渡辺は21年4月より活動拠点をアメリカ・ニューヨークへ移し、2023年には全米7都市でのトークライブ、2024年10月にはニューヨークで自身初となるスタンダップライブを開催。同年12月にアジア・太平洋諸島系アメリカ人のアートやエンターテインメント、カルチャーに貢献した人々をたたえるイベント「Unforgettable Gala」で、「グローバルグラウンドブレーカー賞(Global Groundbreaker )」を受賞するなどグローバルな視点で活動を続けている。
渡辺にとって日本での13年ぶりの開催となる単独コントライブには、ゲストに若手時代から親交深い実力派芸人たちが集結。池田一真(しずる)、ジャングルポケット、スパイク、ネルソンズ、横澤夏子という豪華な顔ぶれがそろった。
──13年ぶりとなるコントライブ開催の経緯を教えてください。
本当は毎年やりたかったんですけど、いろんなお仕事が重なって、ライブができるタイミングがなかったんです。13年の間も、先輩のライブに出させてもらうことはあったんですけど単独ライブはできていなくて。最近アメリカでライブをすることが増えたんですが、日本でライブをやっていないと思い、「コントライブを久々にやりますか!」って経緯でやらせていただくことになりました。
──オール新作のネタということでこだわっている点はありますか?
いや、もう大変ですね…。私はPCでネタを書けなくてiPadで書くんですけど、それを(演出)のオークラさんに見せるのが恥ずかしくて(笑)。内容を説明するんですけど、その時「コントってどうやって作っていたかな」と思って。
──アメリカで活動している中、影響を受けた文化的な要素はありますか。
人種とか政治的の問題など、アメリカのコメディに過激なイメージ持たれている方も多いと思うんですけど、今はアメリカも変わってきていると思います。スタンダップが主流ですが、スタンダップの芸人でも日常のあるあるとか、家族の面白話とか、失敗談とか、恋愛の話とか、今はそれがベースになってきているんですよね。
──4年のアメリカ生活を経て、成長したと感じることはありますか?
めちゃくちゃ成長したなと思いました。もちろん、日本でたくさんの方に育てていただいた状態でアメリカ行ったんですけど、言葉が片言の状態で、人を笑わす壁もありつつ。その先にも、また次々に壁が訪れて。言葉に表現できないぐらい、これは私にしかできない経験をこの4年間でさせていただいたと思います。人として大きくなったというのはすごく感じています。
──具体的にはどんな成長を感じましたか?
私、めちゃくちゃ緊張しいで、緊張してうまくできないことはできるだけ避けるようにしていたんですよ。
何か準備があるわけではないのに「いけいけ!」って前に出されるギリギリの状態がすごく多かった。そのスピード感についていくのが初めての経験だったので、だいぶ力が付きました。心の準備がなくても、「いつでもReady(レディー)」という言葉をアメリカ生活で得ましたね。
心の成長はとても大きいです。日本でも1人でトークライブはあまりやったことなかったんですけど、なぜかそれを初めてニューヨークで経験しました。その後、日本でもやるようになった時に、見に来てくれた同期の作家が「え!何やっているの!すごいね」と言ってくれました。いつの間にか私はそれが当たり前のようになっていたのだなと思いました。
──英語力の向上はどのように感じていますか?
小3から小5ぐらいにはなりました。
──どのように英語は勉強されているのでしょうか。
今年から3人の英会話の先生にお願いしています。自分の悪い癖で、なんとなく顔でリアクションしてコミュニケーションを取ってしまうんですよ(笑)。これが良くないなって気づいたのが今年だったんです。さらに1人の先生はもう10年くらいの付き合いで、ふざけちゃうんですよ。だから新たに2人の先生を入れて、知らない人に厳しくしてもらおうと思って。
やっぱり英語ってすごく大変だと思います。
──渡辺さんが考えるお笑いの魅力を教えてください。
お笑いって世界共通で、みんなが求めているものというか、日常にあふれているものなんだと思います。お笑いを作る人たちって言語関係なくやっぱ心がすごくつながっているなと感じます。なぜかと言うと、やっぱお笑いを愛していて、作るもの同士だから、言語が違っても同じ視点があるからだと思います。
お笑いって世界1つにしてくれるものなんだなっていうのも改めて海外に行って感じたし、お笑いの質ややり方も違っても、一緒なんだなって。お笑い大好きなんですよ。アメリカに行ってからもっとお笑いが好きになりました。