警察庁によれば、2023年の認知症やその疑いによる行方不明者はのべ1万9039人という。そのうち、502人は死亡、250人は発見されていない。
残された家族はどんな思いでいるのか。ライターの松本祐貴さんによる『ルポ失踪』(星海社新書)の第3章「突然、妻がいなくなった 認知症行方不明の課題」より、一部を紹介する――。(第2回)
■80代で行方不明となった著者の祖母が向かった先
著者の身の回りで起きた認知症高齢者の行方不明実例を示しておこう。その実例とは私の祖母である。祖母は昭和2年の生まれで95歳まで生きたが、ちょうど80歳を境に認知症が始まった。
最初の兆候は、近所のお店でうどんを買うとき、簡単な計算ができなくなったことだ。お店の人が「このままじゃ悪い人にお金を盗られちゃうよ」と注意してくれた。同時期に、財布やカバンを自宅のどこに置いたかわからなくなった。認知症と診断され、祖母は母と同居せざるをえなくなる。
介護認定を受けると、祖母は要介護2と認定され、週に2回のデイサービスに通うこととなった。それでも認知症としては初期段階。「このころが一番大変だった」と母はこぼす。

「ある日、仕事から帰ると家に祖母がいない。近所を探しても見つからない。行方不明者として、警察に届けたことが3回あった」という。まさに認知症高齢者の行方不明にぴったりの例だ。
祖母には慣れない家に引っ越したストレスや、もといた場所に帰りたいという思いがあったのだろう。
■簡単にセンサーをくぐり抜ける
1回目の行方不明では、夕方に行方がわからなくなり、警察に届けたが、翌日まで連絡がつかなかった。祖母は電車で30分ほど離れている長く住んでいた場所に行っていた。しかも、昔の知人の家に泊めてもらっていた。翌日の朝に知人から電話があり、母が迎えに行った。
2回目の行方不明では、3キロ離れた2つ先の駅前で発見された。3回目のときは、自宅から2キロ離れた住宅街で迷子になっていた。それ以外にも近所の人に保護され、自宅に戻った回数は10回以上ある。
深夜に出ていくこともあったので、玄関にセンサーを設置したが、認知症の患者には知能がある。祖母は簡単にセンサーをくぐり抜けていた。
これらの行方不明につながる行動は認知症発症から3年以内のことだった。
認知症の病状がより進んでからは、祖母は週末のショートステイ、施設への入居と介護の段階を経ていった。施設で過ごす時間が増え、行方不明にいたる行動はほとんどなくなった。しかし、それは根本的な解決にはつながっていない。
「なるべく本人に寄り添って、孤独にさせないで話を聞いてあげるのが、いいことに思えたよ」
祖母を15年以上介護した母の感想は、解決の糸口になるのだろうか。
■朝起きたら妻の靴とバッグがない
行方不明者の実例を挙げたい。話をしてくれたのは鳥取県米子市在住の荒川勉さん(66歳)。荒川さんの妻・泰子さん(当時59歳)は2023年の8月8日の早朝突然姿を消した。
「妻は行方不明になる5年ほど前に『意味性認知症』と診断されていました。日常生活に支障がでるほどではないのですが、会話に出てくる『おはし』や『えんぴつ』の意味がわからなくなってしまう病気です。
その症状が出るころにはパートを辞め、週4日のデイサービスに通っていました。それでも朝ごはんの準備は毎日できていましたし、散歩や買物もひとりで行けていました」
荒川さんによれば、泰子さんがひとりで出歩けていたがゆえに油断があったのだという。
「私はだいたい朝5時に目覚めるのですが、妻がいなくなった日は寝坊をして5時50分に起きました。玄関に向かうと妻の靴とハンドバッグがありません。前日には近所のスーパーマーケットに買い物に行こうと妻と話し合っていましたので『きっとひとりでスーパーに行ったんだ』とあわてて車に乗り、追いかけました。まだスーパーは開店していません。警備員さんに聞いてもわからず、結局、お昼12時半過ぎに警察へ行方不明者届を出しました」
米子市の防災無線で行方不明の放送を流してもらったが手がかりはなかった。
■行政の縦割りのひどさ
夫妻を襲ったもうひとつの不運は自宅の位置だった。
荒川さん夫妻の自宅は鳥取県米子市。だが、そこから5分ほど歩けば、島根県安来市になってしまう。都道府県をまたぎ警察の管轄が違うと行方不明者の情報は伝わらない。事実、妻の泰子さんは県境への国道沿いを島根県方面に歩いてしまっていた。

