■東京都内でも「クマ被害」が発生
もはや、「東京だけは安全」とは言えなくなったのだろうか――。
北海道・知床半島の羅臼岳で8月14日、都内在住の26歳男性がヒグマに襲われ死亡するという痛ましい事件が発生したが、その後もクマによる被害は日本各地で相次いでいる。9月2日には岐阜県中津川市で帰宅途中の男子高校生がクマに襲われ怪我をするという事件が発生し、地域社会を震撼させている。
実は東京都内でもクマ被害が発生している。8月23日に奥多摩で渓流釣りをしていた男性がツキノワグマの子グマに襲われ、顔を引っかかれる事件が発生した。怪我の程度について「血の雨」という報道もあったが、男性は青梅市の病院で手当てを受け、命に別条はなかった。
場所は奥多摩町の「奥茶屋キャンプ場」から北西に200メートルほど行った、大丹波川沿いの地点で、埼玉県との県境付近、ギリギリ都内にあたる。
■世界的にも珍しい「クマが生息している首都」
都内に住んでいる方はあまり意識しないと思うが、実は東京都内にはツキノワグマがいる。
東京都HPによると、多摩地域(奥多摩町、檜原村、あきる野市、青梅市、八王子市、日の出町)にはツキノワグマが生息しており、東京都は世界でも珍しい「クマが生息している首都」であるという。
東京都の資料によれば、東京都内のツキノワグマの棲息数は「平均値161頭(128~181頭)」(2020年の調査結果)とされている。
161頭前後という数字は、決して多いものではなく、東京都はツキノワグマを絶滅危惧種と評価している(※)。
しかしながら、「だから都内は安全」とはならず、都内でも長年にわたりクマ被害が発生しているのが実情だ。
※:東京都の保護上重要な野生生物種(東京都レッドリスト2020年版)において、南多摩地域で絶滅危惧2類(VU)、西多摩地域で準絶滅危惧(NT)として評価。
「絶滅危惧2類(VU)」とは、「現在の状態をもたらした圧迫要因が引き続き作用する場合、近い将来『絶滅危惧1類』のランクに移行することが確実と考えられるもの」。
「準絶滅危惧(NT)」とは、「現時点での絶滅危惧度は小さいが、生息条件の変化によっては『絶滅危惧』として上位ランクに移行する要素を有するもの」。
■昨年度は211件のツキノワグマ目撃情報
環境省の資料によれば、東京都内では平成20年(2008年)に1件、平成22年(2010年)に1件、平成26年(2014年)に1件、平成29年(2017年)に1件、令和元年(2019年)に2件、令和4年(2022年)に2件、今年1件(冒頭でご紹介した奥多摩での事故)と、ここ18年間で累計9件のクマによる事故が起きている。死亡事故は発生していない。
ちなみに、日本各地でクマ出没件数が増加傾向にあるとされるが、東京都内でもクマ目撃件数は増えている。
東京都の資料によれば、2024年度には211件のツキノワグマの目撃情報があったとされている。
2025年の目撃件数は、読売新聞の報道によると、奥多摩町だけで7月の時点で約70件に達しているという。2024年には年間約130件だったことを考えると、少なくとも例年並みか、ややハイペースでクマの出没が続いていると考えられる。
■「TOKYOくまっぷ」を見れば一目瞭然
東京都は都内のクマ目撃等情報を地図上にマッピングした「TOKYOくまっぷ」を公開している。
青い丸印は「3か月以前」、黄色の丸印は「3か月以内」、赤い丸印は「1か月以内」をあらわしているが、クマ目撃等情報は多摩地域全体に広く分布していることが分かる。
特に日の出町周辺において、「1か月以内」を示す赤い丸印が多く見られる。
日の出町はあきる野市の西側に位置し、秩父多摩甲斐国立公園の玄関口にあたる。1983年に当時の中曾根康弘首相とアメリカのロナルド・レーガン大統領が会談し、「ロン―ヤス」関係をアピールしたことで有名な「日の出山荘」はこの地にある。
■「学校内」でも目撃されている
あきる野市にあるJR五日市線の終点、武蔵五日市駅周辺では、三内川沿いでクマが目撃されている。このあたりは都心部のような人口密集地ではないものの、民家の近くで目撃されている。しかも赤い丸印なので「1か月以内」の情報だ。
一方、青梅市にある旧明星大青梅キャンパスの敷地内でもクマが目撃されている。
「TOKYOくまっぷ」上では「明星大」となっているが、2015年までに日野キャンパスに統合され、その後はテレビドラマなどのロケ地として使用されていたようだ。現在は2024年1月の能登半島地震で被災した日本航空学園に無償供与されているという。
観光客が大勢訪れるような場所ではないが、それでも学校内でクマが目撃されているのは気になる。
