挿画:伊藤健介

連載小説『ふつうの家族』

「今月の数字は大丈夫だな?」
「たぶん……はい」
「簡単に返事をするな。どうせ月末にごちゃごちゃ言い出すんだろ。
営業は足で稼ぐんだ。営業は、足。分かったか? 分かってねえ顔だな。覚えられないなら、そこに書いておいてやる」
 和則かずのりは机の引き出しから油性ペンを取り出し、机の脇を回って本村もとむらに近づいた。彼の細い腕を取り、汗ばんだ掌てのひらにでかでかと、『営業は足』と殴り書 きする。本村は諦めたように、されるがままになっていた。
その態度もまた気に入らない。
 天井の四隅に取りつけられた自社製のスピーカーから、始業のチャイムが鳴り響いた。営業部の社員たちはすでに全員そろっている。見せしめにするために五分ほど本村への説教を続行してから、和則は課長らに声をかけ、部署全体の朝礼を開始した。時代は二十一世紀に入り、市場はビデオからDVDへと移り変わっている。ビデオ戦争でのし上がった我わが社にとっては厳しい時期だが、一丸となって乗り切ろう──お決まりの激励で四十人の部下に活を入れ、散会を告げる。

 部下を締めるときは締めるが、社内で辣腕らつわんを振るってきた和則も、常に怒ってばかりいるわけではない。今日も恋人ができたばかりの若手社員を呼び止めて彼女との近況を聞き出し、自分と同じく家族を東京近辺に置いて単身赴任している課長とは、週末に子どもたちと遊んだ話で盛り上がった。
 部署に二人だけいる若い女性の営業部員を、手厚くケアするのも忘れない。男と同じように厳しく接したらつぶれてしまうだろうから、彼女たちには普段からこまめに声かけをし、遠回しに発破をかけるようにしていた。
「お、山崎やまざきさん、今日は顔色がいいね。化粧、気合い入れた?」
「部長、鋭いですね! タニグチ商会さんと大事な商談があるので、ばっちり決めてきました」
「やる気満々でいいね。
期待してるぞ」
 気をよくした様子の山崎が、黒いトートバッグを肩にかけ、意気揚々とフロアを出ていく。

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