「いなくなってから約27時間後、翌日の午後3時30分、米子警察署からの連絡で妻が県境近くの監視カメラに写っていたと判明しました。スーパーと思い込んでいたのに、まったく逆の方向の県境を越えていたとは、頭が真っ白になりました。もっと早く向かった方向がわかっていれば見つかっていたかもしれません。1日半のロスが致命的でした」
8月8日は最高気温が38度に達した。
「むしろ妻が熱中症で倒れてくれれば見つかったかもしれません。ですが、体は丈夫ですし、道を歩いているだけだと認知症とはわかりません」
心配はつのるが捜査状況は荒川さんにほとんど伝わってこなかった。
「鳥取県の米子警察署が窓口ですが、実際に捜査をしているのは島根県の安来警察署、松江警察署です。こちらから連絡をしても『捜査はしています。手がかりはありません』と言われるだけです。安来警察署、松江警察署に出向いても『窓口は米子警察署なので……』と門前払いでした。行政の縦割りのひどさを肌身で感じました。警察もちゃんと探してくれているとは思うんですが……」
■認知症の行方不明者の約96%は見つかるが
家族が行方不明になったとき、残された者にできることはあるのだろうか。

「SNSなどで自分から発信することですね。それで地元新聞社や放送局、全国版のNHKでも取り上げていただけました。後は妻が歩いたであろう国道9号沿いのコンビニ、スーパー、公共施設、JRの駅などに妻の特徴を書いたポスターを掲示してもらいました。
8月18日にテレビの山陰放送が妻のことをニュースで流しました。すると島根県安来市の女性から自宅の庭に妻が迷い込んできたと連絡がありました。声をかけようとしたら妻は逃げてしまったらしいです」
これが最後の目撃談で、それ以降の足取りはまったくわからない。
「認知症の行方不明者は約96%が見つかっているそうです。体力がなくへたり込んだり、歩けなくなる方が発見につながりやすいですね。妻のような若年性認知症だと、体力があり、電車に乗って遠くまで行ってしまうことも考えられます。
2023年の警察庁データでは、川に落ちる、凍死などで亡くなる方も全国で1年間に500名ほどおられ、250名ほどが行方不明です。こんな悲劇が毎年繰り返されているんです」
■反省と後悔の念
現時点では500名だが、高齢者の増加とともに死亡者、行方不明者は増える可能性が高い。
「GPSや位置情報がわかる機器が対策として最良です。
今では3000~4000円で買えるものも出ています。利用料も月に1000円ほどです。高齢者は、自分が選んだものは持つので『お守り、キーホルダー』と言い含んで持たせてほしいですね」
荒川さんには反省と後悔の念がある。
「妻にGPSを持たせなかったこと。警察への通報が遅れたこと。自分の思い込みで捜索範囲を間違えたことです。私は認知症の行方不明者をもう出したくないんです」
私は当事者ではないが、実直に語る荒川さんの思いが伝わってきた。
「妻につながる情報が少しでもほしいんですよ。私の命がある限りは妻を探し続けます。泰子が見つかることしかゴールはありません。行方不明者の帰りを待つ家族はみんな同じ気持ちだと思います。安否も居所もわからないのは非常に苦しいんです。亡くなったとわかった方は、お葬式をあげ、お墓に骨を入れられて、けじめがつきます。
7年経つと、死亡扱いにできますが、それも書類上のことで、骨があるわけでもない。戦争中の戦死と同じことです。これが認知症の行方不明者を持つ家族の気持ちです。延々と自分が死ぬまでこの苦しさが続きます」
■退職からわずか1週間後の出来事だった
それでも荒川さんは前を向き、今でも毎日SNSで情報を発信している。
「自分が死ぬときにやっと解放されるんでしょうね。こんな思いをする人をひとりも出したくないので、私は家族に認知症の行方不明者を持つ人たちの会を立ち上げようと活動しています」
鳥取県は2023年10月、泰子さんの事案を受け、行方不明事案発生時の対応を見直した。隣接県への情報提供を従来の72時間後から24時間後に変更。対象に65歳未満の若年性認知症患者も含まれることになった。
実は荒川さんは妻の看病のために2023年7月末で退職をしていた。妻の行方不明は退職からわずか1週間ほどで起こった出来事だった。
荒川さんは今でもひとつ年を重ねた泰子さんの誕生日を祝っている。荒川さんが妻・泰子さんに会えることを心から祈りたい。

----------

松本 祐貴(まつもと・ゆうき)

編集者・ライター

1977年、大阪府生まれ。雑誌記者、出版社勤務を経て、フリー編集者&ライターに。人物インタビュー、ルポ、医療など幅広いジャンルで執筆・編集を手がける。近年は失踪や孤立といった社会的テーマに注力。著書に『泥酔夫婦 世界一周』(オークラ出版)、『DIY葬儀ハンドブック』(駒草出版)などブックライターとしても多数の作品に関わる。趣味は旅とワイン。

----------

(編集者・ライター 松本 祐貴)
編集部おすすめ