『レジェンドの目撃者』(NHK)の“MCっぷり”が編集者の目に留まり、本書の出版が決まった。「2002年にブームに乗っかって芸能の世界に飛び込んだ僕が、なぜ今も生き続けているのか?は大半の皆さんには謎な部分もある。だったら自分なりの考え方をまとめても良いかなと思いました。誰もがトップランナーになれるわけではない。なんなら大半がなれない。その大半の人だって、人生を楽しむ権利はあるはずだ。僕は人生をとても楽しんでいると思っています。その楽しみ方を書こうと思いました」と笑みを浮かべる。
ハモネプブームとともにRAG FAIRとして2001年にメジャーデビューすると、突如スターダムを駆け上がり、2002年には『紅白歌合戦』にも出演。しかし、その後は“下り坂”を実感する日々だった。「しっかり下積みをしてきたわけでもないので、もがきましたが、やはり下り坂を降り続ける芸能生活でもあった。
加えて、約10年前には発声障害を患った事で、自身が仕事をする上で一番大きい部分を失った。「出口が全く見えなかったので、もう歌えないかもしれないと思う中でも家族を養っていかなくてはいけない。僕の場合は強制的に、自分の仕事のピークは過ぎたと思わないと前に進めなかったんですね」と振り返る。
そうして「人より早く、自分の仕事のピークを自覚せざるを得なかった。だからこそ、沢山の発想の転換を考えてきたと思います」と、本書のテーマである“捉え方の転換”につながっていく。
「仕事のピークは過ぎたと自認するって、だいぶキツい言葉かもしれません。でも自分の仕事を登山に例えて、もう現時点で自分が山頂に登った登頂成功者だと認識すると、後に山登りをする後輩たちに良いアドバイスができる立場なんだなと思える。ピークを過ぎたと自覚すると、人生の幅が広がって楽しくなる事もあるのではないか?という意味合いです」
50代を目前に、今後の展望について聞くと「現状維持をどれだけ続けられるかですね。特に身体面。
「3つのバンド、落語、ラジオパーソナリティ、テレビでのMC、執筆…色んな事を仕事にさせてもらっています。ただ身体は一つ。側から見たら全部が70点の仕事ランクの人間にしか見えていないかもしれない。でもこの全ての仕事を、1会場を1週間押さえて、バンド3つのワンマン、落語独演会など、毎日違うジャンルのLIVEエンタメを1週間通しでやってみたい。この1週間をまとめてみると『土屋礼央、やるじゃん!』と思ってもらえたら自身としては、とてもうれしい瞬間だと思っています」と目を輝かせる。
最後に「過去に書いた本の中で最も、自分自身の心に真正面に向き合って書いた本です。人生の後半の楽しみ方な本だと思います。同世代、もしくは自分の仕事が一回りして、新たな刺激が欲しいなとうっすら思っている人に読んでもらえたらうれしいです」とメッセージ。「後半には僕の48年間のどたばた人生もびっしり書きました。今の土屋礼央がどうやってできたのか、朝ドラを見るかの様に楽しんでもらえたら」と呼びかけた。