ロックに出会って、 “ひとりで生きていける”と思った

J-ROCK&POPの礎を築き、今なおシーンを牽引し続けているアーティストにスポットを当てる企画『Key Person』の第17回目は、ドレスコーズ志磨遼平。アルバム『バイエル』(2021年6月発表)ではサブスクリプションでピアノのインスト曲から配信し、徐々に楽曲が出来上がっていく過程を見せるという斬新なアイディアも記憶に新しいが、そんな志磨が少年時代に衝撃を受けたロックとの出会いと、アーティストとしての原点にいる人物を探った。


ロックを見た時に “華美な服装だ!”と思った

──志磨さんはどんな少年時代を送っていたのでしょうか?

「基本的に今も子供の頃も変わっていなくて。例えば母親から紙とクレヨンとか、積木だのおもちゃだのを渡されると、2、3時間は物音も立てずに没頭するので “あれ? そこにいたの?”と心配されるくらい、手のかからない子だったそうです。没頭すると周りが見えなくなるのは今も変わらないですね。僕は自然に囲まれた田舎育ちなんですけど、外に行って虫を捕まえるとか、川で泳ぐなんてことは一切せずにずっと家にいました。」

──何かを作るということでは、最初は絵が好きだったみたいですが、そこから音楽にも興味を持つようになったのはどんな流れだったんですか?

「親がずっとThe Beatlesを聴いていたせいで、のちにThe Beatlesを聴いた時に幼少期の記憶がバーッとフラッシュバックしたんですね。その“なんだか無性に懐かしい”という感覚が気持ち良くて、The Beatlesやそれに似た音楽を探すうちに60年代のものばかりを聴くようになって。でも、バンドを組みたいと思うようになったのはTHE YELLOW MONKEYの影響です。」

──高校生の文化祭が志磨さんにとっての初ライヴで、その時はTHE YELLOW MONKEYの曲もコピーしていたそうですが、自分で音楽を作ろうと思い立ったきっかけは何だったのでしょうか?

「ある日突然、曲ができたんです。
THE YELLOW MONKEYを好きになってからは“僕もいつかそのうち作詞作曲しなければいけない”と思い込んでいたので、“やっぱりできるもんだな、もうこれで将来は安心だ”と……何の説明にもなってませんけど(笑)。本当にそんな感じで。」

──バンドを組む前に曲ができたと。

「はい。その曲をどうしたらいいか分からなくて、とりあえず覚えておきました。で、しばらく経って17歳の時にバンドを組むんですけど、それは文化祭でコピーを披露する、とかが目的ではなく、“曲を作って有名になる” という目的のバンドだったので、どんどん曲を書いてライブハウスに出るようになって。」

──The Beatlesから始まって、志磨さんはロックのどこに惹かれていったのでしょうか?

「うーん、何だろう?(笑) “やっちゃダメだよ”と言われていることってあるじゃないですか。“走っちゃダメだよ”とか“大声を出さないで”とか。
その価値観を全部あべこべにした世界というか、やっちゃダメなことを片っ端からやっていくところに惹かれたんじゃないでしょうか。中学生の頃、生徒手帳に“華美な服装を禁ずる”と書いてあるのが何か面白くて(笑)。“華美”とか言われても、それがどんなのか分かんないじゃないですか。でも、ロックを見た時に“あっ、華美な服装だ!”と思ったんですよ(笑)。“生徒手帳にダメって書いてあったのはこれだ!”と。そういう禁止されたものを並べて、端から順に踏んでいくみたいなところが最高ですね。
この世界ではダメなことをやればやるほど、みんなに褒められるので。」

──すごくワクワクするものだった?

「うん! 本当にワクワクしますね。何と言うか…ロックに出会って、“ひとりで生きていける”と思ったんですよ。それまでは僕にも“これをやりなさい”と先生や親に言われたことだけをやる人生が13、4年あったんです。起きて、ご飯があって、なんとなく学校に行って…でも、ロックに出会ってからは、もう誰に止められてもやめられなくて。友達の言うことも、親の言うことも聞けなくなり、16、7歳にして“ひとりだぜ!”という感覚になったというか。まぁ、それでも晩ごはんは家で食べるんですが(笑)。
たぶん哲学に詳しい人だったらもっとうまく言葉にできると思うんですけど、これが自我ってやつなんだと思います。ある日、パカッと自我が開く音が聞こえたんです。例えじゃなく、本当に。」

人と違えば違うほど、 価値があると思った

──志磨さんがロックに惹かれた時には反骨心みたいなものが真ん中にあったのかと思っていたんですけど、そういった類のものではなかったんですね。

「人によっていろいろあると思います。僕が惹かれたのはたまたまロックですけど、誰かにとってはお化粧やお洋服かもしれないし。自分でそれを選ぶって感じかな? “誰に何を言われようと私にはこれが一番似合うんだ”という感じ。
選んでからはもう昨日までとは違う自分になっていて、“止めてくれるな、おっかさん”みたいな(笑)。」

──バンドを始めた頃はどんな音楽を作りたいと思ってましたか?

「僕の曲は未だに斬新なところがひとつもなくて。オーソドックス、スタンダード、オーセンティック…どんな言い方でもいいですけど、古い音楽がやりたかったんですよね。自分はThe Beatlesが好きだと分かってから、みんなが聴いてる流行りのアイドルやバンドじゃなく、“僕は僕が生まれる前の音楽がやりたい”と思ってバンドを始めているので、ちょっと周りとはずれていた。今でもそうですけど。だから、僕がやっている音楽は誰もやってないことではないとずっと思ってます。」

──ロックをきっかけに“ひとりだ!”という自我が出てきたわけですが、その一方で周りと違うものを好んで作っていることに孤独は感じませんでしたか?

