同校が2024年度に座学で使用した「沖縄戦史」は、沖縄戦の実相とかけ離れた旧軍を賛美する表現が目立ち、批判が絶えなかった。
24年度版は、第32軍について「本土決戦準備のために偉大な貢献をなした」と記述していたが、25年度版では「偉大な貢献」という表現を削除した。
牛島満司令官らの自決について24年は「見事な自刃を遂げられた」とあったが、「見事な」を削除し、「自刃した」という表現に改めた。当然の見直しだ。
司令官の自決の際の「辞世の句」は全文削除されている。
鉄血勤皇隊などに関する記述も、若さと地理に明るいことが「斥候・伝令・斬込みの案内などに好適で、大いに特性を発揮した」と書くなど作戦第一主義の発想があらわだった。これも改め、被害の実相に触れている。
島田叡知事の評価について25年度版は、功罪の両面を盛り込んだ。
住民の視点も盛り込み、沖縄戦の実相に即した表記に改めたのが、25年版の特徴だ。
今回の大幅な記述変更には二つの背景がある。
一つは研究の積み重ね、証言の掘り起こしが進んだこと。
もう一つは、近く退任する石破茂首相の歴史認識に関わることだ。
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沖縄戦研究は、県史や市町村史づくりを通して、細部にわたって多様な証言が蓄積されてきた。
軍官民の3者関係や地元住民が果たした役割、米側史料に記載された戦場の実相の研究も進んだ。
第32軍は作戦第一主義に徹し、住民保護をおろそかにしたという点は、沖縄戦研究家の「共通理解」になっている。
防衛研究所戦史研究センター史料室所員の齋藤達志さんは、5月に刊行した『完全版沖縄戦』で、さらに一歩進んだ見方を提示した。
米軍上陸後、牛島司令官が「自ら状況判断して決心したというものはあまり見当たらない」。
牛島司令官の統率や人格の高さを認める一方、こうも指摘する。国土防衛戦を担う軍司令官として「妥当な仕事をしたといえるのかは疑問である」。
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自民党の西田昌司参院議員は、ひめゆり平和祈念資料館の展示説明を「歴史の書き換え」だと発言し、県民の強い反発を招いた。
これに対し石破首相は、西田氏と認識が違うことを明らかにし、沖縄滞在中、資料館に足を運んだ。
戦後80年の談話発表にこだわった首相は、歴史修正主義の動きに強い危機感を持っていたという。
次の政権の性格次第では、記述の揺り戻しが起きないとも限らない。
実相を深く掘り下げていく不断の努力と、若い層に届くような継承の試みが欠かせない。