ほか、八王子市方面にも目撃情報が散見されるが、特に高尾山周辺でクマが目撃されているのが目を引く。
■都心から近い「気軽に登れる山」でも要注意
高尾山登山の始点となる京王高尾線高尾山口駅の周辺や、高尾山山頂や高尾山ケーブルカー付近でもクマが目撃されている。
高尾山といえばケーブルカーも整備され、都心からも近く、「誰でも気軽に登れる山」というイメージが強いが、決して多くはないもののクマ出没情報があることには注意が必要だろう。
八王子市といえば、大学キャンパスが多く集まっていることでも知られている。ちなみに、クマ出没情報があった高尾山口駅から数百メートルの距離に、拓殖大の八王子国際キャンパスが位置している。
距離が近いからといって直ちに危険というわけではないが、近辺でクマが目撃されていることには留意しておきたいところだ。
八王子JC付近でもクマが目撃されており、車が多く通る高速道路周辺でも、決してクマがいないわけではないことも注意しておきたい。
■北海道では人口密集地にも出没
一般的に、ツキノワグマは臆病な性質で、自分から積極的に人を襲いにくることはまれとされる。クマは山の中に住み、人間は平地に住むという棲み分けが成立していれば、クマと人間が平和に共存することも可能なはずだ。
だが近年、エサとするブナやナラの実が異常気象の影響で不作となることが増え、クマが人家の多い地域や、市街地周辺まで進出してエサをあさったり、人を襲うケースが増えている。
9月11日には福島市内で民家の2階にクマが侵入する事件が起きている。
2021年には札幌市東区の住宅街にヒグマがあらわれ、次々に人を襲い、4人が重軽傷を負った。陸上自衛隊丘珠駐屯地にもあらわれ、自衛隊を襲ったのち、駐屯地を横切って茂みの中に消えていったという。
最終的にハンターによって駆除されたが、道警は機動隊を含む警察官105人、車両39台、ヘリコプター3機を投入するなど、大捕り物となった。
東区はJR札幌駅の北側にあたり、サッポロビール博物館や札幌丘珠空港が位置し、住宅街として知られている。
ヒグマの多い北海道とあって、札幌市に出没することは珍しくないが、西区や南区など山あいの地域だけだと思われていた。
それが、住宅密集地である東区にも出没したため、多くの関係者に衝撃を与えたのである。
北海道に生息するヒグマと、本州に生息するツキノワグマは性質が異なるため、同じ行動をとるとは限らないが、クマ対策の必要性を考える上では重要な事件だと思われる。
■高尾山に登るときも「クマ対策」は必要
東京都でも住宅密集地にクマが出没する危険性はないのか。
東京都環境局多摩環境事務所自然環境課長の上原氏は、「一般論として、東京都にも生息しているツキノワグマは臆病な性質で、人間の気配を察知すると逃げていく。しかし最近は、人里に下りてくることもあり、遭遇すると痛ましい事故になることもあります」と話す。
「クマは夏の時期が繁殖期で、秋には冬眠に向けて食欲を増し、多くの餌を求めて行動が活発になる時期です。生態を知り、クマに出会ってしまった時の対応について知っておくことが重要です」(上原氏)
山間部に位置し、現在あまり使われていない倉庫や工場といった施設は、クマの出没に備えたほうがいいかもしれない。
「高尾山周辺では、決して多いわけではないが、例年クマの目撃情報が寄せられている。前述の通り一般論としてクマは人の気配を避けるため、積極的に登山客を襲ってくる可能性は低いと考えるが、高尾山などの山に登る場合は、クマ鈴やスプレーの携帯など、一定のクマ対策が必要。
■クマによる被害に遭わないために
都内近郊でも、神奈川県伊勢原市の大山ケーブルカー駅付近で8月17日、ツキノワグマの成獣が出没。大山阿夫利神社への参拝ルートとあって、観光客や参拝客ら100人ほどが一時足止めされたという。
同じようなことが高尾山でも発生する可能性は否定できない。標高約600メートル、新宿から約1時間と、気軽に登れる高尾山ではあるが、「東京都内だから大丈夫」などと軽く考えず、クマ対策をしっかり行って登山することを強く推奨する。
東京都ではほかにもクマが生息している6市町村と共同でクマ対策を実施しているという。草刈、誘引物の除去、電気柵、見回り・追払い等の対策を委託事業として行っているほか、クマの連絡会議の開催や警察との共同訓練も実施したとのこと。
クマによる被害にあわないためには、安易に「東京は安全」などと思わず、個人レベルでしっかり対策する必要があるだろう。
----------
中野 タツヤ(なかの・たつや)
ライター、作家
1977年富山県生まれ。東京大学卒。新聞社系出版社などを経て独立。Web編集者としてヒグマ関連記事を多数手掛ける。
----------
(ライター、作家 中野 タツヤ)