キャシーは、桂さんの訃報について「けさ早く、家で支度をしていた時にご連絡を受けました。先生らしく、土日は結婚式が多いだろうからと気を使って、このタイミングだったと伺いました。すぐに駆けつけたいと言ったのですが、スタッフの方が『桂は、自分のそういう姿を見られたくないから…』ということでした。由美先生はあの由美先生のままでいいので、それでいいです。ずっと、ここにいます」と回顧。勝野も「2月にお会いした時もまったくお元気で。
キャシーは「(結婚45周年を記念した)サファイア婚(の打ち合わせで)2月頭からずっとお会いして、打ち合わせをして。リボンの位置なども、絶対に妥協しないで『キャシーは、これくらいの大きさがいいから!』とおっしゃっていて、とてもお元気で、まだまだ桂先生は、仕事をなさるんだろうなと確信していました」としみじみ。「私たちの結婚式のウェディングドレスお願いしました。亡くなった長女のドレスも、次女のドレスも先生で、親子でお世話になりました。息子とも大変仲がよくて、息子は先生のことを『由美ちゃん』って呼んでいるんです」とかみしめるように語った。
サファイア婚で着用したドレスについて、キャシーは「本当にキレイなサファイア色をつけて。家族全員、サファイア色のリボンをつけた衣装で参加しました。もしかしたら、それが先生の最後のイベントだったのかな。その時も前向きな話しかなかったですね。『みんなに結婚式を挙げてほしい』と話されていました」と明かした。
キャシーは、訃報を聞いた家族の反応にも触れ「次女は泣いていましたね。
桂さんは1930年生まれ、東京都出身。東京オリンピックが開催された64年、赤坂に日本初のブライダル専門店をオープン。