「感じていたでしょうね。でも、自分はそれが一番好みだし、天邪鬼な性格っていうのもあるんですけど、みんなと同じことをやっていると不安になるというか。
人と違えば違うほど、価値があると思っているんです。今だって誰もやっていないリリース方法とか、誰もやっていないバンドの形態で続けているのは、あの頃の“誰もこのCD持ってないぞ!” っていう優越感と変わっていないと思ってます。」

天性のものではなく、 自分で磨いてアンテナができた

──ドレスコーズはアルバム『ジャズ』(2019年5月発表)に“人類最後の音楽”というテーマがあったり、アルバム『バイエル』ではCDのリリース前にサブスクリプションで各曲が完成していく過程を見せたりと、他の人がやっていないことであり、なおかつ音楽に時代の流れも取り込んで多角的に表現しているように感じます。

「年齢を重ねるうちにそうなっていったんだと思います。今回の『バイエル』にしても、先にアルバムのイメージがあって、最初はなぜそれを作ろうとしているのかが分からないんですよね。“バイエル”という名前のアルバムを作ろうと決めて、“ということは、ピアノを始めないといけないのか…”と後づけでピアノを始めたり。僕には感度のいいアンテナがあって、でもそのアンテナは僕が磨いて磨いて受信するようになったものなので、天性のものではなく、磨いているうちに電波が届くようになったものなんですよ。高校を辞めるとか、自分で古い音楽を探すとか、そうやって日々を過ごすうちにアンテナが受信して使えるようになった。前作の『ジャズ』もそのアンテナで“もうすぐ世界は終わるかもしれない”と思ったのがきっかけで。世界が終わるはずはないけれど、“なんだか悪い予感がするから先回りして作っておこう”と。これは“僕の占いはよく当たるよ”と言いたいわけではなく、コロナ禍になろうがならまいが、みんな薄々と感じていることだったと思うんです。“僕らの未来は明るくないだろう”って。『バイエル』はその明るくない未来を明るくするための方法を考えようとして作ったところがあります。昔はそんなふうに未来を悲観することはなかったんですけど、変わったのはここ5年くらいですね。『平凡』(2017年3月発表のアルバム)を作った頃からです。」

──志磨さんが最初に始めた頃のバンド像と今のバンド像って、やっぱり変わっていますか?

「うん。今ここに中学生の頃の僕が出てきて、“今どんなバンドやってるの?” って訊かれて、“今はね、一般公募でメンバーを募集しているよ” と言ったらブン殴られる気がしますね(笑)。でも、“まぁ、落ち着いて話を聞け” って2時間くらい話したら分かってもらえる気もします。」

──どんなふうに説明しますか?

「誰よりも分かってくれると思うけど……“君は人と同じことができないでしょ? そのうえ、ひとりっ子でしょ? 残念ながら君には、人と何かを分かち合う能力が欠けているんだけど、その代わり、ひとりでずっと遊んでいられる才能があるよ” って、最近のアルバム2、3枚聴かせたらぐうの音も出ないと思うな。」

──この5年くらいの変化はどんなものになりますか?

「例えば僕が作家さんだとしたら、それまでの作品は純文学の私小説みたいな、自分を主人公にしたお話ばかり書いてきたんですけど、『平凡』くらいからはルポルタージュというか、世の中の移り変わりを題材に書いているような、それくらい違いますね。本屋さんなら文学コーナーじゃなくて、社会とか人類学のコーナーに置かれるようなものを作っている気がします。」

──ご自身が生み出していくものが変わっていったのは、先ほどのアンテナのお話もそうですが、志磨さんが自分の好きなものや時代の流れを吸収し続けているからでしょうね。そんな志磨さんが影響を受け続けているキーパーソンを挙げるとしたら?

「最初に浮かぶのは寺山修司さん。僕の親は浅川マキさんという歌手が好きで、それこそThe Beatlesと一緒によく家で聴かせてもらっていたんですね。その浅川マキさんの曲の作詞をしたり、ライヴやレコードのコンセプトを一緒に考えていた、今で言うプロデューサーが寺山さんだったんです。もちろん小さい頃は寺山さんが関わっているなんて知らずに聴いてましたが、10代になって寺山さんにかぶれて、どんなことをやってきた人なのかを調べているうちに浅川マキさんとの関係性を知ってびっくりしまして。“僕はとっくの昔から寺山さんの言葉と演出に出会ってたんだ!”と。僕はThe Beatlesから作曲を、寺山さんから作詞と演出を学んだんです。他の人が思いつかないやり方で、当たり前のことを別の角度で見せるというような。例えば、お芝居を劇場の中から市街に持ち出したのが寺山さんで、それはもうお芝居じゃなくて事件になる、フィクションじゃなくて現実になるという。だから、僕が今回『バイエル』でやっているようなこと、ライヴでやっているようなことも、寺山さんの影響が多大にあると思っています。」

取材:千々和香苗

ドレスコーズ

ドレスコーズ:毛皮のマリーズのヴォーカルとして2011年まで活動していた志磨遼平が、翌2012年1月1日に結成。同年7月にシングル「Trash」でデビュー。14年4月、キングレコード(EVIL LINE RECORDS)へ移籍。日比谷野音でのワンマン公演を成功させたのち、9月にリリースされた1st E.P.「Hippies E.P.」をもってバンド編成での活動終了を発表。以後、志磨遼平のソロプロジェクトとなる。20年4月、メジャーデビュー 10 周年記念ベスト盤 『ID10』をリリース。同年10月には鶴屋南北戯曲賞と岸田國士戯曲賞の史上初の二冠に輝いた劇作家・谷 賢一の新作『人類史仮』KAAT)の音楽を担当。