タイの周辺には、カンボジア、ミャンマー、ベトナムなど、日本と関係の深い国がいくつもありますが、地理的にその中心に位置するタイは、いまどういう状況なのでしょうか? 『図解でわかる 14歳からの地政学』(太田出版/インフォビジュアル研究所 鍛冶俊樹・監修)では、こう解説しています。
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1992年より、アジア開発銀行が中心となって「大メコン圏経済回廊」と呼ばれる越境インフラの整備が始まっています。この根幹部分を成す中国雲南省の昆明とタイのバンコクを結ぶ国際高速道路「南北回廊」が具体化した背景には、中越戦争があります。
ベトナム軍がカンボジアに侵攻し、タイ国国境に迫り、大量の難民がタイ国内に雪崩こみました。タイとベトナムは険悪な関係になります。同じくベトナムと敵対していた中国は、急速にタイに接近し、その結果が南北回廊への積極的投資でした。添付の地図は、現在整備が進む回廊を示したものです。回廊の十字路の多くはタイにあり、この国がインドシナの地政学的な中心地であることが見て取れます。
タイがインドシナ半島の中心であったことは、歴史を見ても明らかです。スコータイ王国から始まったタイ族の王国は、ラーマ1世の時代、ベトナムとミャンマーを除くインドシナ全域を占めていました。この半島に侵攻したイギリスとフランスは、互いの勢力圏の緩衝国として、中心にあるタイを独立国として残しました。アジアで唯一植民地支配を受けなかった理由は、この中心性にあったのです。
タイのもつ中心性は、政治の仕組みに最も顕著です。1932年にタイが立憲君主制国家となって以来、実に19回の軍事クーデターが起きています。しかし、そのほとんどが無血クーデターです。軍が政権を把握した後、憲法が改正され、制度が整えば、軍は政権を民政に移管します。そして時が経ち、また軍事クーデターが起きる。その繰り返しです。この繰り返されるクーデターの目的は「国王を元首とする民主主義体制」の維持のためでした。
しかし2005年にタクシン政権が誕生し、国民の1%に70%の資産が集中する、現在のタイの経済格差の是正を求めた時、軍は政権を倒し、以来タイの民主主義の歯車は止まったままです。
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タイは俗に“微笑みの国”と呼ばれていますが、そんな国民が頻繁にクーデターを起こしてきたのは、独自の体制が存在するからなのです。日本にとってタイは、ビジネス、外交など、様々な面で大事なパートナー。これからもタイ情勢には注目し続けていく必要がありそうです。
『図解でわかる 14歳からの地政学』(太田出版/インフォビジュアル研究所 鍛冶俊樹・監修)は、2019年8月23日発売。