが優雅に振る舞いながらも、郊外に出ればスポーツカー顔負けの動力性能を見せつけるといった、ふたつの顔を併せ持つ車であった。
後ろ足で立った象のマスコットはレンブラント・ブガッティの作品だ。写真のクーペ・ド・ヴィル・バンデル(Coupe de Ville Binder)は、当初ジャン・ブガッティのカブリオレ・ボディをまとっていたが、1938年にアンリ・バンデルがデザインした現在のボディに置き換えられた。最初のオーナーは有名なエズデールである。

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8. 数多くの芸術的作品
複数の木工材、いくつもの金属、上質な皮紙、さらにはシルクの房で飾られた、きわめて手の込んだ作りの2脚の椅子とテーブル、同様の手法による花瓶台は1900年頃のカルロの作。今にも飛びかからんとするジャガーのブロンズ像は、エットーレの叔父であり彫刻家であるレンブラントの、1908年の作品である。

芸術作品としての「ブガッティ」|歴史背景を感じさせる名車から家具、調度品まで

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9. 1936年 タイプ57SCアトランティーク
ジャン・ブガッティが推し進めたエアロダイナミック・クーペスタイルが、生産車として結実したのがタイプ57SCアトランティークである。
この車はタイプ57Sとして生を受け、1936年にイギリスに向けてデリバリーされた。オーナーであるロスチャイルド卿は、1939年にスーパーチャージャーを搭載したSCに改造することをブガッティに依頼している。

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10. 1930年 タイプ46カブリオレ
1929年の世界恐慌の直後に生産されたタイプ46カブリオレは、そんな時代背景もあって、「お手頃な価格でそれまでのブガッティより実用的なグランドトゥアラーが手に入ります」と、公式に謳っていた。タイプ46は1929年から33年まで、カブリオレ、セダン、リムジン、クーペの4形態で500台ほどが生産されたが、現存が確認されているのはわずか60台にすぎない。

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