「世間の渋谷系はオシャレな人たちがやっているオシャレな音楽、というイメージなんですよね。でも僕が思う渋谷系は、レコードを買い漁りながら音楽もやっている人たちのことだった。渋谷系が認知されだした頃には、すでにボーカルの曽我部恵一が長髪にしていたし、音楽性もはっぴいえんどのような邦楽に影響されたものになっていました。だから当時、僕らは『サニーデイって渋谷系だったの? 全然違うじゃん、ダサいじゃん』ってよく言われてましたよ」
そういった認識のズレは、時期的なズレとも密接に絡み合っていたともいいます。世間の渋谷系ブームと、自身が思う渋谷系が盛り上がった時期には、2~3年のタイムラグがあるのだとか。
「僕らが渋谷系というカルチャーに盛り上がっていたのは、93年前後。当時HMV渋谷店の名物バイヤーだった太田浩さんが、僕らのインディーズ盤『COSMO-SPORTS ep』のPOPに“究極の渋谷系が出てきた!”って書いてくれた時期なんです。でも一般的な渋谷系って、小沢健二くんやピチカート・ファイヴが凄く売れているとき。95~96年頃をさすイメージです」
世間に渋谷系という言葉が認知される過程で起こった2つのズレが「サニーデイは渋谷系なのか」という論争を生み出したよう。では、サニーデイはなぜ「最後の」渋谷系と呼ばれるのでしょうか。
「僕らより2~3つ下の世代、例えばNONA REEVESやクラムボンは明確に渋谷系じゃないんです。めっちゃ楽器がうまいし、練習をダサいと思っていないから。僕らの価値観では、音楽に詳しい人が偉くて、演奏は二の次。むしろマッドチェスターの影響で、楽器がうまかったらかっこ悪い、っていうのが渋谷系のスタンスでした。
あと、幅広く音楽を聴いているのが当たり前の世代だからか、彼らには僕らのように音楽を“掘る”という感覚があまりないんです。そういう意味で、僕らが最後の渋谷系と言われるのは正しいんです。ただ、渋谷系がテレビに取り上げられるようになった頃には、自分たちのことを渋谷系なんて言わないようになっていました。実家に帰って親とか兄貴に『お前、渋谷系か』『渋谷によくいるのか』とか言われて。そこまで言葉が浸透したと感じた瞬間に、ああ、終わったんだなって思いました」
オシャレなフレンチポップやネオアコを好む人たち、というイメージが先行してしまう渋谷系文化。渋谷系の当事者からすると、それはあくまで氷山の一角なのです。
◆ケトルVOL.48(2019年4月16日発売)